和製ピカソと呼ばれた男
その昔和製ピカソと呼ばれた画家がいた。この画家横山天心はその通りまるでピカソをなぞるような少年時代を送ってきた。赤子の頃から美術教師の父に徹底的にアカデミックな美術教育を受け中学を卒業する頃には完全に玄人はだしの絵を描くようになっていた。天心が美大に入るまでに手に入れた賞状は部屋には到底納まりきらないぐらいあった。彼の高校時代の美術教師は天心を日本で一番絵が上手いと発言した。しかしいくら絵が上手くても現代の美術でそれが役に立つかといえばそうではない。美術の世界におけるアカデミズムは印象派によって完全に過去のものとなってしまった。マネやモネが作り上げた印象派はセザンヌ、ゴッホ、アンリ・ルソー等アカデミズムからはみ出した画家たちの登場を可能にした。天心がその名に喩えられたあのピカソはその現実を目の当たりにし、自らの芸術を根本的な所から見つめ直して今我々がしる二十世紀最大の巨匠パブロ・ピカソになったのである。
横山天心もまたピカソのように自らの芸術をレントゲンのように見つめ直した。彼は上京して芸大に入って自分がまるで美術を知らなかったことを思いさらされたのであった。自分は今まで父親の教育に忠実に従って、他の誰よりも上手い絵を描くようになれたが、今の時代はそんなものは通用しないのだ。アカデミズムはもう終わりだ。今の芸術は技術よりも発想こそが尊ばれるのだ。自分も芸術家として生きていくなら思いつきのままに、自由に絵を描いていくしかない。例えばピカソが子供のように描く事を目指したように。
だが、いざ子供のように自由気ままに絵を描こうとしても子供の頃から徹底的にアカデミズムを叩き込まれた天心には出来なかった。いくら描いても子供の絵の忠実な模写みたいなものになってしまうのだ。これはピカソも悩ませた問題であった。彼らのような子供の頃からアカデミズムを叩き込まれた人間には自由に絵を描くという発想がなかった。絵は目の前にあるものを性格に描くこと。正確なデッサンで対象を描きとり、レンブラントやゴヤのように重厚にペイントを重ねていく。それが彼らが幼少の頃から叩き込まれた絵といものであった。ピカソは己が天才でもってその問題を解決した。彼はひたすら子供の絵を模写することによってついにそれを我がものにしえた。だが、天心にはそれが無理であった。こうして十代を日本のピカソだともてはやされあらゆる賞を総なめにした横山天心は美大に入ると途端に凡庸な画家となってしまったのである。
しかし天心は成績だけは学年トップあった。彼の天才少年としての名声は全国レベルのものであったし、彼は教官が与える課題に忠実な作品を仕上げたからである。学生たちの主催による展覧会では彼の作品を見ようと大勢の人が駆けつけた。天心も影からその光景を見て安堵と満足を覚えたが、現物人の誰かがこう言ったのを聞いてギョッとして声の方を振り向いた。
「横山の作品って確かに上手いけどなんの発見もないよね。教科書みたいなもんでなんの面白味もないよ」
「ハッハッ、横山も無理して現代アートやらないでハイパーリアリズムでもやればいいのに。それがこいつに一番似合いだろ?」
「いやいやハイパーリアリズムを舐めちゃいけないよ。ハイパーリアリズムは写実の中にいかに作家性を出すかってことをやってるだろ?横山がハイパーリアリズム描いたって写真にしかならないよ」
「お前さん言うねェ。横山が近くにいたらどうすんだよ」
「あっそうだな。じゃあ奴の話はこれぐらいにするか」
この二人の美術ファンの言葉は鋭く彼の心臓を突き刺した。二人が言っていた事は彼自身が何より感じていた見たくもない現実であった。天心は居た堪れず半泣きでその場を立ち去ろうとしたが、その彼をさらに嘲笑うように男の一人がこう喋り出したので彼は立ち止まった。
