見出し画像

自分の気持ちを伝えるのが苦手っていう話。

私は幼い頃から自分の気持ちを誰かに伝えるのが苦手だった。

意見を求められれば言うことが出来るけれど、気持ちを問われると一瞬言葉に詰まってしまうし、事実ばかりを口にしてしまう。
一体どうしてなのか、自分なりに考えてみた。

自分の気持ちに鈍感

昔から「ポジティブ」と言われる私だが、最近、ただポジティブなわけではないと感じるようになった。
以前の記事で触れたように、諦観が根底にあると言うのは気づいていたが、それ以上に自分の気持ちに対する認知が弱いように思う。

例えばコロナ禍で大学がリモート授業となった頃、アルバイトと学校の用事以外は2〜3ヶ月一切出かけなかった。

自粛ムードであったとはいえ、かなり不健康だったと今なら思うが、当時は何も感じなかった。

これに限らず、私はだいぶ後に振り返って初めてしんどさを自覚することが多々ある。
また、自分で少ししんどいかもしれないと思った時には、人と会いたくないとか結構重症なレベルになっていることもあることに気づいた。

気持ちを伝える経験の不足

もう一つ考えられるのはそもそも人に気持ちを伝える経験が圧倒的に不足していることだ。

私の家庭は父母と私の3人家族。
唯我独尊で自分が正しいと思う父と、その場限りの感情をぶつけることあっても心の奥底にある本心は明かさない母の元で育った。
だから、昔から自分の気持ちを話すことが少なかったように思う。

あるとき、母に相談をしたことがある。
事実の部分を聞いた母は、私の気持ちを聞く前にとりあえず気持ちを切り替えるようにと言った。

私がもっと話を聞いて欲しいと言っても、「私はあなたじゃないから気持ちが分かるわけない。どうしたらいいの?」と困惑した顔で返された。

恐らく、母は心の内に踏み込まれるのも踏み込むのも苦手なんだと思う。
そして、私も同じ気がある。

気持ちの表現方法

ただ、気持ちを伝えられない私だが、心が潰れることは多分、今までなかった。

それはきっと、毎日毎日狂ったようにノートに物語として書いて吐き出していたからではないかと考えている。
よくよく思い返すと、物語の内容の暗さと書いた時の気持ちの高低が連動していた。

人には話せなくても文章として表すことは抵抗なく出来たのである。

そして、紙に書く方法からネットに相談する方法となり現在に至る。
紙から人に相手が変わってきて、少しずつだが健康的になりつつあると思う。

これからの目標

ただ、これからは現実の人間関係でも言えるようになってきたい。

すぐには無理だろうし、踏み込まれる怖さはあるけれども、私の性格を知っている長年の友人には少しずつ伝えていけたらと思う。

いいなと思ったら応援しよう!

奈津
皆さんの応援がうれしいです。ありがとうございます。

この記事が参加している募集