事故
ヨーゼフ・ゲルツは言葉本来の意味で難解な作家といえるだろう。とはいえ彼の小説がジェイムズ・ジョイスやロブ=グリエやサロート等のヌーヴォー・ロマンの作家のように方法論的に突飛なものであるというわけではない。むしろそうした方法論で書かれた作品のほうが作者の意図が理解できるので却ってわかりやすいものといえるのだ。彼の小説はそういう前衛的なものではなく、むしろ十九世紀的からの伝統を引き継ぐものであるが、ゲルツの小説が多くの読者に読みにくい、難解だと思わせるのは主に彼の作品の登場人物の徹底した心理描写によるものである。その微細などこまでも続く迷路のような心理描写は、多くの読者、時には評論家さえも退屈だと投げ出してしまうほどのものなのだ。彼に近い作家を挙げればそれは上に挙げた巨匠達ではなく十九世紀のアメリカ=イギリスの作家ヘンリー・ジェイムズだろう。ジェイムズもまたゲルツと同じように心理描写に拘り、その徹底した心理描写が二十世紀の作家に評価されたのだが、しかし十九世紀の作家であるジェイムズ自身はバルザックやフロベールの忠実な使徒であり、自分の小説は尊敬するバルザックやフローベールが進めた写実主義を継ぐものだと考えていた。ゲルツとジェイムズの共通点としては他に挙げられるのは、あまりに心理描写に拘るあまり登場人物がぼやけてしまい、結局全員同じようにしか見えず、また心理にこだわるあまり話の展開が遅々として進まないという欠点が挙げられる。それでもジェイムズは十九世紀という小説の全盛期に生まれたおかげで生涯巨匠ともてはやされたが、一方ゲルツは二十世紀後半の作家でありその微細な心理描写はあまりにも時代に即しておらず、某前衛作家など彼を面と向かってこっぴどくこき下ろしたものだ。だが現在その前衛の時代は完全に過去の話となり、今こうして虚心淡々とゲルツの小説を読んでみると意外なことにその新しさが……だから今書評書いてるんだけどさあ~。全然筆が進まないのよ!つまんねえ作家でよお~!こんな作家の小説の書評なんかなんで俺が書かなきゃあかんのよ!ばっかじゃねえの!もうやめたいっていっても依頼を受けちゃったらやめられないのね!何だよゲルツっていかにも馬鹿な日本人が適当にドイツっぽくつけた名前しやがって!つまんねえ小説だと思って読んだらホントにつまらなかった!まあ適当に褒めてお茶濁すんだけどさ!じゃあな、明日思いっきりハメまくってやるから覚悟して待ってろよ!
その翌週である。どうやって編集部や印刷会社のチェックを通ったのかわからないが、某月刊誌の書評論にこのあからさまに間違ってプライベートのことを上書きしてしまった文章がまるまる載って大騒動になってしまった。書評を担当した書評家は翌々週の週刊誌に謝罪文を載せたのだが、その彼の書評したゲルツの小説そっくりの微細などこまでも続く迷路のような責任を曖昧模糊としたような謝罪文は、多くの読者を激怒させ、その後出版界から彼の名は消えた。