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図書館にて

 図書館に来たのは随分久しぶりだった。いったい何年ぶりになるだろうか。人の話によると図書館は新型コロナにより一時閉館をやむなくされそれからは時短で開館しているらしい。コロナの影響はやはり甚大で、開館を再開した今となっても通常通りの開館とはいかないようだ。現に私の前の家族連れは入り口に置いてあるアルコールで丁寧に手を除菌してから図書館の中へ入っていったのだ。私もアルコール除菌をしてから図書館に入ったけど、入った瞬間床のあちこちに足跡のマークと2m以上離れてくださいとの注意書きのあるシートが貼られているのをみて唖然とした。私はそれから気を取り直して館内へと進んだけど、棚の中に並べられた本の背中を目にした時、中学時代にこの図書館でいつも本を読んでいたことを思い出した。

 当時の私は今思うと恥ずかしいけど、かなりひねくれた子供で、クラスメイト達がテレビやアイドルの話なんかで盛り上がっているのをよそに、教室の隅っこでいつも一人で本を読んでいたものだ。クラスメイトはそんな私をからかって「そんな活字ばっかり見てよく飽きないね」とよくいってきた。気の弱い私はその時いつも彼女たちに半笑いで答えていたが、心の中ではいつも彼女たちに逆にこう聞いていたものだ。『そんなアイドルのことばかり話してよく飽きないね』と。

 あの頃私は学校が終わるとこの図書館へよく本を読みに行っていた。あの頃は好きだった小説家の新作が入荷されると聞くと走って図書館に向かったものだ。全く今でもその頃を思い出すと恥ずかしくなる。そんなに小説が読みたかったら買えばよかったじゃん。買えなくても本屋に行けば立ち読みぐらいできるよ。いくら図書館でも出たての新刊は予約できないんだし。と中学時代の自分にツッコんであげてやりたいぐらいだ。だけど当時の私にはお金がなかったし、近所の本屋で立ち読みしても店主の冷たい視線に耐えなくちゃいけなかったし、そういうわけで結局は本を誰にも邪魔されずに読むには図書館で読むしかなかった。

 図書館はあの頃とはすっかり変わっていた。館内は隅々まで整備され、中学時代の頃のあの埃にまみれた館内の記憶を留めているものは何もなかった。だけど図書館に来ている人たちの雰囲気は私が通っていた頃と全く変わっていない。親に連れられている幼児。うるさすぎて職員に注意される小学生。勉強中の高校生や大学生。そして暇つぶしにここに来て本を持ったまま寝ている社会人。それからやっぱり中学生たちもいた。この子達はやっぱり受験勉強しているのだろうか。それともただのひまつぶしで来ているのだろうか。あるいは昔の私みたいに小説を読んで現実逃避しているのだろうか。彼らを見ていると無性にあの頃が懐かしくなってきていつの間にか足をYAコーナーへ向けていた。

 YAで私は中学生や高校生たちにまじって昔読んだ本を探していた。その中で見つけた本もあったし、見つけられなかった本もあった。見つかった本はおそらく今もよく読まれている本なのだろう。そして見つけられなかった本は今は借りられていて図書館にないか、あるいは誰にも読まれなくなって除籍処分されたかのどちらかだろう。読まれなくなった本が除籍処分にされたと知ったら昔の私だったら泣きはしないものの、ひどく悲しんだだろう。だけど今の大人になった私はそうなったとしてもしょうがないと冷静に受け止めるだろう。この世界は需要と供給で出来ているのだから需要がなくなったものは自然と廃棄されていくだけだ。

 そうして昔読んだ本をめくって思い出に浸っていると、私はふと昔のとある出来事を思い出した。それは正直に言ってあまりいい思い出ではない。といっても今すぐ忘れたいほど辛い思い出というわけではなく、今の私なら笑って振り返ることのできる思春期の失敗の一つた。あの本はまだあるのだろうか。除籍処分されていないだろうか。私は突然現れた思い出に引きづられるようにいつのまにか900,文学の場所にいた。


