人類学者の考える「リサーチの価値」
先週6月25日に開催したセミナー「人類学的リサーチ事始め ~人類学者の情報収集と「問い」の見つけ方~」には、私たちの予想を超えて100名近くもの方々にご参加いただきました。当日は多くのリサーチャーやデザイナーの方々がいらしただけでなく、企画職やエンジニア、研究者や学生など幅広い職種の方々に集まっていただき、多くのコメントが寄せられ、質疑が活発に交わされました。大学院の後輩である水上優さんと企画したこのイベントは、人類学的リサーチの重要性を広く伝える目的で実施したのですが、人類学者による現場や対象に対する実際のアプローチを、いくつかのキイワードや具体的なエピソードと共に紹介し議論するという構成でした。会の詳細は水上さんが書いてくれているので、ご興味ある方はこちらもご覧ください。
なぜ人類学的リサーチが必要なのか
そもそもなぜ人類学的リサーチが必要なのでしょうか。またそれはどのような場面で必要となるのでしょうか。
たとえばUXデザインや、顧客理解に基づく製品開発など、現場やユーザーの理解が重要だと言われて久しいですが、私たちは本当に丁寧に、深く、人間をわかろうとしているのでしょうか。これまで複数の企業とのプロジェクトに携わり、そのプロセスを見るなかで、正直なところ疑問に思う場面が多々ありました。つまり現場やユーザーの理解を目指すと言いながらも、予算や期間などの都合で、結局は形式的なリサーチを実施するにとどまり、プロジェクトを拙速に進めがちである事例が実際には多いように感じたのです。
あるいはこんな場合もあるでしょう。イノベーションを生みだすような、創造的なプロジェクトを目指しているにもかかわらず、結局のところ仮説検証的/目的志向的な考えかたに陥り、アウトプットの可能性を狭めてしまう場合。たとえば新規事業開発などがそれに該当しますが、適切なインプット=リサーチのプロセスを経ることなく、自分たちの頭のなかにある既存の知識や経験のみに依存して何かを生みだしていくことには、明らかな限界があるはずです。それにもかかわらず、リサーチの重要性はまだ充分に認知されていないように私には思われました。
こうした状況に対して、人間に対して柔軟かつきめ細やかなアプローチを取る人類学的リサーチを導入することは、プロジェクトおよびアウトプットの質と可能性を大きく左右するはず。私はそう考えています。
テクニックではなく「ものの見方」としてのリサーチへ
いわゆるビジネスエスノグラフィやユーザーリサーチに関するセミナーやワークショップ等は、多くの場合、手法やテクニックの話にとどまることが多く、私たちはいつももどかしさを感じていました。もちろん人類学にとっても手法は大変重要であり、それを身につけることには大きな意味があるのですが、いっぽうで人類学的リサーチのエッセンスは、それだけで伝えることに限界があると感じたのです。つまり人類学的リサーチとは、テクニックではなくむしろ「ものの見方」であると。言い換えるなら、手法の問題というよりも、思考のしかたや態度の問題こそが重要なのです。
今回の参加者から多くの共感と満足が得られたことの理由は、おそらくこの点にあったように思います。単にリサーチ手法を理解したからといって、それによって人間理解が圧倒的に進むとは誰も思っていないはずです。あるいは参加者からのコメントにもありましたが、この種のリサーチをこれまで経験した方々こそ、実際の現場がマニュアル的には進まないことや、あるいは逆にマニュアル的に進めてしまうことの罪悪感や不完全燃焼感などが葛藤とともに打ち明けられていました。やはり私たちにとって重要なのは、手法そのものではなく、手法をどのように用いるのか、そのことによって対象にどうより良くアプローチできるのかを考えることなのです。
「余白」を作り「想定外」を生むこと
今回、いくつかのキイワードを提示しましたが、私が一番伝えたかったことのひとつはこの言葉に集約されています。「余白」を作り「想定外」を生むこと。今の私たちにまだ足りないのは、この意識と取り組みではないでしょうか。
人類学者は偶然の出会いやそこから展開する出来事の連鎖を何よりも大切にしています。それはただなんとなくそうしているわけではなく、あえてプロジェクトそのものに「余白」をつくり、そのようにして「想定外」の人びとや出来事に出会っていく余地を積極的に残しているわけです。目的地=プロジェクトのゴールに最短距離で向かおうとする在り方には、当然ながらこのような「余白」が存在せず、それでいて何か新たな気づきを得ようとすることは、多くの矛盾に満ちています。いや、実はみなさんもその矛盾には薄々お気づきなのだと思うのです。けれどそうするにはコストが...上司やクライアントへの説明が...と、現実には色々な悩ましさがあることもよくわかります。
それでもなお、冒頭でも書いたように、みなさんが本当に現場やユーザーの側に寄り添った開発を目指すのであれば、あるいはこれまでのものの見方や考え方を超えたところからイノベーティブな取り組みを本気で目指すのであれば、いつまでも言い訳をしている場合ではないでしょう。人類学的リサーチとは、自分たちの想定や仮説を補強するような、素材集めのリサーチとは根本的に異なります。それは決して簡単な道のりではありませんが、けれどこれほど面白く意味のあるリサーチもなかなかないと思っています。これからも様々な立場のみなさんと、様々なプロジェクトのなかに、人類学的リサーチとアプローチを取り入れる試みを続けていきたい。先日のセミナーは、そう改めて思わせてくれる機会でした。