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理由をつけることをやめることは、答えを出すことをやめること #推薦図書
noteの文学サークルで行われる読書会に、2か月ほど前から月に一度参加していて、
「とくに今月の課題本は、まとめておきたいなぁ」と感じたので、noteに残しておくことにしようと思う。
「理由のない場所」/イーユン・リー
《本書の紹介》
これは、フィクションではなく、完全なるノンフィクション。
著者のリーさん自身が体験した16歳の息子の自殺と、その後に抱える底なしの喪失感がそのまま鮮明に綴られている。
リーさんは、息子の死後も尚、母は故人である息子と話すために、「理由のない場所」をつくった。
──そのため、本書の内容は、母と息子の対話がほぼ占めている。
あまりにも、"ふつう"に会話しているような流れるように読める文章のため、「息子が生きてるのではないか」という印象を受ける。
息子と母が対話しているよう日常の1ページに見受けられるシーンもあった。
リーさんの息子が亡くなった数週間後に書いた作品と聞いた。小説というより詩に近いと捉える人もいる。
これほどまでに、言葉にならない喪失感があっただろうか、と感じた本だった。
こうして書いている今も、この本を表せると思えるような適切な言葉は見当たらず、そもそも適切な言葉も果たしてあるのかわからない。
とかく、感覚に言葉が追い付かない本だという印象がある。
「わからない」の連続から問いを立てる
この本は、「わからない」の連続だ。
「わからない」とは、あなたにとって、どういうことだろうか。
「わからない」ままにしておきたい
「わからない」ままにしておきたくない
「わからない」のは怖い
「わからない」は不安だ
「わからない」が許せない
...........
「わからない」というワンフレーズだけでも、これだけ言い方はある。(共通しているのは、恐怖を感じているという点だが。)
「これほどにこの世は、未知に溢れている」という解釈もできる。
もしかしたら私たちはこの世の0.1%も知らないのではないだろうか。
この節の冒頭でも書いたが、
この本は「わからない」の連続であるが、読み進めていく中で、少しわかったように思えるときもある。
しかし、次の節に移ると、ゲームのソフト自体が全く新しい知らないソフトに変わったときのように、また”はじめから”わからなくなる感覚がある。
しかし、「わからない」が続くということは、問を立てられるということだ。
問を立てられるということは、「新しい可能性を与えてくれる」とも言えるだろう。
答えを出す必要のないこと
(ニコ):ものを書くのは感じたくないか、感じ方がわからない人がすることだとずっと思ってた。
(リー):じゃあ、読むのはどうなの。私が尋ねた。ニコライは優れた読者なのだ。
(ニコ):それと逆の人たちがすること。
ぼくが言いたいこと、わかった?
ママは書かないではいられない。たとえ下手でも気にもかけないんだ。
(リー):それは私が悲しみたくないから、それとも悲しみ方がわからないから?
(ニコ):その二つに違いなんてないよ。人が自殺するのは、生きたくないから、それとも生き方が分からないから?
──この文章を読んだとき、何を感じ、何を考えるだろうか?
この節だけを読んでも、「答えはない」と思わされないだろうか。
果たして、
ここに答えなんて必要だろうか──。
そして、
あなたは本書から抜粋したあの文章を読んで、自分はどちらだと思っただろうか──。
私は、どちらかというとものを書く方なため、感じ方がわからないか、あるいは感じたくない人だと、自覚した。
薄々わかっていたのだが、こうしてハッキリと言葉にされると、公で発表された気分になる。
自分を当てはめられる言葉を見つける瞬間。
それは、読書する上で、私の何より好きな瞬間だった。
あの言葉に当てはめられたことで、自分の誰にも認めてもらえないと思ってしまっている部分が認められたようで、嬉しかったから。
しかし、今思うのは、きっとものを書いていたいときもあるし、読んでいたいときもあった。
感じ方がわからないときも、感じ方がわかるときも両方あるというのが自然なことだろう。
「答えを決め打ちにすることで、いかに可能性あるいは視野を狭めることにつながるか」
ということをこの本は、自らの辛い体験をもって教えてくれた。
つまり、
「"答えを出すこと"は可能性を狭めること」と同じなのではないだろうか。
『理由のない場所』とは、理由つけることをやめる場所
話は変わって、この『理由のない場所(Place for no reason)』のタイトルの解釈が、おもしろかったので書きたい。
"reason"には、"論理的な"という意味も含むらしい。
つまり、"理論的なものがない場所"とも言える。
さらには、息子とリーさんのやり取りから痛いほど感じたのは、母の「息子の死の理由を知りたい」という想いだった。
しかし、きっとその理由がわかることはないだろう。なぜなら、息子はもう死んでいるから。
しかしながら、
一方で、生きていても生きている理由なんてものは、どこにもないだろう。
──果たして、理由をつけることに意味はあるだろうか?
私には
「理論的な"もの言い"をやめる」≒「理由をつけることをやめる」と聞こえた。
これは読書会に参加していた方が、そう解釈していたこともあって、私もそうだなぁと思った。
すごく納得した。
きっと、「理由をつけることをやめる」というのは、「答えを出すことをやめる」と同じなのだろう。
きっと、この本を読むまでの私は、「答えを出すことにも意味はある」と少し思っていたと思う。
しかし、「答えを出すことは、必要なかったのだな」という証明と体感をくれた本だった。
さいごに
「わからない」をくれるこの本は、私たちに自然に問いを与えてくれる。
これまで「わからない」と思っていたように見える「わからない」ままにしておいた事物を掘り起こし、"本来問うべき問い"を投げかけてくれるかの様に。
何十年も前に使っていた大切なものを掘り起こして、あのときの思い出を大事に思い出すように。
私は、"この瞬間" にとても価値を感じている。
そして、この瞬間に多くの人が気づくことができたなら、それは「確かな一歩を前進することができた」と言えるのではないだろうか。
確かな一歩を歩める人間でありたい。
読んでくれてありがとう、ではまた!