「だけど今回の展覧会の最大の収穫は岡本忠則だよ。アイツの作品だけずば抜けてるよ。みんな目を輝かせて岡本の作品見てんもん。特に中学生とか高校生とかがさ。ひょっとしたら岡本が今後の日本の美術界を引っ張っていくんじゃないか?」
「そりゃ過褒にも程があるぞ。たしかに岡本は今回の展覧会ではずば抜けているよ。話題性しかない横山とは大違いさ。だけど岡本にはメチエがないだろ?横山どころか一般の学生にすら劣るよ。将来性は大だけど今はまだまだだよ」
「おいおい、岡本が下手にメチエなんか身につけたら横山みたいなクソつまらないものになるのがオチだろうが。岡本にはメチエなんか超えたものがあるんだよ。見ていろよ。そのうち岡本は俺たちを唖然とさせるものを出してくるから」
「俺だって別に奴の将来性を疑っていないよ。だけどあまり期待をかけすぎるのはおかしいって思うわけだよ。そうやって下手に期待をかけすぎて何人もの優秀な才能がダメになったじゃないか」
天心はこの岡本忠則にはあった事はなかったが、周りから彼の話は聞いていた。この岡本という男はなんで芸大に合格できたのか信じられない程絵が下手で素行もかなり悪い男らしい。しかしその作品は妙に人を惹きつけるところがあり、彼の作品についてよく噂しあっていた。天心はその噂を聞いても特に興味を惹かれなかった。絵が下手で素行も悪いというのが彼にとって問題外であったからである。その岡本某などいずれ消えるもの。自分にとって脅威でもなんでもない。天心はそう思ってずっと岡本を無視していた。
しかしこうしてこの玄人らしき美術ファンたちが岡本を自分を引き合いにだして持ち上げているのを耳にするとその作品がどんなものか確かめざるを得なかった。岡本某が本当にこの天才少年だと全国で認められていた自分を超える才能を持っているのか。いやそんな事はあり得ない。天心はそれを確かめようと重い足を引きずって岡本忠則の作品が展示されている場所へと歩いた。
結果は天心の完敗であった。彼は岡本の作品に自分が描こうとしてついに描けなかった子供のように自由に描かれた絵を見たのである。まわりには大勢のギャラリーがいた。ひょっとしたら自分の作品よりも多かったかもしれない。ギャラリーは先ほどの美術ファンが言っていたように確かに若い客が多かった。将来の芸術家とあるかもしれない中学生や高校生たちが岡本の作品を賛嘆の目で見ていた。ああ!芸大の連中もわんさか詰めかけていた。いつも自分にまとわりついて横山くんみたいに上手い絵を描きたいなんて言っている女の子など目をキラッキラに輝かせて岡本の作品を見ていた。ああ!自分の作品のギャラリーとはなんと違う事だろう。ここには若い芸術の息吹があった。自分のギャラリーには本当に上手いとか、若いのに凄いとか芸の上手い猿に感心するようなことを言う連中しかいなかった。天心は岡本を羨んだ。自分が欲しかったのはこういうギャラリーなのだ。そして自分が描きたかったのはこういう絵なのだ。
天心は岡本の絵に圧倒的な衝撃を受けた。彼はその衝撃を克服しようと奮起して岡本を越える作品を作り上げようとがむしゃらに描きまくった。だがどうやって岡本を越える事は出来なかった。逆に描けば書くほど技術しかない自分の芸術の貧しさを見に染みて感じるのであった。
横山天心の栄光は芸大を首席で卒業した事で終わった。完全に惨め極まりない結果であった。彼はかつての天才少年の名声でプロへの道は約束されたが、世間の注目はとっくに学生時代から話題になっていた岡本忠則に移っていた。岡本は美術雑誌どころか一般誌にも取り上げられ最先端の現代アーチストとして持ち上げられていた。天心は金持ちの依頼を受けて肖像画や風景画を描いていたが、その金持ち連中は度々岡本忠則の名を出してきた。彼はそれを聞くたびに悔しさのあまり体が震えた。ああ!十代の頃自分が天才少年として集めていた注目を今岡本忠則が一身に集めている。未来のアーチストの筆頭には岡本忠則の名がトップに飾られそこに自分の名は全く出てこない。いつの間にか自分は岡本どころかその他大勢にも追い抜かされてしまったのだ。彼は依頼の絵を描いている最中に自分の惨めさに耐えきれなくなって号泣した。天心の生活は岡本への羨ましさと妬みで乱れに乱れた。彼は銀座のクラブへ通い詰めそこのホステスを捕まえて毎夜悔しエッチをしまくった。その結果ホステスが妊娠してしまい、天心は結婚せざるを得なくなった。
