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断ち物と祈りの先に見えた未来
今年3月を迎えた深夜。
私は大切な人の願いが叶うまで
「note断ち」をした。
このような行為を断ち物(たちもの)という。
断ち物 (たちもの)→
神仏に願掛けをした時に、自分の好きな食品や嗜好品もしくは薬などを絶って、禁欲により願掛けを強力にできるという民間信仰。
食べ物では塩や茶、嗜好品では酒や甘い物など。
今はテレビ、漫画、ゲームなどを受験時などに断つことも含まれるようだ。
今年始めから、息子(大学生)のある挑戦が始まった。
息子は、幼い頃から気が優しく、真面目で大人しい性格。
ここまで本当に色々あったし、守るべき時は守ってきたつもり。
でも、今回ばかりは他人が息子を評価することであって、私にはどうすることもできない。受験のように合格点が決まっているわけでもない。
2ヶ月経った2月末、息子が初めて私に愚痴をこぼした。
その頃の私は、暇さえあればnote記事を考え、下書きに残すの繰り返し。
息子が心の内を伝えてくれたのに、自分の指先はスマホの下書きをなぞっていた。
私は一体何をしているんだ
やめよう note
noteをやめたくらいで、何も変わらない。そんなことは重々分かっている。
でも、その時の自分の行為が許せなかった。
3月1日にnoteを退会。
他にもヨガ教室、友人とのランチなども止めた。自分が心から楽しめないと思ったからだ。
息子の願いは私の願い
息子の幸せは私の幸せ
ここで一番難しいのが、私が死ぬほど心配していることを息子本人に悟られてはならない。
「母のために」ではなく「自分のために」頑張ってほしいから。
息子の前では笑顔
前向きな言葉がけ
温かい食事
あとは
祈るしかない
朝日に手を合わせ
夕陽に手を合わせ
虹を見たら
満月を見たら
実家に帰って仏壇に
お墓にお参りして
近くの神社で
ご利益があるというお寺で
道端のお地蔵様に
何も見ても、どこに行っても
手を合わせた。
夫にだけは本音を話す。
夫は案外冷たい。
私の断ち物の考えをおかしい、
意味がないと言う。
息子に対しても、不甲斐ないと言う。
そんな夫に、私は身体ごとぶつかって反論した。
息子は頑張ってる。
夫が会社に行っている間、努力しているのを直接見ているのは私だけなのだから。
3月中旬、息子が初めてコロナになった。
あんなに流行していた時はならなかったのに、ここにきて!
熱は39度
咳もひどい
なんでこんな大事な時に
私が代わってやりたい
10日の療養期間、やはり進捗状況にも影響が出ていた。
今度こそと思っていたら、息子が療養期間を終えた次の日、私も羅患…
結局、私も部屋に閉じこもることになって、顔も合わせられない、食事の用意もできない。
私に出来ること、全て取り上げられてしまった。
神も仏もない
いくら祈ったって
どうにもならない
陰性を確認し、ほぼ1か月ぶりに帰省。実家の仏壇の前で手を合わせた。
自然と涙が落ちてくる
いつも念仏のように唱えていた願い事が出てこない
そうか、願い事はやめよう
ただ手を合わせるだけ
私が何を断っても、何を祈っても
息子には関係ない
久しぶりにヨガ教室に行ってみた。
凝り固まった心と身体を動かし、瞑想をしながら、ありのままの自分を観察することができた。
今年始めから、半年間
喜んだり悲しんだりを繰り返しながら、息子の挑戦は終わりを迎えた。
本人の努力のみ。
納得いくまでやり通して、
自分の希望を叶えたのだ。
私は、断ち物という考え方を否定したり、意味がないとは思わない。
自分のためではなく、大切な人のために祈る気持ちは誰にも否定できないからだ。
これによる成果や勝ち負けも問題ではない。
ただ、前向きになったり楽しく思えば続けたらいいが、しんどいと思ったなら、すぐに止めればいい。
「お母さんが心配して、泣いたりしていたこと知っていたよ。いつも、ありがとう」
息子の言葉に救われた。
私は、これからも祈り続ける。
子供の進む道は、ある程度までレールを敷くことはできる。
レールを敷いたとしても、いくつもの乗換駅があって、その判断は本人に任せるしかない。
子育てにおいて、病気や怪我、人間関係、受験など、たくさんの心配や不安に溢れているけれど、
誰も想像できないような未来を
自分自身で切り開いていくから。
きっと大丈夫。
「あなた」の大切な人
「誰か」を想って
あなた以外なんにもいらない
大概の問題は取るに足らない
多くは望まない神様お願い
代り映えしない明日をください
一日の終わりに撫で下ろすこの胸を頼りにしてる人がいる
くよくよなんてしてる場合じゃない