見出し画像

詩人になったジム・モリソン

 60年代の伝説的ロックバンドドアーズが解散して二十年以上経った。ボーカルでありカリスマと崇められたジム・モリソンがパリのホテルでオーバードーズで死にかけて奇跡的に助かった時、ロックバンドのドアーズは死んだ。運ばれた先の病院で目覚めたジム・モリソンはロスにいるマネージャーに電話をかけてこう告げたのだ。

「俺はドアーズをやめて詩人になる。もうガキ相手のお遊びにはうんざりした。ドアーズ続けたいんだったらお前らで勝手にやってくれ。メンバーにもよろしく。あばよ」

 こうしてジム・モリソンはドアーズを脱退し、ガールフレンドのパメラとも別れ完全にロックと縁を切った。残されたドアーズの面々はそれからアルバムを二枚出したが、全く注目されずそのまま解散した。カリスマのジム・モリソン抜きのドアーズなどただの平凡なロックバンドでしかなかったのである。

 ジム・モリソンはオーバードーズで死にかけてから彼はこれからは詩人として生きなければと思った。ロックなんてガキ音楽なんぞやって回り道をしたが、やはり自分は詩人として生きるべきなのだ。そう決意しパリから帰国したあと溜め込んだ原稿を持ってアメリカの各出版に売り込んだ。売り込みはロックミュージシャンとしてのジムの名声もあって大成功だった。ペンギンブックスから出した『ジム・モリソン第一詩集:紙 新しいダンボール』はその年のベストセラーとなった。しかしそれからはだんだん飽きられ今ではその他大勢の平凡な詩人と全く変わらない扱いを受けている。ジムはドアーズを脱退する際に勢いであんなゴミ曲の印税なんかもらわんと言って印税の受け取りを拒否したのだが、後になって非常に後悔した。まさか詩がこんなに金にならないものだとは思わなかったのである。ジムが各出版社に詩を売り込んでいた時、ある出版人が鼻で笑いながら彼にこう言ったものだ。

「詩は金にならないよ。いいからバカな事はやめてポップアイドルの世界に戻りなさい」

 ジムはこの人をバカにし切ったセリフに激怒したが、後になって出版人の言葉が真実であるといやというほど思い知った。詩は金にならない。全く事実そのものだ。ジムは詩だけで食ってはいけぬと大学時代のコネを使って大学講師の職を手に入れた。その某大学は小さな大学であるが、アメリカでもトップクラスの名門であり教授にはアメリカ詩壇を代表する詩人スティーブン・ロウエルなどがいた。

 今ジム・モリソンは詩を創作し、週二日で講師として教壇に立っている。ジムの詩は発表したもうほとんど世の注目を浴びる事はないが、時たまドアーズが雑誌などで特集されるとあの人は今的にジムにも注目が集まる事がある。彼は大学まで取材に来るマスコミにドアーズの再結成はないのかと聞かれるが、その度に否定し自分は今は詩人なんだからとアピールする。だがそうアピールしながらジムは皆が褒め称えるのが彼がドアーズ時代に書いた『ジ・エンド』や『音楽が終わったら』のかつて彼が青春のゴミと否定したものばかりで近作なんぞ見向きもされない事を思って暗い気分になる。

 先日、ジム・モリソンは大学の教授でもある詩人スティーブン・ロウエルの全集の出版記念パーティに招かれた。とはいえ別にスティーブンが直々に彼を呼んだわけではない。単に大学の人文学部の教員を集めただけに過ぎない。パーティ会場に入ったジムは初めてまともに接するこの詩壇の大物にいささかの緊張感を覚えながら挨拶をした。スティーブンは自分に挨拶に来た小太りの中年男に向かって訝しげな顔で尋ねた。

「君も同じ大学にいるのか。全く知らなくて申し訳なかったね。君は詩人という事だが一体どんな詩を書いているのかね?」

「先生、これが私の詩集です。どうぞ」

 ジムは震える手で自らの詩集をスティーブンに渡した。スティーブンはジムから渡された詩集を興味なさげに見てすぐ脇のテーブルに置いた。ジムはそれを見て居た堪れなくなって挨拶をしてからすぐにその場を離れた。スティーブンの元には同業者や出版人が次から次へと挨拶にやってきた。ジムはスポットライトに当たったように輝くスティーブンの地肌丸出しの頭を見ながらかつての自分を思い出して歯噛みした。昔の自分は大観衆の喝采を浴びていた。一時は神のように崇められでいた。その自分がこんな業界人どものお追徴を見て羨ましがるなんて。

 参加者が大方集まったところで司会者に促されたスティーブンが壇上に登った。そのスティーブンを讃えて会場から一斉に拍手が鳴った。スティーブンは上機嫌な顔でそれを制し拍手が鳴りやんでから壇上のスタンドマイクに向かって語りかけた。

「皆さん、この度私の全集の出版パーティーに来てくれてありがとう。私がここまで詩人として活動してこられたのは皆さんの力もあったからです。思えば私が詩人として活動を始めた頃、世はビートニクが流行り始めた頃で、私のようなペールフェイスの詩人は時代遅れといわれていました。あのジョン・アシュベリーでさえ古臭いと散々叩かれたものです。しかし詩にとって何より必要なのは教養なのです。教養は言葉を生み、詩を作り出します。なのにビートニクとやらは教養を無視して感情をそのまま言葉に乗せれば詩が生まれると思い込んでいる。全く恥知らずなほど能無しの連中です。ギンズバーグ、ケルアック、バロウズ。今名を挙げた連中の作品で読むに堪えるものなど一作品、いや一文でもあるでしょうか。彼らの作品にあるのは知性を徹底的に欠いた言葉の排泄物だけです」