 私は小学校から中学時代までずっとラノベばかり読んでいた。けれどいろいろと読んでいるうちにその世界観にもだんだん飽き始めてもいた。当時流行っていたラノベのどれも同じようなストーリー小説を読むのが苦痛になりはじめていたのだ。私はそういうものよりももっとリアルなものを読みたくなっていた。あの日も私は純文学になら自分の求めているものがあるんじゃないかと思いながら900,文学のあたりをウロウロしていた。どんな小説が置いてあるかなんて全くわからない。とりあえず外国文学はわからないので、日本文学の棚に移動して本を見て回った。とりあえず芥川龍之介や太宰治とかの国語で習っているような作家は除けておいて、それよりももっと今の時代を書いている小説を探した。そうして見て回っていた私は背中が一面透き通ったようなブルーの本の前で足を止めた。その本は『世界の果てから君を呼ぶ!』というタイトルの小説だった。

 そのタイトルを見た瞬間私は妙な甘酸っぱさを含んだ気恥ずかしさを感じてその場に立ち止まった。そしてしばらく本を見つめて読もうか読むまいか考えた。読もうにもあまりに直球のタイトルに気恥ずかしさを感じてためらってしまう。だけど私は迷いを振り切って本に向かって手を伸ばした。その時だった。突然私と同じぐらいの年頃の男の子が横から入ってきて、いきなりその本を取ってしまったのだ。突然の出来事に唖然とした私は放心したように男の子を見つめていたが、男の子はそんな私を一瞬見てすぐに図書館のカウンターへと歩いていった。

 読もうと思っていた本を目の前で奪われたことに軽いショックを感じた私はその後結局なにも本を借りることなく、図書館を出た。そして家の自分の部屋に入るとさっきの出来事を思い出し、急にあの本が読みたくなってきた。それはおそらく大して欲しくもなかったおもちゃが売り切れたと知ると急に欲しくなってしまう子供にありがちの反応だった。そして読みたい気持ちが異常なぐらい高まってきて、翌日学校が終わるとすぐに近所の本屋やブックオフに行ったけど、私のあの本は一冊もなかった。結局図書館で借りるしかないのか、だけど図書館の貸し出し期間は2週間だ。それまで私に待ってろというのか。と当時の私は本気で憤ったものだった。読んだこともない小説にそこまでのめり込むなんてバカの極みだけど、そういう経験をしてみんなそういう体験をして大人になってゆくのだろう。しかしこの話には続きがあって、というよりこれが話の始まりなのだ。


 奪われた本のせいで眠れぬ夜を過ごしていた私は我慢が出来ずに翌々日にまた図書館に行った。しかしたったの三日で本が返ってくるわけがない。全く自分はバカだと思いながら図書館に行っていた私は入り口で偶然一昨日の男の子に出くわしたのだった。私は男の子の突然の登場にビックリしたけど、無理矢理平静を装った。そして彼から顔を背けて中に入ろうとした時だった。男の子が後ろから私を呼んでいたのだった。私は驚きのあまりその場に立ち止まった。その私に向かって男の子が挨拶してきた。

 私はまず男の子から声をかけられたことに驚き戸惑った。異性に声をかけられるなんて初めてだったからだ。だから私は彼を避けて返事さえろくに中に入ろうとした。その時男の子が再び私に声をかけてきたのだ。

「あのさ、一昨日僕が借りたあの本今返してきたとこなんだ。今なら借りられるよ」

 見知らぬ男の子にいきなり言葉をかけられたので私はあたふたして口を開くことさえ出来なかった。男の子はそんな私に一語一句を区切るようにハッキリと言った。

「一昨日に僕が借りた本今返したんだ。読みたかったら今あるから読んで!」

 私は彼のあまりの真剣さに思わず吹き出してしまった。私はすぐに口を塞いだけど、男の子は怒ったようで撫然とした態度で私をみると何故か図書館員の所に言って私を指差しながら大声で言ったのだ。