結婚しても天心の心は晴れる事はなかった。ああ!彼の問題は結婚したところで満たされる問題ではなかったのだ。自分が手に入れるべき地位を奪い、さらにその上を駆け上ろうとしている岡本忠則を見るたびに悔しさで泣き濡れた。だが一年経ち、二年経ち、三年経ち、子供が大きくなってきて天心はようやく父親としての自覚と芸術に対する諦めがつき始めていた。
あの出来事が起こったのはそんな時である。あの日、天心が家の近くの喫茶店で釣り雑誌の編集者と挿絵の打ち合わせをして家に帰ってアトリエに入ろうと鍵をポケットから出しかけたが、その時ドアが半開きになっているのに気づいてやめた。彼は鍵をかけ忘れるなんて俺もボケの仲間入りか、としょうもないツッコミを入れて半開きのドアを引いたのだが、そのとき彼はアトリエの真ん中のイーゼルの前に三歳となった息子が立っているのを見たのである。天心はこれを見てぞっとした。イーゼルには描きかけの肖像画があったのだ。この肖像画は某化粧品の会社の社長のババアのものであと三日で仕上げなければいけないものだ。ああ!お願いだからキャンバスには触れないでくれと思いながらイーゼルに駆け寄ったが、残念ながら完全に手遅れであった。天心の描いたラファエロかボッティチェッリのように無茶苦茶美化されたババア社長の絵は見るも無惨なゴリラのポンチ絵と化してしまったのだ。ああ!それはまるでスペインのキリスト像がただの猿になってしまったように。彼がこの絵にかけた一ヶ月の努力は全て無駄になってしまったのだ。
「どうパパ、僕絵上手いでしょ、グフフ!」
こうポンチ絵を指差して自慢げに話す息子に彼は殺意を覚えた。元々挫折の末のホステスとの悔しエッチで出来たバカ息子。愛情なんかひとかけらもない。今この場で締め殺してやると憎しみを込めてキャンバスに描かれたポンチ絵を見た時、彼は激しい衝撃を受けてふらついた。天心の頭の中に芸大の栄光と挫折の日々が走馬灯のように流れた。天才だと自惚れどころか当たり前のように思っていた所に現れた岡本忠則。彼は岡本の稚拙極まりない絵の中に自分が望んでも手に入れられなかった子供のような自由な絵を見て芸術を諦めるほどの挫折感を味わった。だが、今ここに、しかも自分のバカ息子が、自分の決して描けなかった子供そのままの自由な絵を描いているではないか!このポンチ絵は、ポンチ絵どころではなく、岡本忠則の作品を遥かに超えた芸術作品であった。何という事だ。自分が望んでも手に入れられなかった芸術を、このバカ息子があっさりと描いてしまうなんて!彼はこの奇跡を目の当たりにして震えた。コイツが俺の目指していた真の天才だったとは。
彼はこの圧倒的に超越した芸術的な肖像画を前にして考えた。これはまず残すのは当たり前だが、かといってこれをあのババア社長に出すわけにもいくまい。あのババア社長は芸術のことなど何もわからぬババア。実物10%、化粧90%の見てくれババアなのだから。デッサンを描くためにモデルになってもらった時会話したが、彼女の芸術への無知と自己肯定感はとんでもなかった。「あら、あなたまだにじゅうだいなの?あなたのようなイケメンに描かれるなんて素敵だわ。このモデル顔でセクシーポディでツルンツルンのお肌をしている私をモネがマネしたくなるぐらい美しく描いてね」。それに大体これは自分の作品じゃなくて息子の作品である。