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高熱大陸『フォルテシモに翔ける 〜カリスマ指揮者大振拓人の現在』

 今夜の高熱大陸は今クラシック界で最も注目されているカリスマ指揮者大振拓人さんを特集します。この番組が民放初出演となる大振さん。番組はその大振拓人さんのプライベートを密着取材しました。あのフォルテシモの叫びはどうして生まれたのか。なぜあそこまで熱い指揮をするのか。その真相を大振さんに語ってもらいます。ではフォルテシモなカリスマ指揮者大振拓人の世界へようこそ。


プロローグ

 大振拓人。彼こそクラシック界で今最も注目を集めている指揮者である。大振はカリスマ指揮者と呼ばれ、クラシックではダントツの人気を誇っている。彼の指揮するコンサートのチケットは一瞬にしてソールドアウトとなり、コンサートの当日には熱狂的な大振ファンが詰めかける。その甘いルックス、その激しい指揮、その華麗なるダンス、そして彼が演奏中に叫ぶフォルテシモの咆哮はコンサートのたびにセンセーションを巻き起こしている。カリスマ指揮者大振拓人はクラシック界は勿論、他のジャンルのアーティストからも注目されている。その中から今回は各ジャンルを代表してこの二人にカリスマ指揮者大振拓人の魅力を語ってもらうことにしよう。まずは大振が音大生の頃からのファンだという人気女優澤村真由美さんだ。

女優 澤村真由美

「私が大振さんを知ったのは彼がまだ音大生だった頃です。撮影の合間にYouTubeを観ていたらいきなりトップに彼のベートーヴェンの『運命』の演奏会の動画が出てきたんです。私は小さい頃ピアノを習っていて、それでクラシックが好きだったのでなんとなくその動画を観たんです。もう最初から圧倒されましたね。だっていきなり床に指揮棒叩きつけてるんですよ。私一体何が起こってるんだって目が点になりましたね。でも続けて彼が客席に向かって跪いて祈りのポーズをしたのを見てこれはクラシックの全く新しい表現だってことに気づいたんです。クライマックスのフォルテシモの叫びは圧倒的でしたね。私フォルテシモって叫ぶ大振さん見て、この人はデビューしたら絶対日本でトップの指揮者になるって思っていましたけど、あっという間になっちゃいましたね。もうそれ以来私大振ファンになって撮影がないときは必ずコンサートに行っているんですよ。だけど何故か一度も会ったことないんです。大振さんともし会えたら同世代として深く語り合いたいなって思ってます」

 大振拓人は他の若手演奏家は勿論だが、音楽業界全般でもジャンルの垣根を越えて同世代のポピュラー音楽のアーチストも魅了している。次に語ってもらうのはロックバンドハルマゲドン・ブラザーズのボーカル&ギターのゲンゴロウだ。

ロックミュージシャン ゲンゴロウ

「僕が大振くんの演奏をまとも聴いたのは、みんなと同じようにYouTubeのコンサートの動画です。曲はチャイコフスキーの『悲愴』でしたね。それまでは彼の名前は知ってたけど、こっちはロックやってるし、畑違いの人間だなって思ってました。まぁ海外のアーチストチェックしようとしてYouTube開いたらトップで大振くんのコンサートの動画が出てきたんですよ。それ観て僕ああこれが今話題の大振拓人かって試しに観てみたんです。出だしから圧倒されましたね。僕ステージを駆けずり回って踊ったりぶっ倒れたりしている大振くん見てこれってクラシック?ロックじゃないの?って何度も思いました。特に第四楽章で彼が絶望的にフォルテシモって叫ぶところなんか完全にジム・モリソンとかカート・コベインだったんですよ。僕は髪を振り乱して絶叫する彼をみて同世代に、しかも同じ日本人にこんなすごい奴がいたのかって興奮しましたよ。僕は大振くんはクラシックの音楽家じゃなくて彼らとかデヴィッド ・ボウイとかフレディ・マーキュリーみたいな昔のロックスターとして見てるんですよ。今ロックって、勿論僕らの力のなさもあるんですけど、カリスマ的なロックスターっていないじゃないですか。みんな音楽好きの気さくな兄ちゃんって感じでしょ?だけど大振くんにはそういうカリスマ的なロックスターのオーラがある。僕は悲愴の最後でステージに倒れている大振くんに熱狂しているオーディエンスを見てロックスターはクラシックに取られたんだって悔しくなりましたね。それと彼が自分で作った交響曲の初演コンサートで最後に歌った『抱きしめたい』って曲にもやられました。あの曲一聴するとただの歌謡曲みたいに聴こえるんですけど、実はオーケストレーションがとんでもなく複雑でまるでサイケデリックに聴こえるんですよ。ほら、レディオヘッドのトム・ヨークがリスペクトしていたスコット・ウォーカーみたいな感じの。僕ら今度のアルバムであの要素を取り入れようと思ってるんです。それで彼も参加してもらおうと思ってるんですよ。だけどあの『抱きしめたい』どうしてリリースしないんだろう。名曲中の名曲なのに。大振くんとはララミー賞の授賞式で一度会った事あるんですよ。僕らと彼はそれぞれオルタナとクラシックで大賞貰ったんですけど、その時にちょっと会話したんです。大振くん僕らに向かって「君たちあんな不協和音だらけの単純な音楽まともに出来るなんてある意味凄いよ。僕には死んでもできない」なんて言っていたけど、あれって褒め言葉だったのかなあ~。とにかく彼はもうクラシックに収まる人間じゃないです。いっそ『抱きしめたい』に続く歌謡サイケデリックソングを作ってロックに殴り込みをかけてほしいですね」

密着:早朝の大振拓人

 某日夜明け前、我々取材班は大振拓人の自宅へと向かっていた。カリスマ指揮者の大振を完全密着するためだ。大振の住居はタワーマンションの上階にある。我々は大振の自宅の前につくと早速インターフォンを鳴らした。すると大振は濡れた長髪に上半身裸で腰にタオル一枚巻いただけの格好で我々を迎えた。

「お見苦しい姿を見せてすみません。今シャワーを浴びたところでしてね」

 大振は我々を快く部屋の中に迎え入れ、タオル一枚で先を歩きながらロココ調だか、アール・ヌーヴォー調だか、ユーゲント・シュティール調だかそんなとにかく豪華な自宅の内装を時々立ち止まっては詳しすぎるほど語ってくれた。我々はタオル一枚で逐一説明してくれる大振に申し訳ないと思ったので、彼の話を強引に遮って、いつもこんなに早く起きるのかと聞いた。

「そうです。僕はこの超高層マンションから世界の夜明けを見るのが好きなんです。太陽が立ち上るとマンションやビルに明かりが点き人が活動を始める。僕は毎朝その世界の目覚める瞬間をベランダから見るたびに神の立場でこう考えるんです。どうやったらこの世界を指揮しきれるのだろうかと」

