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『メガネをかけたい』ちょっぴり変わった女の子のひらめきと、誤った努力。

左目に、久々に小さな目イボができた。


口の中に甘い味が広がる苦手な抗菌目薬をさしながら、幼い頃の自分を思い出した。



今思えば、私は少し変な子どもだった。



父が飼っていたピラニアが泳ぐ水槽を、どこからか持ってきたハンマーで突然割ってみたり(幸運にもすぐに発見されピラニアは無事だった)。



旧家の土台である土を毎日せっせと掘り続け、巨大な穴を開けてみたり(家が傾かなくて本当によかった)。


2歳でひらがなを読めた私は、病院の待合室でバサっと大きな新聞を広げ大声で音読したり(ひらがなだけなのでまるで呪文、じーちゃんばーちゃんおったまげ)。




そんな私は、小学4年生の頃無性にメガネに憧れた。


メガネをかけている人がやたらカッコよく見えて、「私もメガネをかけたい!!」と熱い情熱を燃やし始めたのだ。



ありがたいことに、当時私の視力は1.5以上あり、メガネとは全く無縁の生活だった。


ちなみに父は視力良好、母は視力が悪くコンタクト生活をしていた。


DNA的には半々で、悪くなる可能性もなくはないと踏んだ。



そこで私は、「一般的に目に悪いとされること」をし始めた。



例えば暗い部屋で本をやたら近づけて読んでみたり、わざと電気を消してTVを見てみたり。



そんな私の努力の甲斐も虚しく、視力は引き続き1.5をキープしていた。



「こんなに努力しても、視力って簡単には悪くならないんだな」


と、我が実験結果に落胆していた。



そんなある日、私はとてもいいことを思いついたのだ。


母の化粧台の上に、コスメと一緒に置かれていた目薬を発見した。


パッケージには、”コンタクトレンズ専用”と書かれている。



「これだ!!!」と思った。




コンタクトレンズ専用ってことは、裸眼にさしたら悪いに違いない。


コンタクトレンズで護られていない目にさすんだから、良いはずがない。



私は目薬を高い位置に構え(プールで学んだ、”人の目薬は使っちゃいけない”だけは守ろうとしている)、えいっ!とさした。



くぅーーーーーーー!!!


びっくりするくらいしみる(どうやらクールタイプだったらしい)。



こんなにしみるなら、きっと効果は抜群だ!!



誰もいない部屋で人知れずガッツポーズをし、両目に数回さした。


それはまるで、最高のアイデアを発見した喜びの涙のように思えた。




その日から、目薬をこっそり点眼する日々が始まった。


母のいないタイミングを狙い、毎日両目に1滴ずつさした。


私にとってはもはや、歯磨きと同じ日課のようなものだった。




元あった場所にちゃんと戻すので、母は一切気付いていない。


この努力が、憧れのメガネに一刻一刻と近付いているんだと思うと心が踊った。



そして遂に!


次の視力検査で私は初めての視力0.9を獲得した!!


心の中で鳴り止まぬ「威風堂々」。



友人には

「あぁ〜視力落ちちゃったなぁ」

とかちょっと残念な感じを装いつつ、心の中では威風堂々に合わせて踊りまくっていた。



「実は視力落としたくてコンタクトの目薬をさしてたんだ、うふふ」


などということは、やっぱり少し変なことだろうから誰にも言わなかった。



周りに「視力が悪くなりたい」と言っている子など一人もおらず、しかしもし友人が望んでいたとしたらこっそりこの秘訣を教えていたかも知れない。




1.0を切るのはこれが初めてのことで、それを知った心配性の母は私を眼科に連れていった。


私が「視力悪くなったから眼科に行きたい!」と言わずとも、スムーズな流れで眼科医に会えることになったのだ。


まさか母の目薬が原因かもしれないとは口が裂けても言えず、このことは大人になってからカミングアウトした。



「軽めの度数のメガネかコンタクトを試してみましょうか。


コンタクトはちょっとケアが大変なので、はじめはメガネがいいと思います。



優しい眼科医の先生は、付き添いの母を前にしてそう言ってくれた。



きたんだ、ついにこの時が!!


小学4年生では日々のケアが難しいと判断され、非常に自然な流れでメガネを手に入れることになった私、万歳!!!


もしコンタクトを勧められていたら、大人しかった私がメガネを自ら主張して望むのは相当難易度が高かっただろう。




そして私は母に連れられ、人生で初めてメガネ屋さんに入った。


夢にまで見たたくさんの種類のメガネが並んでいて、ここはパラダイスかと思った。



小学生向けのメガネには、かわいいキャラクターのケースも選ばせてくれた。


至ってクールな表情で鏡の前で色々なメガネを試しながら、心の中では再び威風堂々が鳴り響く。


あまり頑張ったりアツくなるタイプの子どもではなかったので、このメガネにたどり着いたこの道のりこそが、「努力が実を結ぶ、夢は叶う」を人生で初めて実感した瞬間だった。



よくあるシルバーっぽいフレームのメガネと、ポチャッコのメガネケースをもらってウキウキで家に帰った。



メガネをかけていると、自然と本に手が伸びるようないい気分になった。


もともと読書好きだったが、「もっと難しい本を読みたい」と思うような、背筋が伸びるような気持ちになりとても気分がよかった。


メガネの自分、万歳!!!




そんな最高の気分でメガネをかけ、私は仕事から帰ってきた父に披露しようと事務所へ行った。



すると父は


「おぉ〜!?


おなつ、メガネにしたんかぁ〜!!!笑」



父は、メガネ姿の私を見て爆笑していた。



どうやら私の顔にメガネが似合わないようで、近くに行って見せると更に爆笑し始めたのだった。



・・・(・ω・`)




年頃の女の子だ、その瞬間はとてもショックで泣きたかった。


だって、私がずっと夢みたメガネ姿だもの。



グッと堪えて私はお手洗いに駆け込み、鏡を見た。



・・・(´・ω・)




まんまるの顔に、これまた丸っこいメガネ。


おまけに体型も丸かったので、私は全体的に

◯!!!

って感じの姿に変身していた。



さっきメガネ屋さんで見た時と…


ちょっとイメージが違う。


どうやらあの明るい店内は、スーパーエフェクトがかかるようだ。



父の爆笑のおかげで、私は現実をそのまま直視することが出来た。


あの瞬間はショックだったが、確かにそうかもなと自覚したのでそれほど引きずらなかった。



夢にまで見たメガネ生活だったが、その内メガネが煩わしくなった。


裸眼で遠くまで見えていた頃が懐かしくてたまらない。




成長するにつれ更に視力は急降下し、途中でコンタクトに変え、今現在の視力は0.1を余裕で切っているほど悪い。


メガネを手に入れた後あの目薬をささなくなったのに低下し続けたということは、もしかするとこれは50%の確率であり得た母のDNAを引き継いだ結果なのかも知れない。



なぁーーーーーんだ。


目薬をささなくてもいずれ自然にメガネになってたんじゃん!!!



という後悔をしたのは少し年月が流れた頃だった。




よい子のみんな、裸眼にコンタクト専用目薬をさすなどという馬鹿なことはくれぐれもしないでね。


恵まれた健康を自ら悪くするなんて、バチ当たりなことをしちゃいけないよ。



メガネなんかより視力1.5を取り戻したいと後悔している、ちょっぴり変な大人より。

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Natsumi🇬🇧
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