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【第4回】“弱みを強みに変える” って難しいと思いませんか?|インサイトジャーナル

「弱みを強みに変える」というフレーズをよく聞く。自分のいいところをもっと見つめよう! ということだろうか。

あるいは、長所と短所は表裏一体だから、悪い部分にフォーカスしすぎないほうがよい、ということだろうか。

以前、HSPに関する電子書籍を出版したとき、弱みを強みに変換することのの大事さについて書いた覚えがある。弱点だと思っていることが、実は武器になるという風に。

ただ今は、正直この「弱みを強みに変える」は、ちゃんと理解してからやらないと危うい感じがする。

ということで、今回は弱みにを強みに変えるってどういうことか整理してみよう。

「弱みを強みに変える」はリフレーミング

弱みを強みに変える、というのはコミュニケーション心理学における「リフレーミング」という方法のことだろう。

リフレーミングは、物事の枠組みを変えて視点をずらすことで、今までとは違った捉え方や印象に変えることができるというもの。

たとえば、「飽きっぽい」は「好奇心旺盛」ともいえるし、「頑固」は「意思が強い」と捉えることもできるよね……という感じ。

性格傾向のリフレーミング一覧は、このページにまとまっているので、一度見てみてほしい。

このページは厚生労働省 北海道労働局のページで、誰が作ったのかはわからないが、「まったく意味が変わっているけど?」という言い換えも、中にはある。

そもそも弱みって何ですか?

そもそも「弱み」という言葉も実に曖昧である。弱みとは、一般的に弱点とか、劣っていることなどを示すと思う。

一方で「弱みを握る」という言葉があるように、人に対して後ろめたいことや恥ずかしいことなど「自己イメージ」や「社会的信用」などを左右することも、弱みの部類に入るわけだ。ここが、やっかいなところだと思う。

わたしが、自分の弱み(弱点)で一番最初に浮かぶのは、ミスが多いこと。不注意な見落とし、忘れもの、早とちりや勘違いなどが多くて、日常生活では結構やらかしているし、他人に迷惑もかけてしまう。最近では、ADHD(注意欠如多動症)という脳機能の問題とされている。

確かに、プライベートな面では大雑把で、細かいことをあまり気にしないとかそういう風に言い換えることはできるのだけど、やはりこの弱点は「捉え方を変えてよい言い方に変換しよう!」とは思えないのだ。

他に、自分自身の短所として浮かぶのは、口数が少ないことである。わたしは、あまりたくさんしゃべるほうではない。でも、これは「物静か」とか「寡黙」などと言い換えても、あまり違和感がない。

あともうひとつは、緊張しやすいこと。これも「慎重」とか「真面目」に言い換えてもあまり支障はなさそうに感じる。

この違いは、他人や社会的信用にかかわる弱点と、自己イメージに関わる弱点であるということなのではないか。

そして、捉え方によって弱みが弱みでなくなることはあっても、強みや武器になるかというと……それもまた、違うと思っている。

他者や社会的信用にかかわる弱点

他者や、社会的信用にかかわる弱点とは、他に何があるだろうか。たとえばさっきの表を見ていて気になったのは「乱暴」を「思い切りがいい」という言い換えにしているところだ。

他にも「不平を言う」が「物事にこだわらない」になっているのや「知ったかぶり」が「親切な」と言い換えられているのも、まったく納得がいかない。

乱暴なのも、不平ばかり言うことも、知ったかぶりすることも、他者やその人自身の社会的信用にかかわってくる。これは、捉え直しなんかしてる場合ではなく、具体的に対策を考えるべきことなのではないだろうか。

実際に、自分のよくないところ、改善していくべきところを直視できず、成長の妨げになることがある、というのがリフレーミングのデメリットとして挙げられている。

(この場合は、言い換えではなく「状況のリフレーミング」を行う必要があると思うが、長くなるので詳しく知りたい方は日本NLP協会のページを参照ください)

間違った自己イメージや劣等感の払しょく

一方で、しっくりくる言い換えもたくさんある。

「おこりっぽい」は「情熱的」とか「お人好し」は「やさしい」、「かたい」は「礼儀正しい」などなど。

これは、社会的信用にまではそれほどかかわらない。多少おこりっぽいとしても、乱暴まではいかないわけだし、怒りをもつ人はエネルギッシュで情熱にあふれている側面が確かにある。

また、お人好し、堅苦しい、あきらめが悪い、調子にのりやすい……その辺は「性格」の範疇である。

“その人らしさ” として処理できる範囲のもので、そこまで大きく問題化するわけではない。むしろ、自分が過剰にその性格を責めていて「自分なんかダメだ」と、間違った自己イメージにつなげている可能性もある。

自分は人よりも、しゃべるのが下手だとか、意見が言えないとか、そういうのは「劣等感」になって自分の成長を止める可能性がある。毒になる自己分析だ。

自分が間違った自己イメージをもっていることや、ひとつの特徴が自分の人生の足を引っ張っていることを自覚しているなら、リフレーミングは有効だと思う。

すべての弱みが強みになるわけではない

そもそもリフレーミングは、物事を違った視点でとらえることによって、思考や行動がプラスに働くようにするスキルである。

自分を正当化するものではないし、抱えている課題を解決できなければ、意味がないのだ。リフレーミングを単なる「言い換え」と考えてしまうのが、間違いなのかもしれない。

「弱みを強みに変えよう!」という考えがしっくりこないときは、まず自分が弱みだと思っている短所や弱点が、どの範囲に影響を与えているのか、考える必要があると思う。

弱点が影響しているのは、自分が自分に対して持っている印象や評価だけなのか。いわゆる性格の範疇なのか。それとも、その弱点のせいで他者との間に問題が起きていたり、自分の社会的な信用や立場を失うことになっていないか、というところだ。

なんでもかんでも、強みになるというわけじゃない。個性にならない弱みだってある。個性ってなんなのか、ありのままの自分ってなんなのか……という部分にも通じてくると思う。


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