 大振拓人の一日は毎日完璧なまでのスケジュールに沿って進む。夜の明ける前に目覚めシャワーを浴びる。それからコーヒーを手に陽が登ってゆくのをしばし眺める。朝日が街を照らしたら大振も朝食を取る。彼はタオル一枚巻いたまま服も着ずに朝食を食べる。メニューはウィンナーを挟んだトーストにサラダというシンプルなものだが、彼はその後にたまごを二個丸呑みする。我々は大振の上半身がまるでボクサーのような鋼の肉体をしているのに驚いた。確かに普段から体を鍛えていないと一時間、いや曲によっては二時間超にも渡って、あの激しい指揮をやり続けることは不可能だ。しかし手鏡で何度も自分の鋼の肉体を見つめる大振を見ているとどうもそれだけではないような気がした。

「ははっ、僕が何故こんなに、まるでアキレスのように体を鍛えているのかですって?それはマーラーの第一の『巨人』の指揮をしたからですよ。この曲の演奏を依頼された時僕はプロの指揮者として活動を始めたばかりで経験がなかったから、クソ真面目にこの交響曲を理解するためにいろんな事をしたんです。曲の標題の元になったジャン・パウルの小説はドイツ語のやつを五分で片付けてやったし、さらに巨人とは何かを知るために今までやったこともなかった野球を学んで、腕試しに読売ジャイアンツの入団テストを受けてみたんです。まぁ受かると思って受けたのですが、やはりトップで受かってしまって球団総出の入団の誘いを断るのに難儀しました。そうして必死に巨人とは如何なるものかを理解するためにいろんなことに挑戦しましたが、いくらやっても全く理解出来なかったんです。だけど、ある時ハッと気づいたんです。もしかして巨人とは僕自身のことではないかと。これには自分でも驚きました。しかし考えてみれば当たり前なのです。むしろ生まれながらの天才の僕が巨人でない方がおかしいのです。きっと作曲したマーラーやその標題の元となった小説を書いたジャン・パウルは僕のような天才をモデルに巨人を書いたに違いない。僕は考えに考えた末にこの結論に辿り着きました。ならば今から巨人に相応しい体を持った完璧な人間になってやろうではないか。というわけで完璧に巨人になるためにこうして体を鍛えているわけです。巨人とは常に完璧でなければならない。あの完璧に近い肉体を持っていたアキレスは踵に弱点があった。だが本物の巨人は、本物の天才はそのような弱点があってはならないのです。巨人とは、天才とは常に完璧でなくてはならない。僕は巨人として、天才として常に完璧を維持しなければ……」

 語り出したら雪崩のように止まらない、そんな怒涛のような口ぶりであった。大振は我々を無視してタオル一枚で激しく身振りを交えて喋っていた。我々はフォルテシモなまでに己が世界に入り込んでしまった彼が心配になり再び話を強引に遮ってもう時間じゃないですか?と聞いた。すると彼は壁の十九世紀にスイスで作られたものだという、厳しい針の音を立てる柱時計を見てそのようですねとつぶやいて立ち上がった。彼はドアを開けて我々を衣装部屋へと招き入れた。そこには燕尾服とスーツがズラリと並んでいた。大振は我々対してこれが僕の持っている服全部だと言った。我々は彼にプライベートでは同世代の若者のようにカジュアルな格好はしないのかと聞いた。

「そんな若者バカものの真似などこの大振拓人がするわけがない。大体僕にはプライベートなどという概念はないのです。僕は目覚めた時から大振拓人なんですよ。いや、寝ている時だって大振拓人なんです。僕は二十四時間年中無休ずっと大振拓人なんですよ」

 大振は着替えるために我々に衣装部屋から出るように言った。しばらくすると衣装部屋から燕尾服に着替えた大振は指揮棒を持って現れた。彼は指揮棒でベランダを指して我々に今からあそこでフォルテシモしますからゼウスの如く凛々しく撮ってくださいと言ってきた。

 我々が撮影の準備ができた事を伝えると大振はすぐさまベランダに上がった。彼の眼下には目覚めたての都市の風景が広がっている。大振はさっと両手を上げて指揮棒を振り始めた。その瞬間我々は驚くべきことにオーケストラが聴こえくる錯覚を覚えた。大振と同じく音大に通っていたスタッフによると彼が振っていたのはベートーヴェンの第九らしい。彼は今この眼下の大都市に住む人間に向かって励ますように第九を振っていた。その姿はアキレスのような英雄どころかギリシャ神話のゼウスさえ思わせた。今、ゼウスと化した大振拓人はこの果てしなき高みから地上の人間たちに向かって声を張り上げて叫ぶ。

「フォルテシモぉ〜!」

密着 その2:大振拓人へのいくつかの質問


 大振拓人と我々は今度発売されるCDのために収録したチャイコフスキー第六番『悲愴』のマスタリングのために都内のレコード会社内にある某スタジオへと向かっていた。その車中で我々は大振にもはや彼とは切って離せなくなったあのフォルテシモをなぜやり出したのかを聞いた。すると彼は不適な笑みを浮かべてこう答えた。

「僕がどうしてフォルテシモをやり始めたかですって?それは僕の前の指揮者という指揮者が全て作曲家に甘えているように見えたからです。僕は子供の頃からその指揮者たちのその退屈極まりないコンサートを観ながらこう思っていました。コイツらは作曲家に甘えきっている。譜面の指示に従っていれば一生安泰だと思っている。コイツらは社畜ならぬ楽畜がくちくだと。何故作曲家と闘わないのだ。作曲家の曲を楽譜通り演奏する指揮者なんてただの作曲家の奴隷でしかない。そんなものが許されるならもう指揮者なんて不用ではないか。それだったら楽譜をデータに取り込んでAIにでも指揮させればいいと。大体クラシックというものは作曲家の意図した通りに演奏したところで曲の世界を全て表現出来るわけがないのです。なぜなら作曲家自身も曲を理解しているわけではないからです。曲を真に理解出来るのは演奏家、そしてその演奏家たちを統括する我々指揮者なのです。僕は学生時代に指揮を始めた時その事に気づき、それから作曲家たちと果てしなきデスマッチを繰り広げてきました。フォルテシモはその過程で生まれたのです。フォルテシモは曲を我が物としようとする力強い意志なのです。僕が最初にフォルテシモしたのはベートーヴェンの運命でしたが、今でもその感動はハッキリと覚えています。フォルテシモと絶叫した瞬間確かに曲が我が血肉と化したを感じたのです。その瞬間ベートーヴェンの運命はこの大振拓人の運命になったのです。それから僕はコンサートのたびにフォルテシモをやっていますが、それはファンサービスといった能天気なものではなく、僕と作曲家の壮絶極まる戦いの中での歓喜と絶望と祈りと苦悩と喜びと叫びと……」