他人の作品を自分のだと嘘をついて売りつけるわけにはいかない。とここまで考えた天心だったがふとこうも考えた。ババアは確かに芸術のわからないバカだが、だが芸術に無関心なわけではない。彼女自身は美術作品を大量に集めるコレクターであるのだ。話題の芸術作品は価値もわからぬまま買い集めている。あの憎っくき岡本忠則の作品さえも。もしかしたらこれを自分があなたを想像して描いた現代アートなのだと嘘の言葉で説得したら彼女を騙せるんじゃないか。もしかしたらこの絵の評判が業界に知れ渡って自分はもう一度十代の頃の栄光を取り戻せるのではないか。天心は息子に対して罪悪感を感じたが、だが太宰治の「子よりも親を大事と思いたい」の言葉に従ってあっさりとそれを乗り越えてしまったのである。息子は俺の悔しエッチで生まれた子供。という事は息子も俺の作品の一つ。名声への欲求に良心を海の向こうにかなぐり捨てた天心はババア社長にこの絵を差し出すことを決めると息子の肩を叩いてにこやかにこう言った。
「これからこのアトリエ好きに使っていいぞ!いや必ずこのアトリエで絵を描きなさい!いいかい?これは教育なんだよ!」
天心の目論見は見事に当たった。ババア社長は彼が見せたこのゴリラの超モダンアートに歓喜しこの絵は一生私のものよと涙を流して言った。パパア社長はいろんな人間に天心が描いた肖像画を見せた。するとそれを見た人間たちもまた周りの人間に天心の肖像画がいかに素晴らしいかを伝えたのである。天心の肖像画の素晴らしさが美術界全般に広まるまでいくらもかからなかった。とっくにあの人は今状態になっていた横山天心がこんな衝撃的な形で復活するとは。人の中にはもしかしたら天心は和製ピカソなのかもというものさえ現れた。ピカソが苦悩の果てにキュビズム以降の作品を描いて行ったように、天心もまた長い、いやそういうにはさして長い期間ではないが、雌伏の時を経てこの超絶なほど新しい作品と共に帰ってきたのだ。
再び自分が天才だと崇められたのを見て天心は猛烈に作品に取り組んだ。彼は朝起きた息子を妻から無理矢理引き剥がしてアトリエにぶち込んだ。そうして息子に描き終えるまで飯とおやつ抜きだと言いつけると自分は目の前でパンと紅茶を嗜んだ。天才である自分の息子であり、彼のアートを実現する人間AIの息子は飯とおやつ欲しさに立て続けに絵を描いた。天心はあんまり自分が描かないのもなんだなと思ったのか息子の描いた絵に申し訳程度に陰影を添えた。
この苦闘の果てに傑作はまるで流星の如く出来上がっていった。己が家族まで犠牲にして傑作を作り上げそれを自らが描いた作品として発表する天心であったが、作品を出すごとに彼の評判は鰻登りとなり、とうとう若手芸術家としてあの岡本忠則と並べられるようになった。人は長い雌伏の時を経て見事美術界に返り咲いたこの和製ピカソを大絶賛した。岡本忠則は天心について聞かれたときこんな事を言っている。
「彼(天心)も同じ芸大で同級なんだけど実は一度も会った事はないんだ。勿論彼の名前は知ってたよ。なんたって天才少年で有名だったからね。だけど僕はこう言っちゃなんだけど当時彼を胡散臭い奴だって軽蔑していたんだよ。アートはテクニックだけじゃねえだろうって。イマジネーションはどこいったんだよって。んなもの関係ねえ。俺は俺のアートをやるだけ。そう思ってずっとやってた。だけど彼の近作を見て今まで軽蔑すらしていた事を謝りたくなったよ。彼は正真正銘の天才だよ。和製ピカソだってのは伊達じゃないね。俺、出来れば彼とコラボしたいと思ってる。俺たち二人ならきっとすげえもの作れるからさ」
天心は勿論この誘いを断固として拒否した。自分が他人とコラボするなどあり得ないとベルリンの壁に壁をさらに加えたぐらいの断固たる拒否であった。人はその天心の姿勢に孤高の芸術家のプライドを見たが、当の天心にとってはやっと取り戻した名声を奪われまいとする必死の防御策であった。