「ええっと、今返した『世界の果てから君を呼ぶ!』って本なんですけど、そこにいる女の子が借りたがってるからもう一度本出してください」

 彼がこう言った瞬間、その場にいた人たちが一斉にこちらを見た。全くなんて事をしてくれたんだろう。こんなの全く赤っ恥ではないか。私は恥ずかしさのあまり顔が赤くなってしまった。そしてそのまま俯いて黙っていると男の子が再び近寄ってきて本を私に突き出してきた。そして「早く貸し出しの手続きしなよ」と言ってそのまま立ち去ってしまったのだ。

 全く恥ずかしいにも程がある。運が良かったのはあの場にクラスメイトが誰もいなかった事ぐらいだ。結局私は彼の言う通りに本を借りて一目散に家に帰ったけど、その日はずっとあの場面が頭から去らなくて結局本を読む気にならなかった。


 だけど翌日にようやく落ち着いて学校から帰ってから本を読んでみることにした。だけどいざ読もうとするとあの時の場面がチラついてなかなか本に集中出来なかった。彼は昨日までこの本を手にしていてもしかしたら昨日まで熱心に読んでいたのかもしれない。私は彼の後を追って本を読んでいるのだ。しかしそのままページの活字を追っているうちに徐々にストーリーに入り込んでいけるようになった。

 小説の舞台は南の地方にあるとある高校だ。その高校に通っている主人公とヒロインは同級生で恋人関係だったが、ある日ヒロインが病に倒れてしまう。主人公は倒れたヒロインのお見舞いに行くが、やがてヒロインが病気の療養のために南の島に転院してしまう。このまま会えないままに全てが終わってしまうのか。主人公そう絶望的な気分になっていたが、そんな彼の元にクラスメイトが一通の手紙を渡す。それは紛れもなくヒロインの筆跡で書かれた手紙だった。その手紙を読んだ主人公は南の島にヒロインを訪ねるが……。

 とざっと思い出すとこんなストーリーだったと思う。今から考えればありきたりの青春もので特に特筆すべきところではない小説だ。だけどある時期にはこういうものが一番心にくるのだ。恐らく彼もそうしてこの小説にのめり込んでいたのだろう。私も読みながら何度もウルっとくる瞬間はあった。だけどそうして泣きながら読んでもチラついてくるのは、すでにこの小説を読んでいるだろうあの男の子のことだった。彼は私よりも一足早くこの小説を読んだのだ。ページを捲りながら自分でもわからぬ悔しさがだんだん込み上げてきた。

 そうして私は三日間で本を読み終えるとすぐ図書館に返しに行った。別にもう少し借りて読み返してもよかったのかもしれない。だけどあの時の私は一刻も早く本を手放したい思いでいっぱいだった。本を読んでいる間やたらあの男の子の姿がチラついて何故か腹が立ってしょうがなかったからだ。

 私はこの間みたいにあの男の子に会ったらいやだなと思い、どうかあの子に会いませんようにと願って図書館の中に入った。しかしやっぱり悪い予感的なものは当たるのか、しっかりとあの男の子はいた。彼は私を見つけるとおおっ!と声を張り上げて私に近寄ってきた。私は彼の大声でその場にいた人たちが一斉にこちらを見たのであの時のように顔を真っ赤にしてしまった。私は彼を無視してカウンターへ本を返した。そしてそのまま図書館から出て行こうとしたらまた男の子が私を呼んだのだ。

「お〜い!待ってよ!」

 私は呼ばれた瞬間何故か立ち止まってしまった。彼は本を片手にその私の方へと天真爛漫そのものの笑顔を浮かべて近寄ってきた。なんて子なんだろうと私は思った。今まで男の子とろくに話したことのないのにズケズケと入り込んでくるなんて。私は怒って男の子を睨みつけた。だけど本を片手に持った彼のあまりにも天真爛漫な笑顔を見ると怒るのもバカバカしくなってきた。男の子はその私に向かって話しかけてきた。

「あのさ、ちょっと時間いい?」

 私は思わずうなずいてしまった。あっさりと男の子の誘いにのるなんて当時の私の性格だったらまずありえないぐらい大胆な行動だ。きっとあの時の私は彼に仲間意識を感じていたんだと思う。多分彼も同じだったはずだ。