 こう情熱的に大振が身振りを交えて語りだしたせいで車がフォルテシモなまでに揺れ出した。だから我々はナビを見ながらスタジオまであと半分ちょっとですねと声をかけてまた強引に話をやめさせた。


 大振拓人はCDにおいてもクラシックどころか並いるJPOPのアーチストを遥かに超える売り上げを誇っている。売り上げを彼はすでに四枚のアルバムを出しているが、どれもミリオンセラーだ。一枚目がチャイコフスキーの悲愴。二枚目がベートーヴェンの運命とシューベルトの未完成のカップリング。三枚目がロマン派名曲集。そして今発売に向けてマスタリング作業をしているのが二度目の録音となるチャイコフスキーの悲愴である。次のアルバムの収録がチャイコフスキーの悲愴である事が発表された時、リスナーの一部から当然いくらなんでも再録が早すぎるのではないかという声が上がった。前回の録音から三年しか経っていないので当たり前である。いくら人気の巨匠でも三年スパンで同じ曲を録音はしないであろう。だが大振はあえてそれをやった。その真相とレコーディング中の大振のエピソードをプロデューサーの松平頼昭氏に語ってもらった。


音楽プロデューサー 松平頼昭

「やっぱり大振からの強い要望だよ。彼は悲愴の最初のレコーディングでフォルテシモ入れられなくてすごい悔やんでいたんだよ。あの頃はみんな彼のフォルテシモの価値をあまり認めていなかったからね。まぁ、今でこそ人気のカリスマ指揮者大振も最初のレコーディングの時点では話題の新人指揮者でしかなかったから、最初のCDにフォルテシモを外して録音しようとレコード会社が考えたのは無理もない話だと思う。まぁレコード会社もフォルテシモなしのCD発売した後リスナーの後から猛抗議で後から大振のフォルテシモを追加して発売したけど、所詮後入れだしね。今回は完全に最初からフォルテシモ入りで撮ってるんだよ。今回の録音にはフォルテシモの他にも無数の雑音や騒音が入ってるんだけど、それは全部大振の指揮のアクションなんだ。彼が今回の録音はコンサートと同じようにやりたいって言ってきたんだよ。だからその通りに撮った。その録音を聴くとさ。やっぱり凄いんだよ。彼の服が擦れる音とか、彼がバレエで爪先でターンする靴の音とか、膝つく音とか、倒れる音とかがさ、ちゃんと曲にハマっているんだよ。ハマっているどころか重要なアクセントにさえなってるんだ。それに加えてあのフォルテシモだろ?僕は今まで大振をずっと見てきたけど今回のフォルテシモはコンサートも含めて最高のものじゃないかな。今回のレコーディングをずっと見て僕は確信したけど大振は間違いなく世界のマエストロの道を歩み始めている。彼が世界的な巨匠になるのは時間の問題だよ。レコーディング中の大振はもうカラヤンやバーンスタインどころじゃなくてフルトヴェングラーやトスカーニを思わせるものがあった。彼はミスしたオーケストラにこれは全体責任だと一喝して全員に尻を上げさせてフォルテシモをその身に刻めと叫んで指揮棒で団員たちの尻を百回ずつぶっ叩いたんだ。こういうとまるでどっかの国の独裁者みたいだって思うかもしれない。だけど彼は誰よりも自分に一番厳しいんだよ。彼は自分のフォルテシモに納得がいかなくてその度にオーケストラと取り直しをやった。それを何十回もやるから僕が後入れでいいんじゃないかと言ったら彼激怒してね、俺のフォルテシモはオーケストラと一緒じゃないと意味がないんだって言って自分が納得するまで永遠にフォルテシモやらせてくれって頼み込んできたんだ。僕は多分今回発売されるチャイコフスキー悲愴は彼のキャリア史上の最高傑作だと思うよ」

 今スタジオで大振とエンジニアとプロデューサーの松平の三人がミキシングについて激しく討論している。大振はフォルテシモをフルにあげろと主張し、エンジニアと松平はそんなことをしたらオーケストラがかき消されてしまうと反論する。しかし大振はいや、フォルテシモこそ本質でありチャイコフスキーのパセティックそのものだとさらに主張し、またプロデューサー側も主張を譲らず、激しい討論の末、結局大振は松平やエンジニアに自らの要求を完全に飲ませる事が出来た。

 今大振はフォルテシモをフルに上げた悲愴を聴いていた。オーケストラの官能的な音楽。指揮中に彼が起こしたアクションの響き。そして雷鳴の如きフルフォルテシモの絶叫。彼は自ら発するフォルテシモの叫びに身を委ね恍惚として目を閉じた。

 本日のマスタリング作業が一通り終わった後我々は休息を取っている大振拓人にインタビューを試みた。大振は明かりがスポットライトのように彼を照らしているだけの部屋でパイプ椅子に座って無言で項垂れていた。彼の乱れた髪がライトに照らされてまるでライオンの立て髪のように見えた。大振は我々に気づくと顔を上げて轟然と我々を見据えた。我々はその絶対に他人に弱い姿を見せぬという彼のカリスマ指揮者としてのプライドを見たような気がした。我々はせっかくの休息の邪魔をしたことを申し訳ないと思いながら早速インタビューを開始した。

・大振さんはいつからクラシックを始めたのですか?

「僕は畳が破けているような木造アパートの四畳半の酷い貧乏な家に生まれたんです。家にはベヒシュタインのグランドピアノしかありませんでした。うちは同級生の普通の家に生まれた連中が持っているヤマハの格安ピアノでさえ買えるような家じゃなかったのです。両親はモーツァルトの父のようなひたすら天才の息子の出世を願うような俗物で、僕にピアノ以外の事は何も教えてくれませんでした。両親は僕にNintendo Switchさえ買ってくれなかったのです。僕も子供の頃switchでポケモンを遊びたかったのに。早く金持ちになりたい両親は僕を一流のピアニストにするために家の三階の天井裏にある監獄塔みたいな所に閉じ込め、まるで幽鬼のように痩せ切った老人にピアノの稽古という名の虐待をさせたのです。老人は鞭で僕の……」

 我々は彼の話を聞いてそのあまりの不条理さに恐ろしくなった。木造アパートの四畳半の部屋を世界三大高級ピアノメーカーのベヒシュタインのグランドピアノに占拠され、彼が二十歳過ぎの頃に発売されたNintendo switchさえ買ってもらえず、格安のヤマハでピアノの稽古をする同級生を羨んで過ごした少年時代。彼は同級生がピアノ教室で楽しく稽古を受けている頃、大振は一人両親に命じられるままに、木造アパートの三階の天井裏にあったらしい監獄塔と呼ばれる一室で、幽鬼のような老人にピアノの稽古という名の酷い虐待を受けていたのだ。そんな環境から脱出しようというハングリー精神があったからあれほどフォルテシモな指揮ができるのだろうか。


・作曲家では誰が好きですか?

