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vol.7 思い込みのメガネを外す勇気「自己理解と他者理解に至るまで」~やさしさを育むために必要な「4つのちから」~
本題に入る前に、執筆の意図や方向性、コンセプト記事をご覧くださいますと、より内容をお楽しみいただけるかと思います。
※以前に当記事の内容をご覧くださった方々へ
こちらのシリーズは、以前にアップしていた「やさしさを育むために必要な 4つのちから」とほぼ同じ内容ですが、読みやすさを考慮して分割したものになります。最終的にまとめ編として、以前の記事をそのまま再投稿する予定です。
前回までのまとめ
第1回 人の心を助けるやさしさとは?
第2回 自分にやさしくすると、他者にやさしくなれないのはなぜ?
第3回 矛盾だらけな気持ちに翻弄される私たち
第4回 忍耐しがたい事情と対応策
第5回 想像力を培うことの副産物
第6回 思いやりを精神論ではなく「スキル」で捉えてみる
気合や根性と同じように精神論で語られやすい「やさしさ」を、あえて体系的にまとめてスキル化させることで、ひとりでも多くの人が思いやりを実践しやすくなり、安心できる居場所を確保できるのではないだろうか?と思い立ち、これを「建設的で意図的な、美しい自己犠牲」という名の「自然体で行う思いやり」を育むための方法論として、公開することになりました。
具体的には「忍耐力・想像力・洞察力・包容力」がカギを握っていると考えていますが、特に、前回からお話している「洞察力」が、建設的なコミュニケーションの助けとなり、質の高いやさしさを贈り合うことにつながると思っています。
また、「やさしさ」というテーマを飛び越えて、無数の情報にまみれて混沌としがちな現代社会を生きる私たちに「何を選び取ればいいのか」を教えてくれる、重要なスキルであると言えます。
今回は、このテクニカルな「洞察力」を活かし、他者とのコミュニケーションを円滑に運ぶためのお話ができればと思っています。
見えたままを鵜呑みにしないことで、真実に近い仮説検証ができる
洞察力という「真実を視るちから」は、自分の考えや感情を抱えながらも他者に想いをはせ、辛抱強く歩み寄り続けることで、起こっている物事や人の感情の背景を立体的に想像できるスキルであるとお伝えしました。これはまさに、「血のにじむような努力の結晶」と言えるもので、一朝一夜にできることとは言い難いのですが、そのぶん、多大な恩恵を私たちにもたらしてくれると考えています。
言葉にすると簡単に聞こえてしまいそうですが、これは相当に、価値のあるものなのです。具体的にどういうことなのかをお話したいと思います。
例えば、目の前に「怒っている人」がいたとします。
表面的な事実だけを見ると「怒っている人だ…」と認識できますが、この人に対して「怒っているのは○○かもしれない」という想像をたくさん働かせたとします。
このように、理解しようとする営みによって「お腹がすいているのかな」とか「ホルモンバランスが乱れているのかな」とか、「なにか嫌なことがあったのかもしれない」などという可能性が浮上してきます。
一見すると近寄りがたい「怒っている人」に対して、日々、たくさんの想像を働かせながら見守ることによって、ある時、こんなことに気づきます。
「この人が怒るタイミングでは、多くの場合で○○が起こっている」
「こういったことで怒る人の共通点は、○○ではないだろうか」
これが、目の前の人を深く理解するための「洞察」にあたる部分です。つまり、「なぜ、この人は怒っているのだろう」という意味付けを行うことができることを指します。
この意味付けは、時間をかけて何通りもの可能性を探索した結果たどり着いたひとつの「仮説」であり、信ぴょう性が増しているなかで行われているものと仮定します。
つまり、想像力が主観的なものであるとしたら、洞察力は、主観を含みながらも客観的な事実に近いものと言えるでしょう。
「わたしのメガネ」の色かたちを知る=自己理解
ここで、話をわかりやすくするために、各々が自分の世界で物事を捉えることを「メガネをかけている状態」に例えます。
