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いつも自分の方が辛いって思ってた。【悲劇のヒロイン的思考】

友人の辛かった話に耳を傾けたとき、いつも「自分の方が辛い」って思い込んで、自分の心を守っていた自分がいた。

そして、その後は「友人の辛いことを解決してあげられなかった」、と思うと同時に、

「自分の話できなかったな」と、決まってエゴな自分の存在を感じて自己嫌悪を感じた。

しかし、その現象の本当の姿は、

「自分の辛いことも消化できてないのに、誰かの哀しみを背負い込めない」

「自分の辛いことも解明できて克服できてないのに、誰かの哀しみを理解できるわけがない」

ということと同じだなと思った。

自分自身の中で、知らない自分(あるいは知らないふりをしていた自分)を発見したことがあった。

それは「悲劇のヒロインになりたがっていた」ということ。

きっと言い方は他にも色々あって、「独りよがり」「被害者意識」... 表し方はたくさんあると思う!


それを「悲劇のヒロインなりたがり症」って言ってみた。

悲劇のヒロインなりたがり症・・・自分の中に過去の失敗体験によるトラウマ等が原因の消化しきれない感情があり、”誰にも理解されない”と思い込み、”自分を卑下して自信を喪失し、自分を擁護しようとする自分から中々変われないこと。

これは、別に悪いことでも何でもなくて、これになる要因を経験していれば、誰でもあるものだと思う。

悪いと思うと自己嫌悪につながるので、善悪で物事を判断しない判断の物差しが必要だと思う。

そして、今このnoteを読んでいる人は、思い当たる節があって、これを治したいと思い悩んでいる人が多いと思う。

したがって、ここでは考え方の大前提として...
「善も悪も存在しない」・「ヒトは生存戦略として自己防衛本能が働く」

ということを頭に叩き込んでおいて欲しい。

私達は、いつでも自分がかわいい。

自分がなるべくストレスを感じないように、ストレスを回避するように生きている。

これは、生存戦略としての自己防衛本能だ。

だから、「ヒトの痛みを理解することよりも、自分の痛みをどうにかしたい」と思うのは普通だと思う。

ヒトの痛みを取り除いてあげられないのは、自分を責めることでも何でもない。

けど、つい自分を責めてしまうのは、"誰かの痛みに寄り添うことができない自分が嫌だから"だ。

つまり、私達は自分がかわいいのと同時に、誰かの役に立っていたいというワガママも兼ね備えてる生き物なんだということを理解すると良いと思う。

きっと、これは進化の過程で、

「誰かの痛みまでも理解してくれる人のことを信頼できるから、誰かの痛みを理解して、集団としての団結力を高めて種としての生存確率を上げようとしてる」

のではないかなと思う!

なぜなら、ホモサピエンスは団結力が生存戦略のカギだったから。

少なくとも私はこう思っているので、自分を責める必要はないと私は思う!

今日も読んでくれてありがとう!
自分の頭の中のnoteが誰かの心に刺さったら嬉しいな~と思います。

ではまた!

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