 私と男の子は図書館を出ると近くの土手まで無言で歩いた。そして土手に座ると男の子が話しかけてきた。

「あの本どうだった。結構泣けただろ?」

 私はその男の子の口ぶりから彼があの小説に夢中になっている事を読み取った。私が時々ウルっときたと正直に言うと、彼は僕もだと身を乗り出して熱に浮かされたように、自分の好きな場面を次から次へと語り始めた。私は彼の話にすっかり聞き入ってしまい、彼が私の同意を得ようとだろ?とか言いながらこちらを見ると、私は反射的に声を上げて相槌を打った。彼の話は聞いているだけでも楽しかった。彼ほどあの小説にのめり込まなかった私でも、彼の話には全力で耳を傾けた。そして話が終わり別れる時に彼は「今度はこれを読んでるんだ」と言って手に持っていた本を私に見せてくれた。その本のタイトルは残念ながら思い出せない。読んだかどうかさえ覚えていない。なぜなのか今考えると多分あの時は本よりも彼という存在に夢中になっていたからだと思う。私たちはごく自然に互いの名前を教えて、そしてまた会う約束をした。

 私たちはそれから何度となく会った。とはいっても恋など知らない奥手の中学生同士だ。私たちは会っても他の同級生たちのようにデートをするわけでもなく、ただ本についてや互いの将来についてたわいない夢を語るだけだった。最初は互いのオススメの本なんかを語り合っていたが、そのうちに自分たちの普段の日常や将来の夢なんかを語り合うようになった。主に彼が自分の夢を語り私がそれを聞いた。彼は小説家になりたくて実際に小説を書いていると言っていた。彼は私に会うたびに今書いている小説の事を話して、そのストーリーを説明してくれた。彼の書いている小説のストーリーは今から考えれば中学生らしいたわいのないものだと思う。彼の小説は私たちが夢中になっていた本のまんま焼き直しで、恐らく今の彼にとっても若気のいたり的なものじゃないかと思う。だけど当時の私は彼の話すストーリーに感激して「完成したら絶対に読ませてね」なんて彼と約束したりしたのだ。

 彼と話しているのは凄い楽しかった。当時のひねくれた性格のせいでクラスメイトとも表面的な関係しか築けなかった私にとって彼は唯一の親友だった。私は彼と会うと遠慮なく自分の悩みを打ち明けた。クラスメイトとうまくいかないとか将来への漠とした不安とか彼にだったらなんでも話せた。彼は私の話を真剣に聞いてくれどうしたらいいか一緒に考えてくれた。でも彼も同い年の中学生なので解決方法は何も見つからなかった。だけどそれでも私は嬉しかった。私をこうして親身に思ってくれてる人がいる。それだけで充分だった。

 彼は会うたびに書きかけの小説のストーリーを説明して私にどうしたらいいか相談くるようになった。どうやら話が煮詰まって先に進めないらしい。その顔は真剣そのものでそれがなんかおかしかった。私も当然相談に乗ったけど、所詮は中学生の頭だ。プロではないので何も解決策なんて見つからない。結局の私たちの話は書きかけの小説からいつの間にか離れて空想へと移り、いつまでもその空想について語り合った。


 こうして彼と会ってずっと話しているのは本当に楽しかった。こんな事を人に話してもバカにされるだろう。中学生なら思春期だし男女がそうしてずっと会っていれば恋心だって芽生えるだろうに、私たちはそんな関係には到底至らずただいつも空想に浸っていただけなのだから。

 実際に私のクラスメイトにも男の子と付き合っている女の子は何人かいた。彼女たちは教室で彼がああしたこうしたと語り、さらには顔を赤らめるような話までした。私は彼女たちの話に耐えられなくなって教室を飛び出した。あの頃の私は純粋で潔癖症なところがあった。今だったら完全な笑い話だけど当時の私は男女交際の話に激しい嫌悪を感じていた。今から考えるとその嫌悪感は思春期に誰もが通過するもので、あり要するに性的な嫌悪感だっただろう。とにかく私はそういう話を彼女たちがするたびに遠く離れた彼を想い、彼に無性に会いたくなった。