「僕の演奏した全ての作曲家です。嫌いな作曲家はそもそも演奏などしないのです。とはいっても好きな作曲家の中でも真に尊敬に値する作曲家は一握りしかいません。大半の作曲家は僕にワンラウンドKOで負けてしまうのです。今回録音したチャイコフスキーもそうです。彼は僕と最初のうちは最終ラウンドまで戦えました。だけど今はワンラウンドKOであっさりと僕に負けてしまう。シューマンも、メンデルスゾーンも、ブラームスも、グリークも、ドヴォル……。と、とにかく大半の作曲家はワンラウンドで僕にKOされてしまうんですよ!」

 いかにも大振拓人らしいフォルテシモな回答であった。彼のこういう物言いは時に反発を呼び起こすが、その一方で彼のフォルテシモな発言を歓迎するものも多い。ある政治評論家は大振を引き合いに出して日本に必要なのはこういうフォルテシモな発言が出来る政治家だと語っている。しかし我々はいつもは饒舌な大振がドヴォルザークの名を口にしかけた途端何故かいきなり話を締めてしまったのが気になった。それで女性スタッフからの質問をぶつけてみた。


・大振さんにとって恋愛とはどんなものですか?

「恋愛とはフォルテシモなまでにロマンティックなものですが、同時にフォルテシモなまでに苦しみを与えるものだと思います。会えぬ苦しみがあらぬ誤解を巻き起こしとんでもない悲劇を巻き起こすこともある。時に人は愛のために身を縛る殻を剥ぎ取りたいと思い、その思いをあまりに強く持ちすぎたあまり羞恥の極みの大惨事になってしまうことがあります。特に離れた場所に住む男女が出会った時にそういう悲劇に陥ってしまうのです。例えば日本とヨーロッパぐらい離れた場所に住む恋人たちには。偉大なる作曲家たちはみなこの恋愛の苦悩をテーマに曲を書いています。ベートーヴェンもチャイコフスキーも。ああ!そしてこのクラシック最大の天才であるこの僕も!僕は恋愛をテーマに交響曲を二曲書いていますが、その中で僕は恋愛がもたらす幸福とその破綻について余す所なく書きました。交響曲第一番では恋愛の幸福を書き、第二番では恋愛の破綻を書いたのですが、その第二番を演奏している最中に僕はつい気持ちが昂って思わず歌ってしまったのです。歌えば歌うほど虚しさが募ってきました。僕はそれでも歌い歌い尽くして……」

 大振は時おり涙を見せながら恋愛について熱く語った。我々はこの音楽一筋で他の事には目もくれないように見える大振がこれほど恋愛について熱く語るのに驚いた。我々は彼により深く恋愛について聞きたかったが、だが他にも彼に聞きたい事があるため、時に嘆息しながら恋愛について語り続ける彼の話を強引に遮って次の質問をした。

・ロックについてどう思いますか?

「……やはり僕はクラシックの人間ですのでクラシックのことしか考えられません」

・ラップについてどう思いますか?

「……やはり僕はクラシックの人間ですのでクラシックのことしか考えられません」

・ドラマとか映画は観ますか?

「……やはり僕はクラシックの人間ですのでクラシックのことしか考えられません」

 大振にポピュラーミュージックや芸能についていくつか質問したが、彼は我々の口からロックやラップの言葉を聞くなり激しく怒り出した。彼は本当にクラシックにしか興味がない。本番組には残念ながら収録出来なかったが、彼はこれらの質問に激怒して髪を振り乱し、椅子を投げつけて一時間以上に渡って我々を罵った。我々はその大振を見てベートーヴェンやワーグナーもこのような人間だったのではないかと思った。

・大振さんはチャイコフスキーの悲愴で見事なバレエを披露していますが、教室などでわバレエを習っているのでしょうか?

「勿論です。僕は作曲家の世界を極めんとするためにあらゆる努力を惜しみません。だから当然僕はチャイコフスキーを極めんとして大日本東京バレエ団に入ろうとしました。そのためにバレエを習おうと近くのバレエ教室に通ったのですが、その時バレエをほとんど知らなかった僕はチュチュを履いてきてしまい、先生に男はチュチュ履かんわと叱られてしまいました。ですがあっという間に僕は白鳥の湖を踊れるようになりまして、あっさりと大日本バレエ団に合格してしまいました。バレエ団の連中はもう僕を絶対に入団させたいと言って聞かなくて僕のスパッツを破こうとするぐらいでした。しかし僕はその手を振り切ってやりました。僕があのままバレエを続けていたら確実にヌレエフやパシリニコフを超えていたでしょうが、やはり僕はダンサーではなくて指揮者なのです。だけどバレエをやったことは僕にとって大きな経験でした。バレエをやったことで僕の指揮はとんでもなく多彩になったのです。それまで音楽を表現するのに指揮棒を叩きつけたり、跪いたりするしかできませんでしたが、バレエを習ってからは優美な感情を踊りで表現する事ができるようになりました」

 ダンスはフォルテシモと並んで大振のトレードマークだ。彼の優美なダンスはいつも観客を魅了している。ダンスしながら指揮をする指揮者は世界広しといえど彼だけだろう。その彼に踊ることを教えたのが草バレエ教室の代表草生活子さんだ。

草バレエ教室代表 草生活子

「大振くんがいきなりチュチュ姿で来たから門前払いしようとしたの。いくら若手の有名な指揮者でもそれはないでしょ?でもね、彼その私の前で土下座して真剣にバレエをやりたいって訴えたの。バレエをやらなければチャイコフスキーは極められないって言ってね。その熱意に負けて彼にバレエを教えることになったんだけど、彼あっという間にバレエを習得してうちの教室で一番上手くなってたわ。それで大日本バレエ団にも受かったのに彼突然指揮者に戻ると言いだして。私たちと、それと大日本バレエ団の人もみんな彼を引き止めたのよ。チュチュ姿でもいいからバレエを続けてって。でも彼は指揮者に戻るんだって涙を流して言って……。みんなも大振くんの決意に泣いていたわ。うちの教室で一番のバレリーナの子なんて大振さんがやめたら私もバレエやめるなんてバカなこと言い出したりしてね。それで話は変わるけど、稽古中に大振くん突然牧神の午後のニジンスキーの踊りを教えてくれって頼んできたの。私がなんでって聞いたら、彼はドビュッシーを極めるためにはニジンスキーを習得しなきゃダメだって答えたの。「ドビュッシーがその魂を激しく放出した牧神の午後を極めるにはやはりドビュッシーを最初に極めたニジンスキーに習うしかない」って。それで私大振くんに牧神の午後の振り付けを教えたんだけど、その時私彼にこう言ったの。「この踊りはさほど難しくないけど表現力が必要なの」てね。したら彼私の言うことを一瞬で理解して完璧に踊ったわ。だけど踊り終わった時大振くん何故か苛立って「ダメだ!こんなものでドビュッシーなんか表現出来ない!」って叫んだの。こんなんじゃドビュッシーなんて出来ない!先生もっと激しくドビュッシーする方法を教えてくれって。私困ってしまったわ。激しくドビュッシーするって何を激しくするのって思っていたら彼「僕はこの場面はリアルでやらなくちゃいけない。振りだけじゃドビュッシーのドビュッシーらしさなんて表現出来ない!」って異様に真剣な顔で言っていきなり牧神の午後のクライマックスを実演しだしたの。私は慌ててやめなさいってタオル持って……」

