出不精
元は戦国時代のデブの武将を表す言葉であった。駿河の守護大名であった今川義元は大変なデブであったという。彼はデブすぎて馬にも乗れず、籠に乗っていたが、その乗っている籠が義元の体重で突き抜けそうになっていたのをみてとある村人が「こりゃデブ症、言ってみりゃ出武将やな!」とあざ笑った。その後秀吉の時代になって小田原の役が起こると、敵の北条氏政が籠城してずっと籠もってしまった。それを見た秀吉方の足軽がこう言った。
「まあ。ひでえ有様だなや。外に出ずずっと籠もりっきりで、敵の対象の氏政氏直親子はひでえデブに違いない。こりゃまさに出武将、いや出たくねえから出不精やな」
それが出不精の言葉の成り立ちである。