 そうして私は学校の授業が終わると土手に行って彼といつものように話をしていたけど、彼が会うたびに無口になっているのがなんとなく気になっていた。私が小説はどのぐらいまで進んだと聞いても、ああとかハッキリしないことばかり言って具体的な事を何も言ってくれなくなった。私はなんとか彼を楽しませようとして昨日読んだ本のことを喋っても彼はどこか上の空のような空返事をするだけだった。私はこの彼の態度の変化にもしかしたら自分といるのがイヤになったのかなと思うようになった。


 その日私はいつものように学校が終わると真っ直ぐ彼の待つ土手へと向かった。一刻も早く学校のうんざりする現実を彼に会って忘れたかった。だけど土手で待っていた彼はいつもよりもずっと無口だった。彼は私の話にろくに答えず何か思い詰めたように顔を逸らした。私は何かあったのかと声をかけようと思ったけど、彼からもう会いたくないとか言われるのが怖くてなかなか話かけることが出来なかった。彼はふと何かを決意したのかいきなり私の両手をとって見つめてきた。私はいきなりの彼の行動に唖然として頭が真っ白になったが、彼はその私に向かって何かを言った。

「あ……あの」

 彼が私の両手をとって口を開いた俊寛、私の頭に浮かんだのはまず男女交際を語る同級生の話だった。まさか彼も異性としてしか私を見ていなかったのか。私は「やめて!」ともがいて身を振り解くとそのまま走って逃げた。

 私は家に帰ると夕食も取らずそのままベッドに飛び込んで泣いた。当時の私にとって彼の取った行動は酷い裏切りでしかなかった。今考えればもう少し彼の話を聞いてあげたらよかったと思う。手を取られたぐらいであんなに拒絶することはなかったと思う。だけど当時の潔癖症の極みだった私にはああするしかなかった。だって彼がした事は私への裏切り行為でしかなかったからだ。私は泣きながら彼を呪った。この世界で彼だけが仲間だと思っていたのに、彼も他の人間と全く同じだった。あの時図書館員に本を貸してくださいって言ったのも、私と付き合いたかったからに違いない。私の中で涙と一緒に全てのものが剥がれて醜い現実が現れる。私はそうして一晩中泣き明かした。


 その後私はこの図書館には二度と来る事はなかった。来れば彼に会うだろうし、あんな人間には二度と会わないと決めていたからだ。

 そうして時は流れて高校生となり、私は恥ずかしながらあの純粋だった中学時代が嘘のように堕落した(笑)高校に入ってから中学時代の遅れを取り戻すかのように急に男女交際に積極的になった。そうして大学時代を経て社会人となり、多くの出会いと別れを経験した一人の大人として今この懐かしの図書館にいる。さて、あの本はまだあるのだろうか。今も本棚に収まっているのだろうか。私は900.文学の棚をあ行から目で追った。


✽✽

 本を見つけた瞬間、私は驚きと少しの嬉しさのあまり思わず声をあげた。本の背中は年月のせいですっかり古びてしまってたけど、あの時と全く同じ場所にあった。こんな誰も読みそうにない本が今も置かれているのは奇跡としかいいようがなかった。私は懐かしさが込み上げてきて思わず本を手にとってページを捲った。と、そこに私はメモ用紙が挟んであるのを見つけた。誰かが間違って本に挟んでそのまま返したのかなと思ってサラッと見たが、私はその筆跡を見た瞬間、衝撃を受けて思わず本を落としそうになった。

