先週6月25日に開催したセミナー「人類学的リサーチ事始め ~人類学者の情報収集と「問い」の見つけ方~」には、私たちの予想を超えて100名近くもの方々にご参加いただきました。当日は多くのリサーチャーやデザイナーの方々がいらしただけでなく、企画職やエンジニア、研究者や学生など幅広い職種の方々に集まっていただき、多くのコメントが寄せられ、質疑が活発に交わされました。大学院の後輩である水上優さんと企画したこのイベントは、人類学的リサーチの重要性を広く伝える目的で実施したのですが、人類
自分のフィールドワークがちっともうまく進まないなかで、不定期であれ入院中の友人の見舞いをも続けることは、当時の私にとって大きな試練であり、日々が葛藤だった。病院での検査の結果、友人のサネは子宮にこぶし大の腫瘍があることが判明したが、それが良性なのか悪性なのかの判断もつかず、それ以上の検査や手術はいずれにせよトンガではできないという結論が出た。その時の私はよくわかっていなかったが、トンガの人びとは何か大きな病気−例えばガンとか−に罹った場合、ニュージーランドなどの海外で治療をす
あなたは異国の病院で眠った経験があるだろうか?ベッドではなく、その床で。私はある。 1回目の予備的なフィールドワークから約半年後、私はまたトンガにいた。まだそのときも現地語はままならず、彼らのことも理解できないことだらけだったが、それでも空港に着けば前回出会った人びとが迎えに来てくれて、そのまままっすぐ彼らの村に連れていってくれた。実は予備調査のとき、サネの住むヴァヴァウ島をも含めたいくつかの島を周り、どこで本調査をするかを検討していたのだが、いろいろな条件を考えた結果、首
物理的にでも、精神的にでも、誰かを失ったとき、まず圧倒的に押し寄せるのは、もちろんその人と過ごした時間の記憶だ。けれどそこから連鎖するようにして、また何か別の、深い喪失の記憶にとらわれることもある。 今日、ふと、サネのことを思い出した。 初めて会ったとき、サネは19才で、私は24才だった。いや、初めて「会った」と書いたけれど、「私が彼女をじっと見て、彼女はそんな私を察知した」というのが適切かもしれない。そのときの彼女は、身体じゅうから警戒心の強いオーラを発し、周囲というよ
もう3ヶ月ほど前になりますが、デザイン研究者の上平崇仁さんにインタビューをしていただきました。「デザイン態度」についてのリサーチの一環というお話だったんですが、さほど深い理解もないままに、とりあえずお引き受けしてしまいました。 はたしてそこでどんな会話が繰り広げられたのか...興味を持たれた方は上記リンク先を見て/聞いていただくとして、ここでは別の角度から、その後に考えたことを少しだけ追記しておきます。 このインタビューのときに私がフォーカスして答えていたことは、「フィー
コロナ禍における欲望と葛藤ああ、どこかへ行きたい。普段より大きな荷物をよいしょと抱えて、できるだけ遠くに行きたい。列車でも飛行機でもいい、目的地に到着してその扉が開いた瞬間、一歩踏みだし、深呼吸して、その土地の匂いをめいいっぱい吸い込みたい。 ああ、あの人に会いたい。一緒に食事をしながら大声で笑いあいたい。同じものを食べながら、これ美味しいね、これはちょっと辛いなあなどと言いながら、相手の空いたグラスにそっとお酒を注ぎたい。 こうした欲望が、これほどまでに色濃く、地球上を