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校内研究と授業づくりについて考える

私の考え方が古い・・・

先日、校内研究を話し合う会に参加しました。
参加して思ったことは、私の頭が古くて堅いということ。

今まで自分なりに一生懸命参加してきただけに、従来の校内研究の枠を取っ払えない自分がいました。

指導案くらい書けないとダメでしょ。
一斉指導で集団を動かせるようにならないとダメでしょ。
ちょっと強制的にでもやらないとダメでしょ。

ダメダメ尽くし💦

逆に色んな枠を取っ払った先の研究がイメージできないのです。
 指導案なくしてどんな授業をするの?
 任せることと放任することを取り違えていない?
 どこで先生たちは学ぶの?
 教師の力量を高めることを各個人にゆだねる方が不親切じゃないか?

教師の学び合うためにまずは、先生達の関係づくりに力を入れている方がたくさんいました。そこからのスタートなんですよね・・・。
ついつい「昔は・・・だった」「私は・・・してきた」なんて言いたくなりますが、老害って言われそうです。確かに時代も子どもも社会も変わってきているので、それに合わせる必要があるのかと思います。

いい授業って?

「いい授業」は実は今も昔も変わらないのかもしれません。
子どもが生き生きと主体的に授業に参加し、その授業で何らの学びや成長がみられる授業。
私もそういう授業がしたくて、あれこれ試行錯誤してきました。
その方法論や手立てが子どもや社会の変化に合わせて変わってきているという感じでしょうか。

ただ、今の学校の制度上、一斉指導のノウハウや集団を動かすスキルは絶対必要だと思うのです。
今は少し個にフォーカスしすぎているような気もします。
集団を育てることが個の成長につながり、一人一人の心理的安全も確保するためにも、やっぱりある程度の「枠」は必要だと考えます。
子どもに任せる・委ねる授業ってものすごく教師の力量が問われるように感じています。

どんな授業をしたいのか、どんな授業を目指したいのか、そういう授業に対しての「思い」をどれだけもてるか、その教師の主体性をいかに育てていくかが切実な課題です。

しかくいアタマをマルくする

年々経験値が上がってくると、どうしても従来のやり方に固執しがちです。
自分の成功体験をもとに考えてしまいます。
特に私は「こうあるべき」「こうでないとだめ」とコントロールしてしまう部分がとても強いです。
何が正解か分からない昨今、私の正解はだれかの正解とは限らないものです。自分なりの納得解を模索していきたいと思います。

何だか何が言いたいのか分からないとりとめのない文章になりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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