noteを 165 日、 書き続けて個人的に思うこと
こんにちは。
ナツミ(@natsumi_smile)です。
6月になったので(?)、発信がんばっていきたいな、と思って早4日。
ゆる〜りしていたら、あっという間に6月も終わり、2020年が終わってしまいそう。
「そろそろ」はもうやめて、「今日から」にシフトして行こうと思いました。
ちょっと中途半端だけど、思い立ったが吉日。
note 165 日めに、noteを書き続けることについての、とても個人的な気持ちを整理してみようと思います。
発信は苦しい… 本当に?
noteを毎日書き出してから、早いもので今日で 165 日め。
毎日書く、ということは想像以上に苦しいもので。
どうして苦しいのか。を考えてみました。
書きたいことは、多分ある。わたしの中に。きっといくつも。
人と話していると、話したいことはいくらでも出てくるから。
でも、いざ書こうとすると、出てこないのはなぜだろう?
1つめは、伝えたいことをピックアップできてないこと。
相手がいれば伝えられるということは、伝えたいことがないんじゃなくて、伝えたいことをピックアップできない状態だということ。
それって伝えたい相手をイメージできてないということだ。
伝えたい相手がいれば、何か伝えたいことが生まれる。
2つめは、現状に満足しすぎている感があること。
数日前、こちらの投稿にも書いたのだけれど、「今のままでもしあわせだし、生きていられるし、このままでいいか」と言う気持ち。それに甘んじて書く目的を見失うと、書くことが苦しくなる。
発信しなくても、今のままで十分しあわせ。
でも、発信をがんばったら、きっともっとしあわせ。
だって、なりたい自分に近づけるから。
3つめは、上手に言語化できない。言語化力が足りないこと。
noteを書き続けてわかったのは、いいねをたくさんもらえるときは、自分でもそれなりにうまく書けたと思うとき。それはつまり、読んでくれる方に、わかりやすく伝わったときなのだと思う。
自分でも納得がいくような言葉が出てこないと、何時間も苦しむことになる。
こんな文章じゃ、わたしの言いたいことは伝わらないな。
わたしの伝えたいことって、こんなことだったっけ…?
あー、うまく書けないから、書きたくない。
要するに、わたしが苦しいのは、書くことがないというよりも、伝えたいことを認識して、伝わる言葉にできない状態だから。
こうやって苦しい理由を言葉にすると、自分の乗り越えるべきものがわかってきます。
どんなものかわからない壁は乗り越えられる気がしないけれど、どんな壁なのかわかれば、乗り越えられそうな気がしてくるから不思議です。
発信をがんばる。 どう、がんばるのか
毎日やり続けると、ダラけてくるもので。
わたしは「続けること」が大切だと思っていて、とにかく毎日毎日投稿することを重視していました。
6月は、今までよりもほんの少しだけ、内容のある投稿にできたらと思います。
今までもわたしなりに考えたうえで書いていましたが、ただ書くだけではなくて、伝えたいことがちゃんと伝わるように。
わたしが伝えたいことは、いつも同じ。
・自分を大切にしてほしい
・当たり前すぎて見失いがちなことに気づくきっかけを届けたい
・人生がちょっとキラキラする視点や考え方
・大好きなコーチングのこと
・ささやかな日々の気づき・よろこび などなど。
以前、こちらの投稿に書いたこと。
わたしは、暗い気持ちになった人の心にあかりを灯したい。
そして最終的には、その人自身が自分のランプになれるお手伝いができたら。
自分のことがわからなかったり、自信が持てなくて暗い気持ちになっている人に、自分を信じて前向きな気持ちになって欲しい。
自分を大切にして、自分のいちばんの味方でいてほしい。
やりたいと思ったことを、自分はできると信じて前向きにチャレンジしてほしい。
こうやって書き出すこと・振り返ることで、自分の気持ちが整理されて、意識してなかった思いが出てきます。
そしてアウトプットすることで、自分の考えを客観的に認識できて、覚悟が生まれます。
そうだ。わたしのやりたいこと。伝えたいこと。
自分の原点に立ち返ろう。
そして、明日からまたがんばろう。
これが、note 165 日めに個人的に思うことです。
#ナツミnote 【Day165】
自分の声に耳を傾けることで、自分を大切にしよう。そんなnoteを、ほぼ毎日書いています。書いたのにアップし忘れて、noteが数えてくれる連続更新記録のカウントが途切れたので、「ほぼ毎日」。たまにエッセイ。
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