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ショートショート|今日もまた平凡な日常を
電車の音とホームに流れるアナウンス、友達と話している学生、丁寧な言葉で電話をするサラリーマン。いつもと変わらない日常が目の前に広がっていた。今ではもう当たり前となった憂鬱で騒がしくも静かな朝の光景だ。
電車の扉が開くと並んでいた人が一斉に吸い込まれていく。私は迷わず定位置に向かった。最後尾の扉の近くが私のお気に入りの場所だ。と言っても私は立っている人達に囲まれるのが好きではないため、人が減るまでは私も立っている。
みんな各々の場所に着くやいなや本を読み始めたりスマートフォンに目を向けたりする。ここにいる人全てにそれぞれの人生がある。他人の人生を羨むほど退屈な日々を送っている訳ではないが、私はよくみんなはどんな人生を歩んでいるのかを考えてしまう。
全て上手くいく人もいれば、なかなか努力が実を結ばない人もいるだろう。もしも自分の人生が何も上手くいかず、他人の人生ばかり羨むようになった時、私は一体どうするのだろう。もう一度最初から新しく始めようとするだろうか。それとも全てを投げ出して静かな部屋の中で死んだように眠り続けるだろうか。
今はインターネットの世界に行けば簡単に誰かの人生を覗くことができる。それがその人の素なのかは分からないが、キラキラと輝いていて自分の人生がくすんで見えてしまうのは事実だ。ただの平凡な日常が嫌になる。毎日にどんなに些細なことでもいいから特別が欲しくなる。それはとても贅沢な悩みだ。明日に期待出来なくなっても、眠れば勝手に明日はやってくる。当たり前のように明日が来る。これがどんなに素晴らしいことか、と誰かは言う。多くを望まず、過度に期待はせず生きる方が上手く生きていけるのだろうが、どうしても期待をしてしまう。人生最後に書く日記には一冊のノートに書ききれないほどの思い出を書きたい。もしも今書きなさいとノートとペンを渡されても数ページしか書けないだろう。苦しく辛かったことも美談に出来ればいいのだが、まだ若く人生経験の浅い私にはそうする方法が分からない。ただただ毎日に少しだけ期待する。その繰り返しだ。でも私はそれでいいと思っている。不確かな明日に期待しない代わりに確かな今日に期待する。これが平凡な私の生き方だ。
そんなことを揺られながら考えていると電車がホームに着き、人でいっぱいだった車内に数えられる人数だけを残し扉が閉まった。私はいつもの席に座り目を閉じる。やはり満員電車は息が詰まる。降りる駅に着くまで音楽を聞こうとカバンからワイヤレスイヤホンを取りだした。しかし充電ケースの蓋を開けると肝心な本体が入っていなかった。そっとカバンにケースを戻し、見慣れた景色に目を向ける。たまにはこんな日もあるだろう。みんなが下を向いている中私だけが外の景色を眺めていた。
いつもの日常には無い大きな虹にみんなは気づいていなかった。