心理学では「認知」と呼ばれるものですが、つまり、とある事実や物事を捉えた結果湧いてくる感情は、「自分がかけているメガネ」に大きく影響されるということなのです。
「怒っている」という事実の裏側には、その人なりの理由があります。この「理由」の部分に、メガネの特徴が表れてくるということです。
そのため、「私ならこれで怒るだろう」と想像したことでも、それは他者の理由と一致するとは限りません。見ている世界が違うのですから、当然です。想像を超えた現実的な理解を示すためには、これを知っておくことが大切です。
洞察力によって自分の世界以外のものを見ようとするとき、「限りなく透明度の高いメガネ」をかけている状態と言えるだろうし、もしくは、「自分のメガネをすすんで外せる聡明さ」とも表現できると思います。
また、たとえ透明度の高いメガネを所持していても、それはあくまでも自分の見ている世界に過ぎないと自覚することを忘れてはなりません。
仮説はあくまでも仮説にすぎず、真実とは限らないと理解することが「本当に必要な答え」に近づき、質の高いやさしさを贈り合うことにつながります。
だから仮に、カラフルに彩られたメガネをかけていたとしても、必要に応じていったん外すことができたらなにも問題はありません。メガネはメガネに過ぎないのだから、「意地でも外さない!」とこだわる必要がないと理解するだけで、わかりあうためのとっかかりが増えていくのです。
(「意地でも外さない!」とこだわってしまうのにも様々な理由が考えられますし、まさにこれを深く理解しようとする試みが「洞察」です)
先ほどの「怒っている人」のお話に置き換えると、怒っている理由を想像し、その理由を深く知ろうとすることで、ポイントをおさえた必要な関わりができるようになるのです。
この視点がないと「なんで怒っているんだよ!」とイライラし続けたり、怒っている理由を自分なりに決めつけて、なかなか「本当の理由」に焦点が当たらないままアプローチをすることになり、不毛なやりとりにつながりやすいです。
洞察力は、純度の高い聡明さの象徴
今回は、洞察力をメガネに例えて「真実を視るちから」の可能性を探っていきました。
自分や他者を消耗させる「不毛なやり取り」の発生源は、自らの思い込みである「こうであるはずだ」という決めつけが、ひとつの要因となっているのではないでしょうか。逆に言えば、思い込みをすすんで外すことができたなら、建設的なコミュニケーションに一歩近づけるということです。
それをするために、これまでお伝えしてきたような「ぐっとこらえて」「あらゆる可能性を探索する」ことが、必要だと思うのです。
つまり、ひとことで言うならば、私は次のように捉えています。
「忍耐力と想像力をフル稼働させたら、洞察力になる」
「どこでしんどい想いをするかが、品質を左右する」という考えを、第5回 想像力を培うことの副産物でお伝えしたのですが、まさにこれが「洞察力によって品質を向上させる」ということなのです。
とは言え、私たちは感情を抱える人間ですから、他者はもちろんのこと、自分自身でさえ怒っている理由がわからずにイライラすることはあります。第3回 矛盾だらけな気持ちに翻弄される私たちでもお話しましたが、いつも冷静でいられませんよね。
そんな時は、第4回 忍耐しがたい事情と対応策でお伝えしたように、過程に目を向けることを試していただきたいと思います。喧嘩したり悩みながらも、自分や他者に歩み寄ることを諦めなければ、そのうち、思い込みのメガネではなく、理解のメガネを装着していることに気づく瞬間が、きっとやってくると思います。
加えて、「理解のメガネをかけること」を意識的に行うことができるのならば、自分自身を洞察の視点で見ることにもつながるはずです。
つまり、自分を多面的に見ることができると、ますます他者への想像力が働きやすくなるということなのですが、これが「自己理解」であり、「他者理解」の本質であると考えています。(逆も然り)
「真実を視るちから」とは、このような「理解」の先にあるものと言えるのかもしれません。
次回は、「洞察力がもたらす恩恵」について触れていきたいと思います。引き続きよろしくお願いします。