 大振拓人について関係者はことあるごとに生真面目すぎる。なんでも本気でやろうとするとよく口にする。我々も彼に密着してその事がよくわかった。彼は細胞自体が芸術でできているような人間なので世のしきたりなどフォルテシモなまでに飛び越えてしまう。それは周りとの軋轢を生んだり、下手したら法に反する所までいってしまう。だが、そんな彼だからこそあれほどフォルテシモな指揮をする事ができるのだ。

 最後に我々は大振にあなたにとってクラシックとは何かを聞いた。彼は一言でこう言い切った。

「……自分の全て」

密着 その3:現代の皇帝大振拓人


 大振拓人の一日はこれで終わったわけではない。我々とのインタビューを終えた大振は次の仕事のために車で真っ直ぐ自身が運営する事務所へと向かう。次の案件の予定時間が過ぎてしまっていた。我々はインタビューが押してしまった事を彼に詫びた。しかし大振は我々に問題ないと言いすぐに各所に連絡して自分が事務所に向かっていることを告げる。これからの彼のスケジュールは全て打ち合わせだ。人気指揮者であり、十年先のスケジュールが埋まっていると言われる彼に休む暇などない。大振は世界的に見ても極めて異例だが、彼は自ら楽団『フォルテシモタクト・オーケストラ』を持っており、オーケストラの運営のためにクラシックだけではなく、いろんな事業に進出している。最近バカ売れした彼をモデルにしたスマホゲーム『フォルテシモストーリー 〜選ばれしタクト』のアドバイザーへの就任もその一つだ。このゲームはクラシックの力で世界を救うという内容のRPGだが、大振は未来を作る子供にクラシックを学ばせたいという思いからこのゲームに参加することを承諾したという。しかし今このゲームのユーザーの殆どは女子キャラ萌えの中年男性と大振ファンの女性たちで占められ子供は殆どいないようだ。

 車内で大振は二台のPCとスマホを使ってWEB会議をしたり、資料を作成したり、メールを送ったりしていた。どうやら我々のインタビューが押してしまったせいで会えなくなったので、WEB会議に切り替えたようだ。我々は大振に申し訳ないと思いながら彼を眺めていたが、彼は実に驚くほど見事に対応していた。2台のPCとスマホを行ったり来たりする様は、まるでピアニストにドタキャンされて自らピアノも演奏しなければならなくなったコンサートのようだった。しかし彼にとってこれが日常なのだ。モニターに向かってフォルテシモに手を振り乱しながら怒鳴りつけ、フォルテシモにキーボードを叩き、楽譜をめくるようにスマホをスライドする大振は最高の指揮者であり最高のピアニストであった。彼の異様に滑らかな指の動きはまさにピアニストのそれだ。大振のピアノは聞いた事はないがそれはきっと素晴らしくフォルテシモな演奏なのだろう。


 車が大振拓人の事務所『フォルテシモタクトプロダクション』のあるビルに着き、大振が車から降りると彼を出迎えるために並んでいた事務所のスタッフたちがお辞儀をして彼を出迎えた。この事務所は大振が彼とオーケストラの団員のために立ち上げた事務所であるが、この十階建てのビルは丸ごとフォルテシモタクトが所有しているという。事務所の他に上階にはオーケストラの団員用の住居があり、地下にはオーケストラ用の演奏会が出来るほど広いリハーサルルームがあるという。大振が歩いてくると事務所のスタッフは両脇に退きビルの中へと向かう大振に敬礼をした。我々はその光景を見て凱旋門をくぐるナポレオンを思い浮かべた。まさに彼こそ二十一世のナポレオン。いや彼こそ現代でローマ皇帝と呼ばれるのに相応しい唯一の存在である。

 事務所の中で大振を待っていたのは彼のオーケストラのコンサートマスターの石目羅礼央だった。石目は大振より二十歳以上年上だが、大振はその彼をいきなり激しく叱責した。

「馬鹿者が!明日はモーツァルトの大事なリハ入りなんだぞ!それなのに辞めたい奴がいるだと?貴様管理は一体どうなっているのだ!この俺はモーツァルトの交響曲に完璧を期してメンバーを選んだのだ!それなのに辞めたいと抜かすとは何を考えているのだ!まさか大日本帝国交響楽団が引き抜いたとか言うんじゃないだろうな!」

「いえ、マエストロ。それは違います。その団員はマエストロの激しすぎる指導に自信をなくしてしまったのです。彼は泣きながら私に訴えていました。『マエストロの要求があまりに高くて私には到底無理です。マエストロのフォルテシモな動きに合わせて演奏するなんてできません』と」

「貴様はそれでもコンサートマスターか!そんな弱虫の団員などフォルテシモに叱咤してやればいいのだ!もういい貴様は下がれ!俺が直接そいつに電話してやる!」

 そういうと大振はすぐさま退団を申し出た団員一人一人に電話をかけた。壮絶な電話。心臓が飛び出るほどの怒号の数々。電話の向こうで聞こえる涙ながらの申し訳ありませんやはりオーケストラに残りますの謝罪の声。一通り電話をかけ終わると大振は石目に向かって全員残ると断言した。石目は仁王立ちでそう言い放つ大振の下で激しく身震いしていた。だがこれで今日のミーティングが終わったわけではなかった。大振は震えながらの石目の報告にまた激怒した。

「なんだ貴様!体育大学へのグランドのレンタルを申し込むのを忘れたと言うのか!では明日のグランド練習はどうすればよいのだ!貴様は俺にどう責任をとるのだ!」

 石目はここ数日の団員の退団騒動で大学にレンタルを申し込むのを忘れていたと言い訳したが、フォルテシモに激怒する大振にそんな言い訳は通用しない。大振は指揮棒を石目の首に当てて今からでも遅くはない。さっさと体育大学の学長にレンタルの申込みの電話をしろと怒鳴りつけた。石目はやはりそういうことは担当に伝えないとといけないし今は夜だからといいかけたが、大振が首に当てた指揮棒を押したため、彼は震える手で大振が口にした番号を一文字ずつ丁寧にスマホに打ち込んで学長に電話した。