こうして天心は息子を人間AIとして奴隷以下のようにこき使い次々と作品を発表していたが、それは息子が小学生に上がっても変わる事はなかった。彼は大事な人間AIを学校に取られるのに納得いかず学校は通信制にしろと妻に相談したが、言下にはねつけられた。それでせめて時間を取ろうと彼は学校からいち早く息子を連れて帰るために車で息子の登下校をした。彼は車で息子を家に連れて帰るとすぐさまアトリエにぶち込み早く絵を描け!と怒鳴りつけた。これは今であったら間違いなく虐待、警察沙汰の大問題であったが、歴史に残る芸術作品を作らんとする天心にとってはどうでもいい問題であった。俺の芸術のためには息子が絶対に必要なんだ。息子がいなければ俺の芸術は成り立たない。これは天心の生活にとってあまりにもリアルすぎる現実だった。
息子の絵を自分の作品として売っている事がバレないように天心は最大限の努力をした。妻には金をたんまりやりながらこれがバレたら俺たちは終わりだから絶対に誰にもいうなと毎日一時間口止めの文句を言い、当の息子にはアート関係のメディアには一切触れさせなかった。彼はさらに念には念をと息子に学校で絵を描く事を禁じ息子の図工の宿題は息子の代わりにやった。彼は宿題の絵をいかにも子供風に描いたが、それはどう見ても絵の上手い人間がわざとそれらしく描いたものだった。おかげでなんと息子も驚異的に絵の上手い小学生がいると評判になってしまった。なんとこの親子は互いの作品がテレコで評判になってしまったのである。
だがいつまでもこんな事が続くわけはなかった。時は流れ人は歳をとる。老人がいずれ死ぬように子供もいつかは大人になる。息子は歳をとるごとに絵が上手くなっていった。つまり絵がだんだん普通になってきたのだ。この息子の絵の上達ぶりに天心は激しく憤った。ふざけんな馬鹿野郎!俺はいつも天真爛漫にかけと言っているだろうが!なんだこの中途半端に手の込んだ絵は!周りの馬鹿どもに感化されてこんなヘボ絵を描きやがって!いいかお前は子供らしく天真爛漫に絵を描いてりゃいいんだ!
天心は殺しかねない勢いで息子を怒鳴りつけていた。当たり前である。息子が天真爛漫に絵を描いてくれなければ自分の芸術家人生は完全に終わってしまうからである。お前にはまだまだ絵を描いてもらわなきゃいけない。俺が日本最高の芸術家であり続けるためには。だが、息子は罵倒する父をキッと睨みつけてキッパリとこう言った。
「僕はもう子供じゃない!」
十二歳の息子は毅然たる態度で天心の前に立っていた。天心はこの息子を見て全てが終わったと思った。そしてそれをダメ押しするかのように息子の傍にいた妻が離婚届を差し出しながら彼に言った。
「今までずっと黙っていたけどもう耐えられなくなりました。もう離婚しましょ。この子は私が引き取りますから」
こうして横山天心の芸術家としてのキャリアは終わった。人間AIの息子を失った彼は一線を退き再び元の退屈極まりないただの画家に戻った。しかし天心が芸術界に残した衝撃は絶大なものがあり、美術界の者たちは何度も彼に復帰を促した。しかし天心はその度に自分はもう燃え尽きた。ある日突然才能が誰かに手を引かれてドアから消えてしまったんだと沈痛な顔で話すのだった。あの岡本忠則もまた半ば引退した天心を惜しんでこう語った。
「彼は今の日本美術界に絶対に必要な人間なんだ。あれほど素晴らしいアーチストが二度と最前線に戻ってこないなんて悲しすぎるよ。俺はいつか彼が復活する事を信じている。君たちがそう思うように」
しかし天心は復活する事はなく、そしてまた時は流れた。
