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ザ・奢り合いバトル

「先輩、今日飲みに行きませんか?」

 と、後輩が先輩に声をかけた。先輩はこの後輩の誘いに新人の頃のろくに喋れなかった彼を思い出し、自分から奢りに誘うなんて随分成長したなぁと感慨に耽った。

「いいよ。久しぶりの飲みだな。今日は週末、とことん付き合うぜ」

「じゃ、店は僕に選ばせて下さいよ」

「おう期待してるぜ。どうせ安い店なんだろうけどな」

 先輩は高らかに笑ったが、いざその店の前に着いた途端その笑いは凍りついた。

「お前いつもこんな所で飲んでるのか?」

「ええ、ちょっと一見敷居が高いように見えるんですけど、マスターもいい人で初めての人にも優しく飲み方教えてくれますよ」

 先輩はこの後輩の慣れた態度にコイツ何もんなんだと思いっきり動揺しながら舐められてたまるかと見栄をむき出しにしてこう答えた。

「ハッハッハ!俺も若い頃は粋がってこういう店によく来ていたもんさ。今のお前みたいに無理してブランドもの買いまくったりしてな」

「はぁ、そうですか。でもこのスーツも時計もカバンもぜんぶママが買ってくれたものでして。僕はくれる度にいらないって言っているんですが」

「へ、へぇ〜!俺も親父にお下がり押し付けられたけど、そんなもいらねえって押し返したけどね」

「僕もそうしたいんですけど、これ全部デザイナーのおじさんが僕のためにデザインしたオリジナルだから断るに断れないんですよ。おじさん、ママの弟なんですけど某ブランドの専属のデザイナーで、パリコレなんかにも出展してるほどの人のもんだからつい身につけちゃって。やっぱりいいものはいいんですよ」

 先輩は後輩のブルジョワっぷりが悔しくて唇を噛んだ。

「……おい、もうその辺にしてさっさと店に入ろうぜ。俺たち飲みに来たんだろ?」

「ああ、そうですね」と後輩は先輩の露骨に話を反らした催促に余裕の笑みで相槌を打って店のドアを開いた。先輩はそのドアの開く音に妙に重々しい、いかにも会員制っていった感じのムードにビビったが、しかし先輩としての威厳を見せなきゃならんとドアが開くなり胸を張って口笛なんか吹きながら店の中に入った。

「じゃあここに座らしてもらうぜ。おい、オススメのヤツはあるかい?」

 後輩は先輩の行動に唖然としているマスターに向かって軽く頭を下げて謝った。

「あっオジサン、この人こういうとこに慣れてないからごめんね」

 すでにカウンターに座っていた先輩は後輩の100%正しい言葉に愕然として目を剥いた。しかしそれでも先輩としてのプライドは保たなければならないのでこう言って誤魔化した。

「こういうとこはなにぶん久しぶりだからなぁ。最近は永井荷風みたいに低徊趣味に走って安酒あおってるからすっかり作法っての忘れちまったよ。ところでさ、お前永井荷風って知ってるか?小説家なんだけど」

「ああ、あの永井荷風ですね。不勉強なことに僕はそんなに荷風の本は読んでないんです。けど、うちの親戚の先祖が荷風の父親の上司だった人らしくて子供時代よく荷風の面倒を見ていたらしいんですよ」

「へ、へぇ〜!そんな事はもういいからさっさと酒飲もうぜ。この店のオススメってなんだよ」

「ああ、パンチラインかな〜」

 先輩はパンチラインと聞いて自分の乏すぎるカクテルの知識から似たような名前のヤツを適当に思い浮かべてそれらしいうんちくを語り始めた。

「パンチラインってレモンとオレンジを足してそこにリキュールを……」

 後輩は先輩の無理に引っ張り出したカクテルのうんちくをひとしきり聞いて笑顔でこう言った。

「あの先輩、パンチラインってこの店オリジナルのカクテルですよ」

「ほ、ほうそうか。それは楽しみだな」

 先輩はこの店オリジナルのカクテルパンチラインを飲んだが、後輩にかっこつけなきゃいかんプレッシャーでもう味さえ嗜むことが出来なかった。後輩とマスターはそんなこのど素人満載の先輩を笑みを浮かべて優しく見守った。