 しかし意外にも大振の要求は受け入れられた。それどころかあると思っていた申込みがないので担当部署も連絡しようか迷っていたという回答だった。電話の向こうから学長が「大振くんの頼みを我々が断るわけないじゃないか」と笑いながら大声で喋っている。石目はすっかり恐縮し縮こまってわざわざ我々のためにそこまでしていただいてとか言っていたが、大振はその石目から電話を取り上げて「明日稽古が終わったら団員をみんなそっちに連れていくからよろしく」とだけ伝えてそのまま電話を切ってしまった。

 我々は大振たちのこの一連の会話を聞いてわざわざ大学のグラウンドを借りて何をするのか気になった。それでいろいろ想像を張り巡らしたが、結局何も思い浮かばない。大振は彼がグラウンドを借りた意図を考え込む我々を見透かすように不敵な笑みを浮かべて言った。

「明日のモーツァルトの稽古も来ますか?そこで全てわかりますよ」

 彼の全てを知ろうとする我々がこの誘いを断るわけがなかった。


フォルテシモタクト・オーケストラ
コンサート・マスター:石目羅礼央

・石目さんは大振さんのオーケストラのコンサート・マスターでらっしゃいますが、大振さんと初めて出会ったのはいつですか?

「四年前ぐらいです。私は長年大日本帝国交響楽団でずっとヴァイオリンを担当していましたが、たまたまマエストロが楽団の指揮を担当した時私を気に入ったらしくて食事に誘ってくれてそのままあのビルに連れて行かれて自分のオーケストラのコンサート・マスターになってくれギャラは帝国楽団の倍は出すと頼みこまれたんです。暗いあの地下の稽古場で私はマエストロ一週間延々と説得されてそれでせめてトイレに行かせてくれ、でないと漏らしてしまうといったのですが、マエストロはいや、お前がうちのコンサート・マスターになるというまでトイレには行かせない、なんならスタッフに命じておむつを履かせてやると言い出したので私は根負けしてコンサート・マスターになることを承諾したのです」

・石目さんから見て大振さんはどんな指揮者ですか?

「最高の指揮者であり、偉大なるマエストロです。実はうちにマエストロと同年代の息子がいるのですが、息子とマエストロが同じ若者、いや同じ人間だとは思えません。息子は凡庸の極みの人間でして私の凡才程度の音楽の才能を受け継がなかった男で芸術のことなんかわからないから、生意気にも私の心配なんかするんですよ。お父さんの健康のために今すぐ別のオーケストラ移れとか言ってね。私は息子にそう言われる度に怒鳴りつけてやるんですが、息子はそれでも私にやめろと言うんです。やめないと死ぬぞと言って。だけど私は一生マエストロについていくつもりです!」

・コンサート・マスターとして大振さんとどう接しているのでしょうか?

「マエストロの言葉は絶対です!私が何と思おうと従うしかないのです!」

・大振さんのオーケストラのコンサート・マスターになって苦労したことはありますか?

「ありません!絶対にそんな事あるわけがない!」

・大日本帝國交響楽団に戻りたいと思ったことはありますか?

「ありません!絶対にそんな事あるわけがない!」

・人生で一番恐怖を感じた瞬間は?

「マエストロに一週間地下に閉じ込められたときです!あの時はスマホさえ取り上げられて外と連絡する手段さえなく……。いや、あの経験があったからこそ今の私があるのです!前言撤回です!あの経験は私の音楽人生にとって悟りだったのです!決してマエストロに殺されるかと思ったとか、このまま監禁され続けるのだろうかとかそんなこと一回も思ったことはありません!」

・これからもフォルテシモタクト・オーケストラのコンサート・マスターを続けていくつもりでしょうか?

「勿論です!私はマエストロに宣誓したのですから!命を賭けてマエストロに忠誠を誓うと!」

 石目は我々の質問に無理やり言葉を絞り出して答えているようだった。我々はその彼に大振からオーケストラを託された男の覚悟を見た。我々はオーケストラにもインタビューを試みた。しかし団員の誰もが一様に口ごもり我々からまるで逃げるように去っていった。

最終密着:疾走する悲しみを求めて

 翌日、我々取材班は武道館に大振拓人を訪ねた。彼は昨日言っていたように今からここでモーツァルトのコンサートのリハーサルを行うのである。準備中のため待機していた大振は我々に気づくとこちらにやって来て今日もよろしくお願いしますと笑みを浮かべて深く頭を下げて来た。大振はそれから我々取材班をオーケストラの元へと案内してくれたが、その時我々はオーケストラの団員たちが大振が近づく事に顔がこわばって来ているのを見た。我々はその彼らの表情にこれから待つ過酷なリハーサルを想像した。

 我々は大振拓人のリハーサルを初めて見たのだが、それは過酷という言葉では説明出来ないものであった。彼が最初に演奏したのは『アイネクライネ・ナハト・ムジーク』だが、彼はリハーサル開始直後いきなり団員に向かってお前らにはフォルテシモが足らないと怒鳴り出した。怒鳴りながらお前のフォルテシモはそれが限界なのかと指揮棒を叩きつけ床を激しく転がり回った。転がり回りながらそんなものじゃ一生かかってもモーツァルトに追いつけないぞと説教した。大振は団員たちに改めてモーツァルトのアイネクライネ・ナハト・ムジークがどういう曲であるかを説明し、「いいかこの俺の身振りを見ろ!」と言ってすぐさま指揮棒を振り始めた。

 その指揮はやはり見事というしかない。まるでワルツのような指揮棒の動き。バレエのような見事な足捌き。大振の指揮はかつてのフランス王国の貴族を思わせロココの時代を再現しているようだった。大振は今ステージを縦横無尽に走り回り四回転ジャンプまで披露した。しかし大振は本当に恐ろしい。こんな激しいオリンピック選手も出来ないであろう技をたった一曲の為に次々と披露し挙げ句の果てにフォルテシモを連呼するとは。我々は演奏が終わった時感動して思わず拍手しかけたが、大振りが不満げな顔をしていたので手を止めた。彼は一体何が不満なのだろうか。

