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「五戒」の「怒るな」について(1)

ではいよいよ、レイキの「五戒」の本文について解説をしていきましょう。
「五戒」と呼ばれるように、5つの戒めから成り立っています。
その1つ目がこの「怒るな」です。

日本伝統のレイキでは「怒(いか)るな」と読みますが、「怒(おこ)るな」と読んでも、何ら差し障りはありません。

「今日丈(だけ)は」は前後際断

5つの戒めの前に、「今日丈(だけ)は」とあります。
これは、このあと続く5つの戒めのすべてにかかってきます

つまり、すべての戒めを、「今日だけはそれをやろう」という思いでやりなさいよ、という教えなのです。
もし、上手くできないことがあっても、その都度「今日だけはやろう」と思うことです。

これは、仏教の「前後際断(ぜんごさいだん)」という考え方です。
「前後」とは、過去と未来のことです。それを「今」という時間の前後の際(きわ)で断ち切って、「今」だけを考えて生きるという意味になります。

これからずっとやらなければならないと思うと、何だか気が重くなりますよね。
でも、「今日だけ」やればいいのだと思えば、割と気軽にできるのではないでしょうか?
また、昨日できなかったことを、くよくよと悩む必要もありません。
昨日はできなくても、「今日だけは」と思って、また挑戦すればよいのです。

過去にやったことの悔み(後悔)や未来に起こるかもしれない心配(不安)を取り敢えず横において、今という時(今日)に精神を集中すること。
それが「前後際断」という教えであり、「五戒」の「今日丈(だけ)は」という思いなのです。

「怒り」は第二感情

「怒り」というのは、とても強烈な感情です。
この感情によって、人は暴力をはたらき、他人を傷つけます。
その感情は集団を煽り、戦争に向かわせることもできます。

その強烈な「怒り」という感情ですが、これは「第二感情」だと心理学では言われています。
つまり、「第一感情」としての寂しさ、恥ずかしさなどを抑圧し、否定しなければならないと思い込むことで、「第二感情」である怒りが湧き上がってくるのです。

たとえば「反省させると犯罪者になります」という本には、こんなことが書かれています。

「実は、「怒り」の感情の奥底には、自分を受け入れてもらっていない(=愛されていない)「寂しさ・悲しさ」といった感情があるのです。とくに日本人は「寂しい」という感情を出すことが苦手なようです。寂しいという感情をうまく出せないと、怒りの感情に変わります。」(p.198 - 199)

このように、こうあってはならないという思いが強ければ強いほど、強い「怒り」という感情になります。

怒りは理性を破壊する

「怒り」という感情は、とても強力なエネルギーを持っています。
したがって、往々にして理性の枠を超え、非常識な行動を取らせてしまいます。

たとえば、人前で暴力を働くというのもそうです。
普通の状態では、鉄道職員に暴力を振るうなどいとうことはあり得ない温厚な人が、怒りの感情をコントロールできなくなると、駅員に殴りかかったりします。

そういうことで、社会的な信用を失ってしまうケースも多々あります。
ですから「アンガーマネジメント」というような、怒りをコントロールする手法を学ぼうと、人々は思っているのです。

怒りは自然な感情

しかし、「怒り」という感情も1つの重要な感情であって、それを抑圧してはならないという考え方もあります。
「神との対話③」には、次のように書いてあります。

「怒りは自然な感情だ。「ノー」と断るための道具(ツール)だ。必ずしも無礼なものとは限らないし、決して他者を傷つけるものではない。
怒ることを許されて育った子供は、おとなになったときも怒りに対して健全な態度でいられる。だから、とても早く怒りから抜け出せる。怒りはよくないものだと教えられて育った子供、怒りを表してはいけない、それどころか怒りを感じることすらいけないと言われて育った子供は、成人後、怒りをうまく処理するのに苦労する。
抑圧されつづけた怒りは、憤怒になる。非常に不自然な感情だ。人びとは怒りのために人殺しをしてきた。戦争が勃発し、国が滅んだ。」(p.45)

このように、「怒り」そのものが「悪い」のではなく、「怒り」をコントロールできず、その感情に翻弄されてしまうことがマズイのだと思います。

実際、怒りをコントロールするためには、まずはその怒りを感じた自分を受け入れるところから始めます。
「あー、自分は今、怒っているんだ。ふ~ん。」と、客観的に考えるようにするのです。
そこから、「なぜ怒っているんだろう?」「こう考えたからかな?」「でも、他の考え方もあるよね?」というように、怒りの原因について冷静に考えられるようになるのです。

怒りは悲鳴と同じ

しかし、自分の怒りを受け入れられないと、自分を怒らせた「相手が悪い」という考え方から抜け出せません。
これはある意味で、「解決不能です」と言っているのに等しいことです。

だって、「相手が悪い」ということになると、相手を正さない限り解決しません。
しかし、相手が正すかどうかは、基本的に相手の自由です。
つまり、自分の怒りを解決するための手段は、相手の手に委ねられているということになります。

ですから「怒りは「助けてくれ~!」という悲鳴と同じ」と言うのです。
「自分にはどうにもできないから、あなた何とかしてよ!!」ということですから。
そのイライラの度合が、乱暴な言葉になったり、暴力になったりして現れるのです。

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