 この二人の上から目線をひしひしと感じていた先輩は汚名を挽回せねばと団体旅行で一回だけギリシャに行った時のアテネ思い出を語った。

「あの朝夕のエーゲ海の陽光ってのは一生見れないだろう奇跡なものだったな。さすがヨーロッパって感じだったよ。俺は定年になったらギリシャに住みたいって考えてるんだ」

 その先輩の自慢話を微笑ましく聞いていた後輩は笑いながらこう言った。

「へぇ〜、先輩は芸術家肌だなぁ。僕もヨーロッパには親戚もいるから遊びがてらに何度も行ってますが僕は先輩みたいに景色の美しさより現地の人との交流が好きで、先輩みたいに自然の美しさに陶然とするって事はあまりないんですよ。学生時代時間があった時にナポレオン気取りでヨーロッパ全制覇しようって意気込んでイギリスからロシアまで横断しましたけど、その道中でいろいろトラブルがありましてね。一応英語とフランス語とドイツ語とイタリア語は子供の時からずっと習っていたんでなんとか無事に切り抜けてきましたよ。そう、ローマでですね、アメリカ人の女の子が現地の詐欺師に騙されそうになっていたのを助けてあげたことがあったなぁ。で、助けてあげた後その子と仲良くなって、フランスベルギードイツって一緒に旅してですね。楽しかったですね。その子とは今でも交流があってまた一緒に旅しようなんてメール送ってくるんですよ。こんな時いろんな言葉を学んでよかったって思いますね」

「あっ、そう。人との交流も海外旅行の醍醐味だよね。俺もギリシャで沙織さんって日本の女性と会ってだね……」

「先輩、それって大昔の少年漫画のヒロインですか?ほら、あるじゃないですか。ドラゴンボールとおんなじ時期に同じ雑誌で連載されていたっていう漫画。僕ウィキでその漫画知って……」

 後輩に自分の嘘を見抜かれたと思って先輩は動揺して黙り込みグラスを持ってチロっと残っていたパンチラインの残りを飲み込んだ。そうして先輩と後輩は飲みながら会話していたのだが、やがて話も尽きてもうお開きしようという事になった。先輩は笑顔を作って後輩に言った。

「今日は俺が奢るよ。こんな素敵な店を紹介してくれたお礼だ。カードあるからいくらだって出せるぞ」

「いえ、誘ったのは僕だから僕が奢ります」

「バカヤロウ、後輩に奢らせる先輩がどこにいるんだよ、俺が奢る」

「いや、いつもお世話になっているから飲みに誘ったんですよ僕が奢ります。この店両親の頃からの馴染みなんで人に奢ってもらったなんてパパとママにバレたらカッコつかないですよ」

「おい先輩の言うことは聞くもんだぞ。いくらお前の馴染みの店だからって後輩に奢らせるわけにはいかないよ」

「いえ奢らせて下さいよ。先輩に無理はさせられませんよ」

「無理してる?俺がいつ無理してるんだよ」

「無理してるじゃないですか。先輩こういう店普段来ないでしょ?」

「昔は来てたんだよ!さっきも言っただろ?今は低徊趣味にハマって安い居酒屋行ってんだよ!」

「低徊趣味ってそういうセリフは時間と金に余裕のある人が娯楽に手を染めるって時に使うんですよ!先輩ただの貧乏人じゃないですか!」

「何が貧乏人だこの野郎!お前いいとこの坊ちゃんだからって粋がってんじゃねえよ!」

「はん?粋がってるのはアンタだろうが!貧乏人なら粋がってねえで素直に奢られろよ!」

「テメエ先輩に向かってなんて口聞いてんだよ!後輩のくせに舐めんじゃねえよ!後輩なら後輩らしく大人しく奢られりゃいいんだよ!」

「俺は貧乏人のアンタがいつもやっすい酒ばかり飲んで気の毒だからマシな酒飲まそうと思って誘ってあげたのにそんなこと言っていいのかよ!俺はこれからアンタよりずっと上に立つ人間なんだぞ!」

 二人の罵倒合戦はこうして延々と続いた。マスターは言い争う二人を見守っていたが、なかなか決着がつかないので痺れを切らしてこう言った。

「おい二人とも本日の代金なんだけど、一人五万円だから。結構ボトル開けちゃってるしね」

 先輩は金額を聞いて真っ青になって震え出した。後輩はその床まで揺れそうなほど震えている先輩に向かって満面の笑みで言葉をかけた。

「先輩、やっぱり僕が奢りますよ」

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