 この徹底したビートニクの否定に彼らの影響を深く受けていたジムは愕然とした。このスティーブンがアカデミシャンでT・S・エリオットやウォレス・スティーブンスなどの知的詩人の影響を受けている事は知っていたが、こうして直接露骨なまでに自分の愛する者への軽蔑をぶつけられるとふつふつと怒りが湧いてきた。

「そんな時代に私は詩人として作品を発表し、徐々に世に認められていきました。偉大なるT・S・エリオット氏を始めとした知的詩人たちは皆若き有望な詩人の登場と私を讃えてくれました。エリオット氏からいただいた手紙は今も自宅の寝室の壁に飾っています。私の詩業は彼らの作り出した詩の伝統を引き継ぎをそれを発展させることにあっただと思います。正直に申しまして自分の詩業が彼らのような先人たちに対して恥ずかしくないものであるか、私自身にもわかりません。ですが私はそう信じて今まで詩人として生きてきたのです。その結果数々の賞をいただきそして今アメリカ詩を代表する詩人としてここにいる。これも真に詩を理解する皆さんが支持をしてくれたおかげなのです」

 ここで耳をつんざくような拍手が鳴った。その拍手の大きさにスティーブンは口に手を当てて制した。ジムは再度の拍手をにこやかに制すスティーブンを見てその俗物丸出しの人間性に吐き気を催すほどの嫌悪を感じた。これが自分の憧れた詩人の姿なのかと思った。偉そうに高尚ぶっているが、言っている内容は只の自分の成功譚でしかない。ジムはこのアメリカの詩壇で最高の地位を占めているらしいこの詩人がかつて自分が属していたポップカルチャーの人間よりもはるかに下種な人間であると感じた。拍手が静まった時再びスティーブンが喋り出した。

「皆さん、私は大げさな喝采は苦手な人間です。今後私への喝采は心の中でお願いします。大丈夫です。皆さんの喝采は黙っていても十分伝わりますよ。では続けましょうか。私はここアメリカではそれなりの地位を占めているものの、ヨーロッパの方ではさほど評価は高くありません。これはヨーロッパではいまだにアメリカ人への偏見があるせいでしょうか?先日イギリスの文芸評論家が私の詩集を評してこんな事を書いていました。こんな上品ぶったものはアメリカ詩ではないとね。その評論家は本物のアメリカ詩はホイットマンから始まってギンズバーグに至るレッドスキンの系譜だと書いていました。全くバカバカしい話です。ホイットマンはともかくギンズバーグなど語るに値しないものをそこまで持ち上げるとは。私はヨーロッパ人たちがこのイギリスの評論家のように未だにアメリカ詩をヨーロッパのそれのような知的洗練のない、野放図な感情の垂れ流し的なものだと思っているのではないかと考えています。思えば我がアメリカの文学者は沢山ノーベル賞をもらっていますが、その中に詩人は一人もいません。確かにT・S・エリオット氏や、最近ではヨシフ・ブロツキー君が若くしてノーベル賞を受賞してはいます。が、エリオット氏はイギリスで主に活動し、一方のブロツキー君は元々亡命ロシア人であり、彼の詩はアメリカ詩の伝統の外にあります。私の力不足もあるでしょうが、真のアメリカ詩はヨーロッパでいまだに認められていないのです。しかしそれはヨーロッパだけの話ではなく、わが国でも同様、いや近年はそれよりも一層ひどくなっています。最近私は大学の生徒がこんな話をしているのを聞きました。その学生はもう一人の友達に向かってフォークシンガーのボブ・ディランを現代最高の詩人だと言っていたのです。なんと馬鹿げたことでしょうか。有数のエリート校の生徒でありながら、しかもこの私が教壇に立つ大学の敷地内でそのようなバカげたことを話すとは。このバカ学生の友達はどうやらバカ学生よりよっぽどのバカだったようで、バカ学生を嗜めるどころかもっととんでもないことを言ったのです。そいつはバカ学生に対してアメリカ最高の詩人はボブ・ディランじゃなくてドアーズとかいうポップスグループの名を挙げて、そのボーカルだという人間の書いた詩がアメリカ詩の最高傑作だと語ったのです。私はそれを聞いて憤激して思わずその学生たちを叱り飛ばしてやりました。私はこの学生たちの会話に深く衝撃を受けました。今どきの学生は芸術の詩とポップスの歌詞の区別もつかないとは。私は全く知的退廃ここに極まれる光景をそこに……」

 これを聞いた時会場の人間の何人かが一斉にジムの方を向いた。ジムは自分の中に育んでいた詩人と偶像が完全に崩れ落ちていくのを感じていた。あこがれのランボーもギンズバーグもマックルーアも彼の間で一瞬にして崩れてしまった。俺はなんてバカだったのだろう。ロックをバカにしてこんな下らん世界にずっと身を置いていたなんて、こんな世界のために何もかもを犠牲にしてきたなんて。こんな俗物どもと同じ世界の住人になりたいなんてずっと願っていたなんて。ああ!自分が恥ずかしくなる。ジムは手にしていたワイングラスを壇上のスティーブンに投げつけると、思いっきり壇上へと突進した。

「俺がそのアメリカ詩の最高傑作を書いたドアーズのボーカルジム・モリソンだ!今その詩をお前らのために歌ってやるぜ!」

 そう言いながらジムはファーストアルバムの最後に納められていたあの『ジ・エンド』を歌い出した。ジムは歌いながら一枚一枚服を脱いでいき、上半身丸裸になった。

「見たいかい?」

 とかつて中年太りの体を晒し、腰をくねらせて会場の人間に向かって挑発した。そして動揺する会場の人間に向かって履いていたスラックスのチャックを下ろしてこう叫んだのであった。

「俺はトカゲの王だ!」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?