 大振拓人はオーケストラに向かって続けて『交響曲第四十番』を演ると言った。我々は先程あれほど動き回って疲れないのかと心配したが、しかし彼はすでに準備運動を開始してオーケストラがチューニングを終えるのを待っていた。我々はその大振に焦りを見た。こんな大振は今まで見た事がなかった。いつもはフォルテシモなほどに自信満々の大振が焦りなどというものを見せるとは。コンサート・マスターの石目が大振に向かってチューニングの終了を合図すると大振はいきなり演奏を始めた。大振はまるで百メートル走のピストルのように指揮棒を振りそして自ら走り出した。彼は全速力で走りながら指揮を振りそのままステージを駆け回る。大振の走りはとんでもなく早い。そして曲もブレストの極みのようなブレストぶりだ。大振はブレスト状態で走りながらフォルテシモを連呼する。今まで何度か大振のモーツァルトの交響曲第四十番を聴いてきたがこれほど早いものは初めてだ。しかし、大振は第一楽章を終えるなりいきなり指揮棒を叩きつけて演奏をやめてしまった。

「違う!モーツァルトはこんなものじゃない!モーツァルトの悲しみはこんな見てくれの疾走で表現できるものじゃない!」

 そう叫ぶと大振はまるでベートーヴェンのように苦悩に沈んだ。彼は今拳で何度も床と己が頭を叩きつけ床を転がり回っている。我々には何故大振が突然演奏を中断し苦悩にのたうち回り始めたのかわからなかった。あれほど凄まじい演奏を何故いきなり中断したのか。我々は石目や団員に事情を聞いたが、彼らによると大振はモーツァルトを演奏する時決まってこんな状態になるらしい。彼らによると例えば先程のアイネクライネのような軽い曲の時はまだ平然と演奏できる。しかし今のような交響曲第四十番やその次の第四十一番『ジュピター』のようなものを演奏すると大振はいきなり苦悩していきなり演奏を止めてしまうのだ。大振がこんな状態にななり始めたのはつい最近のことらしい。大振に何が起こったのか。それは大振拓人自身に聞かなければわからない事だろう。我々は早速大振にインタビューを申し込んだ。

「昨日話した通り、僕は大半の作曲家をワンラウンドでKOする事ができます。マーラーのようなやっかいな作曲家もスリーラウンドでぶちのめす事が出来ます。勿論まだ倒せない作曲家はいます。ベートーヴェンをはじめとしてバッハやシューベルトやワーグナー等真に偉大なる作曲家たち。ですが彼らだって食らいついていけば倒せないことはありません。ですがモーツァルトだけは全く歯が立たないのです。あれほど単純な曲であるにも関わらず、いやそれが故に僕は騙されていつの間にかマットに沈められてしまうのです。最初のうち僕はハッキリいってモーツァルトを舐めていました。確かに天才であるといえる。しかし縦横無尽にフォルテシモしまくるこの僕には流石に勝てまいと思っていたのです。僕は鼻歌でも歌うように能天気に彼を演奏していましたが、ある時僕はこの天使ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに完全に遊ばれている事に気づいてしまったのです。僕は今まで彼の本質に気づかずただわかったふりをして能天気に演奏していただけだったのです。これは僕の音楽家人生史上最大の屈辱でした。それから僕はモーツァルトを倒さんとフルパワーで取り組んでいますが、いつも結果はワンラウンドKO負けという惨めな結果でした。僕のパンチは全て空振りし、ただモーツァルトの天使のジャブを浴び続けているような有様だったのです。僕はモーツァルトとの戦いの中で何故彼があれほどロマン派の作曲家たちに崇拝されているか身をもって知りました。モーツァルトには我々には生えていない翼があったのです。彼はその翼の力で天使の如く曲を書き続けてきたのです。自分たちには永遠に手の届かない存在。モーツァルトがロマン派の時代に大復活したのはその翼への憧れであったのかも知れません。いわばモーツァルトこそロマン派そのもの。ロマン派が求めた聖なる指輪だったのです。だが、それを知ったところでどうしようもない。翼なき僕がどうやってモーツァルトに立ち向かっていけばいいのか。僕は考えに考えました。そしてそのきっかけが交響曲第四十番にある事に気づいたのです。この曲は疾走する悲しみといわれている曲ですが、その疾走する悲しみを理解すればモーツァルトの羽先ぐらいは摘めるのではないかと。ジュピターを理解するには木星の中に入らなければいけませんが、それは翼も宇宙技術もない我々には無理です。しかし疾走する悲しみは我々でも理解はできる。僕はそう考えて日々疾走する悲しみとは何かを理解しようとしているのですが、これが全く理解できないのです。勿論理解するためにいろんな事をしたつもりです。先程のようにやたらテンポを上げる事をしました。だけどモーツァルトの悲しみは無闇やたらに疾走すれば得られるわけじゃないのです。まずきちんとした技術を徹底的に身につけないと」

 大振はオーケストラに向かってリハーサルの終了を告げ、体育大学への移動の準備を始めろと指示を出した。我々は昨日の彼と石目がした体育大学との学長のやりとりを思い出し再び疑問が湧き起こるのを感じた。一体大振とオーケストラは何をしにグラウンドに向かうのだろうか。我々はバスで移動中の大振に向かって疑問をぶつけたが、彼はにこやかに答えてくれた。

「僕は一ヶ月前ぐらいから個人的に体育大学で学生に混じって百メートル走の練習をしているんです。勿論モーツァルトの疾走すれ悲しみを知るためです。僕はモーツァルトは生前はヨーロッパでもトップクラスの百メートル走のスプリンターだったと思うのです。不幸にも彼の生きていた時代にはオリンピックはとっくになくなっていたのですが、もしオリンピックがモーツァルトの時代にまだあったとしたら、彼は確実にゴールドメダルを取っていたでしょう。彼の疾走すれ悲しみはトップを極めたものにしかわからない悲しみなんじゃないかと僕は思うのです。だから僕はモーツァルトと同じようにスプリンターとしてトップを極めれば彼の疾走する悲しみが理解できると考えました。それはこの僕のアキレスより完璧な肉体能力を駆使すれば決してできない事じゃない。今の所僕は10.2秒しか出せていない。ですが徐々にゴールドメダリストとの距離は縮まっています。そのうち僕のタイムはゴールドメダリストを超えてしまうでしょう。だからといってそれでモーツァルトの疾走する悲しみが理解できるとは限らない、だけど僕はその可能性に縋るしかないんです」