 それはあの男の子が私宛てに書いたメッセージだった。書き出しに私の名前がハッキリと書かれているのでハッキリとわかった。私は動揺を抑えようと何度も深呼吸をした。そのメモは本の古びようとは対照的に、紙もボールペンの筆跡もまるで今書かれたように新しかった。まるで過去からここまでワープしてきたみたいだった。私は本からメモを抜き出すとそのまま手にとってしばらく放心したように立っていた。ふと急に体が震えてきたのを感じた。あの時の記憶が異様に鮮明に蘇ったからだ。あの時私が自分から逃げた時、彼はどう思ったのだろうか。自分がした事に後悔しただろうか。そして深く傷ついたのだろうか。私もあの時感情のままに彼を拒絶したけど大分後になってから幾分かの後悔に苛まれた。だけど今となってはすべて過去となってしまった。今私が手にしている彼の私宛のメッセージは当時の私に関する貴重な証言だ。私は少々甘酸っぱい恥ずかしさに耐えながら彼からのメッセージを読み始めた。

〇〇○さんへ

この間はごめんなさい。あのときは僕自身ちょっとわけがわからなくなって君にあんなことをしてしまいました。あれから君に謝ろうと図書館に何度も行ったけど、君は図書館にいないし、君の学校に行っても君を見かけなかったのでこうして手紙を書いて謝ります。あの時なんであんなことをしたのか後から冷静に考えたんですけど、やっぱり君に恋してしまったからだと思うんです。僕は君と小説や将来の夢について語っているうちにいつの間にか君を好きになってしまったんです。いつも君のことばかり考えて、一人でいるときも君のことばかり考えていました。小説を書いているときも君ことが浮かんできてヒロインまで君そっくりになっていました。僕は自分の気持を抑えることができなくなって君に何度も告白しようと考えました。だけどなかなか勇気が出なかった。告白したら君に嫌われるんじゃないか。二度と僕に会ってくれなくなるんじゃないかと思ったのです。

あのとき僕は今日こそ君に告白すると決めていたのです。それに僕たちにとって大事な話もするつもりでした。だけどいざ君を目の前にすると何も言えなかった。やっぱりいざとなると怖くなったんです。あのとき僕は自分に苛立っていました。自分の勇気のなさに腹が立っていました。これじゃ告白どころか、大事な話さえできなくなる。そんな焦りが爆発してあんなことをしてしまいました。本当にごめんなさい。できれば僕を許してほしいです。

あと君にあの時伝えたかった大事なことを伝えなくちゃいけません。実は僕、父の転勤でもう少ししたらアメリカにいかなくちゃいけなくなったんです。本当はアメリカなんて行きたくないけど、家族で一緒に行くって決まったから従うしかありません。だからそれまでに君にもう一度会いたいです。会って謝罪とお別れをきちんとしたいです。この手紙を読んでもし許してくれるなら、もう一度僕と会って下さい。

〇〇〇〇

 私は読み終わると深い溜め息をついた。これは紛れもないあの時の彼が私宛に送るはずだった手紙だ。だけどなぜ本の中に挟まっていたのか。彼がいつか私が読むかも知れないとわざわざ本に挟んでおいたのか。あるいはあの後彼はもう一度この本を借りたけど、返却の時にこの手紙を挟んだまま返してしまったのか。それは今となっては確かめようがない。そしてこの過去からやってきた彼の真摯な謝罪と別れの手紙に対して今の私はなんと返事を書けばいいのだろう。今の私だったら素直に彼の謝罪を受け入れられるし笑い話にだって出来るだろう。だけどあの時の私と今の私は全く違う人間だ。もし今の私が過去の私の代理で返事の手紙を書いたら、過去の私になりすましと訴えられるかも知れない。それは私だけではなく彼もそうだろう。今もどこかで生きていて、もしかしたら誰かと結婚しているかもしれない彼も、遠い過去の自分が書いた出し忘れの手紙の返事をもらったところで戸惑うだけだろう。だけど私はそれでも嬉しかった。こうして長年の誤解が解けただけでも嬉しかった。もしこの手紙が私のところに届いたら私と彼はどうなっていたのだろうか。私と彼は正式に交際をして彼は書きかけの小説を完成させることが出来ただろうか。そうしてありえた未来について考えると胸がいっぱいになってきた。私は彼の手紙をポケットにしまい、本を棚にそっと戻した。


《完》

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