あれから天心は頑なに美術界への復帰を断り地味な画家として肖像画や風景画、それに雑誌の挿絵を描いていた。人間AIの息子を失ってから彼はひたすら死を待って生きてきた。もはや自分は死んだも同じ。今はただ市の予行練習を続けよう。そう毎日考えながら暗鬱に暮らしていた。離婚してから妻と、そして彼の人間AIであった息子には一度も会っていなかった。妻から断固として会うのを拒否されたからである。妻は苦労が多かったせいで天心との結婚生活ですっか老けそのために再婚の話も聞かなかった。彼自身も誰とも再婚する気も起きなかった。自分がもっと強かったら適当な相手とまた子供を作ってその子を第二の人間AIとして自らからのアートにフル活用できたかもしれない。だが彼はそうするにはあまりにも繊細すぎた。エッチはどんな形であれパッションが必要だ?子作りのためだけだという現実的な理由でできるものじゃない。自分は誰かにパッションを感じるには年老いすぎた。大体子供を作ったところであの息子のような完璧な人間AIが出来上がるわけじゃない。天心は安アパートの部屋に置かれた鏡で白髪がまばらに生え、シワが年齢よりも遥かに深く刻まれた自分の顔を見た。もう全ては終わりだ。
朝、天心が郵便ポストを漁っていると請求書や催告状の山の中に懐かしい名前が書かれた封筒が目に止まった。それは別れた妻とかつて彼の人間AIであった息子からのものだった。天心はその名を目にして涙が止まらなくなった。ああ!もう二度とその名を目にする事はないと思っていたのに。彼は請求書や催告状をガン無視して手紙だけを取り出してアパートの部屋に入った。そして手紙を読み今度は声をあげて泣いた。手紙には妻と息子がそれぞれの近況が書かれてあったが、妻は自分も息子もあなたを許したい。だから今度うちに来てくれと書いていた。息子の方も母と同じように自分を許すと書き、そして自分が結婚している事と、三歳の子供がいる事を書いていた。天心は三歳の子供と書いてあるのを見てかつての息子を思い出した。この子もあの頃の息子のように落書きなんかしているのだろうか。
天心は妻に譲ったかつての自分の家で二人に再会した。涙涙の再会であった。彼は完全に白髪となった妻を見て哀れに思ってまた泣いた。あの幼かった息子は今ではかつての自分を思わせる美丈夫となっていた。それを傍から見ていた息子の妻は天心に向かって自分の息子を見せた。天心は涙を拭って孫を見たが、それはかつての息子瓜二つであった。息子は笑いながら孫を指差して「コイツわんぱくでさ。そこら中に落書きするんだよ」と言った。天心はいかにもわんぱくさがりといった風な孫を見てかつての息子を思い出して目を細めたが、その彼に向かって孫がおぢいちゃんへのプレゼントだよと言って一枚の画用紙を差し出した。
「ハハっ!親父、コイツさぁ会ったことも見たこともないのにおぢいちゃんの絵を描くとか言って描いちゃったんだよね。親父からみてどう?昔の俺ぐらい上手い?俺が昔描いた絵って今オークションで億単位で売れてるらしいな。あっ、ごめん。親父その事に今更文句言うつもりはないよ。で、どうよ。俺の自慢の息子の絵は」
奇跡は一度しか起こらないなんて嘘だった。奇跡は信じれば叶うものだった。天心は人生を半ば諦めても心のどこかでまだ奇跡を求めていた。その奇跡が今こうして息子から孫に受け継がれていたのである。孫の絵はかつての息子よりも遥かに天真爛漫であった。これはこのままにしてはおけぬ。この子はきっと私を救ってくれる!天心は孫を抱えると物凄い勢いで土下座をして必死の形相で息子に懇願した。
「息子よ!お願いだがらこの子を私に引き取らせてくれ!この子がいれば私は今の苦境から脱出できるし再び天才画家として復活できるんだ!だからお願いだ!この子を私の養子にさせてくれ!」
息子は天心から泣き喚いている孫をもぎ離した。そして父親に向かって叫んだ。
「お前どんだけ人をAI化すれば気が済むんだ!いい加減自分で絵を描けよ!」
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