 体育大学の陸上部監督羽尻光太郎氏は初めて大振拓人が陸上部に来た時の事をこう語る。

体育大学陸上部監督 羽尻光太郎

「学長から大振くんを陸上部の練習に参加させてくれって頼まれた時、俺はびっくりして顎がはずれそうになったよ。正直にいうと学長に対して腹が立った。だってうちは日本を代表する大学陸上部ですよ。それをカリスマ指揮者だかフォルテシモだか知らないけどそんなお門違いな奴をうちの陸上部と一緒に練習させるなんてどういうわけだ。練習なんかさせてもどうせ一日も持たずに根を上げて逃げていくだろうって。その後大振くんに実際に会ったんだけど、会った瞬間彼「僕はモーツァルトの疾走する悲しみを知りたくてここにきました。だから参加させてください」って言うんだな。僕はお辞儀もせずに長髪で腰に手を当てて訳のわからない事をいう彼に腹が立って、それならいっそ彼を部員すら逃げ出すほどの一番きつい練習をやらせてやれって思って彼の参加を認めたんだ。だけどだよ。彼その練習についてくるどころか、現役の学生よりはるかに上回っていたんだ。彼が最初に百メートル走った時のことはいまだに覚えている。彼は全く素人であるにも関わらず10.7秒出したんだ。これは公式な大会で走ったら間違いなく日本新記録だよ。僕はストップウォッチの故障だと思ってストップウォッチを変えてもう一度彼に走ってもらうように頼んだ。すると今度は10.8秒だった。これを見て僕はもう目が点になったよ。まさか日本一のスプリンターがクラシックの指揮者だったとは誰も思わないだろうからね。僕は半ば本気で冗談めかして彼に今から本気でオリンピックを目指さないかって誘いをかけたんだ。だけど彼は言うんだよ。自分はオリンピックに出るためにここに来たんじゃない。モーツァルトの疾走する悲しみを知るためだってさ。その後に彼冗談か本気かわからないけど言ったね。僕は現代の商業化されたオリンピックに出るつもりはない。かつてギリシャでおこなれていた古代オリンピックなら別だがねってね。彼はそれからずっとここにきて走り込んでいて一昨日は10.2秒を出したんだ。たった一ヶ月弱でこれなんだよ。なのに彼は結果に不満らしいんだ。こんなんじゃモーツァルトの悲しみにはまるで追いつけない、僕は疾走の果てに彼が感じた悲しみをこの体で体験したいんだって泣きながら言うんだよ」

 大振拓人はモーツァルトの疾走する悲しみを体験する事ができるのであろうか。今日彼は初めて団員たちを練習へと参加させる。大学に着いた大振たちはバスから降り、陸上部のスタッフから更衣室へと案内された。学生たちは燕尾服にTシャツと短パンを持った大振一行に驚いて思わず後ずさった。大振たちは更衣室でTシャツと短パンに着替えたが、その彼らの格好は非常にバラエティーが溢れるものであった。大振はそのピチピチとはち切れんばかりの筋骨隆々とした体を晒していたが、他の団員はどうしやうどうしようもなくでぶつてデブっていたり、栄養失調かと思われるほど痩せ切っていたり、これでまともに陸上の練習に参加できるのかとかいう以前の問題であった。だが大振は露骨に不安そうな眼差しを投げる大学の陸上部の面々に対して大丈夫だときっぱり断言した。

「彼らは私と一緒にモーツァルトの疾走する悲しみを知るためにここにきたんです。きっと彼らも私と同じように10秒台を出してくれるでしょう」

 グラウンドに着くと大振は団員たちを前に拳を振って演説を始めた。

「今日から俺たちはモーツァルトの疾走する悲しみを知るためにこの大学の陸上部の方たちと一緒に練習する事になる。みんなには申し訳ないと思うが、これはモーツァルトの疾走する悲しみを知るために絶対に必要なことなんだ。俺はこの問題を解決しようとして一ヶ月前ぐらいから一人でずっとここで走り込んでいた。だけどいくら走り込んでもモーツァルトの疾走する悲しみは理解できないんだ。俺は何故なのかずっと考えていたが、やはりみんなの力がないとダメなんじゃないかと思うようになった。お願いだ!みんな俺に力を貸してくれ!モーツァルトの疾走する悲しみを知るためにはみんなが10秒台で走れるようにならなくちゃだめなんだ!俺は天才だが、しかしただ一人のか弱き人間でしかない。だがみんなが俺と同じように走れるようになればきっとモーツァルトの疾走する悲しみを理解できるんだ。さぁ、みんなで全力疾走して一緒にモーツァルトの疾走する悲しみを見つけよう!そして来るべきコンサートでモーツァルトに疾走する悲しみを見せつけてやるんだ!」

 大振のこの演説に団員から一斉に拍手が起こった。しかし団員の顔は不安げだ。それも当たり前といえるかも知れない。音楽家である自分たちが何故かいきなり陸上の練習をさせられるという戸惑い。何故にモーツァルトの疾走する悲しみを知るために陸上なんかやらなきゃいけないのかという疑問。だが彼らは指揮棒を手に目の前のTシャツと短パンで仁王立ちする大振拓人という現代のカリスマを信じるだけであった。いくら尻を叩かれても、いくらフォルテシモな叱咤を浴びても彼らはマエストロ大振を信じてここまで来た。コンサート・マスターの青白く痩せきりTシャツがダブダブの石目は大振に近づき一生マエストロについていきますと叫んだ。それを見て他の団員も俺も俺もと大振を取り囲んで口々にマエストロについていくと叫ぶ。大振は団員の熱い言葉に号泣し「一緒にモーツァルトの疾走する悲しみ見つけような!」と団員たちの肩を抱いた。

 さてそれから大振と陸上部監督の羽尻との間で団員の練習についての軽いミーティングがあった。相談の末最初は団員の実力を知るために団員全員で百メートルを走る事になった。大振も当然参加する事になる。そうと決まると大振は団員たちにその事を告げ、準備運動を始めろと指示した。しかし団員たちは運動など全くやっていないので動きは当然固い。大振は貴様それでも運動しているつもりかと団員をどやしつけて背中を音が出るほどグリングリンに回した。

 そうして準備運動が終わると大振とオーケストラは一斉にスタートラインに立った。その瞬間あたりには凄まじい緊張感が立ち込めた。まるで世界陸上の百メートルのようだ。カール・ルイス、ベン・ジョンソン、ウサイン・ボルト。数々の名選手がタイムを競ったスタートラインに今大振拓人と彼のオーケストラの団員は立ち、そして走ろうとしている。大振はまた日本新記録を出せるだろうか。団員は最後まで走れるだろうか。そして彼らはモーツァルトの疾走する悲しみを見つけられるだろうか。今スタートのピストルが鳴った。それを合図に大振たちはゴールに向かって一斉に駆け出す。

 我々の目前に疾走する悲しみを求めてゴールへとひた走る大振がいた。転がったり、立ち止まったりする団員を尻目に彼あっという間にゴールテープを切った。タイムキーパーがタイムを見て驚く。10.0また日本新記録だ。それどころか夢の九秒台まであと一歩ではないか。皆が大振に向かって彼を褒め称える。しかし大振は今回もダメだったと首を振る。まだモーツァルトの疾走する悲しみは見つからない。しかし彼はいずれ疾走する悲しみを見つけるだろう。何故なら彼はいずれモーツァルトのように未来に向かってフォルテシモに翔ける現代の天才なのだから。


フォルテシモに翔ける 〜カリスマ指揮者大振拓人の現在 完



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