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【エッセイ】覚めることのない眠り

打ち明けることによって、隠れていくものがあり、それを明らかにしたいとでもいうかのように、告白が続々と積み重なっていく。隠れているものはいっそうふくらみ、その闇は濃くなる。

目覚めれば目覚めるほどに、深くなっていく眠りがある。醒めているとは、あるひとつの眠りを貫いて、ほかのどんな眠りにも自分を明け渡さないことだ。

あなたが目覚めなくても、別の誰かがその眠りから醒めるだろう。

いまだ誰にもたどりつかれたことのない眠りが無数にある。その先にある目覚めも含めて、誰も経験したことのないような眠りが。

私たちは、その都度、どんな目覚め方をしたのかを知らない。誰が、なにがそこで目覚めたのかも知らない。

なんのために眠るのか。蓄積した疲労を回復する、記憶を整理するためというのはたしかにそうなのだろうけれど、眠気がのしかかってくるときの抗い難さには、そのような目的とは不釣り合いなほどの強力な引力がある。

なにかを見失わないことには、なにも見出すことはできない。そのたったひとつの可能性を見出すために、ほかのすべてを、可能性も含めて、その都度失っているのだ。なにもかも根絶やしにしたあとでなければ、そのひとつを抱くことにためらう。

どんな夢も目醒めも、漠然とした不可能を濃くしていく。それがどんななのかははっきりとはしないほど深い不可能。予感だけ残して、それは逃げ去っていく。

つねに眠りの果てにあって、目覚めの果てにあるこの体は、どんなものの果てにも重ならない。私自身の果ても、私自身とは一致していないし、光と闇の果ても、一致せずあいまいなまま終わっていく。そのあいまいさ、隙間とも言いがたい隙間を、「できない」たちによって埋めていく。

眠るためにも、目覚めるためにも、私たちは油断している必要がある。どんな眠りも目覚めも、まるでこの大きな油断を待ち受けるためのものであるかのようだ。


読んでくれて、ありがとう。

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