遠い島の友を失った日のこと #2
あなたは異国の病院で眠った経験があるだろうか?ベッドではなく、その床で。私はある。
1回目の予備的なフィールドワークから約半年後、私はまたトンガにいた。まだそのときも現地語はままならず、彼らのことも理解できないことだらけだったが、それでも空港に着けば前回出会った人びとが迎えに来てくれて、そのまままっすぐ彼らの村に連れていってくれた。実は予備調査のとき、サネの住むヴァヴァウ島をも含めたいくつかの島を周り、どこで本調査をするかを検討していたのだが、いろいろな条件を考えた結果、首都のあるトンガタプ島の村に落ち着くことにしたのだった。
トンガタプ島からヴァヴァウ島までは、ぎゅうぎゅう詰めのフェリーに揺られて丸1日かかる距離だったので(ちなみにこのフェリーは日本の古い定期船を払い下げたもので、後に沈没し多くの死者を出す歴史的惨事となったのだが、その話は割愛する...)、今回の私はヴァヴァウ島に行く暇もないだろうと思っていた。ただ前回せっかく知りあったサネやその家族のことが気になったので、今トンガに来ているという報告をしようと、サネの母のアレマに電話をした。するとアレマの返事は意外なものだった。「もうすぐ自分たちもトンガタプ島に行くので、そこで会いましょう」と言うのだ。
実は前回の訪問時にも聞いていたのだが、サネには何らかの持病があるらしく、ときどき苦痛な表情をにじませ、下腹部をさすっていることがあった。ただその不調の原因は島内の診療所では明らかにできず、今回、首都の病院に行って精密検査を受けることになったという。彼女がどの程度の具合の悪さなのか、またトンガの医療がどれほどのものなのか、その時の私はまったく知らなかったが、何にせよきっとそれはサネにとって良いことなのだろうと思い、意外な理由とはいえ再会できることが嬉しかった。
私はといえば、2回目の、しかも限られた時間での「本調査」ということで、日々がめまぐるしかった。自分のいる村のホストファミリーや村人たちとの関係を築こうと試行錯誤しながら、彼らの名前や家族構成を覚えながら、イモと缶詰ばかりの現地の食生活に滅入りながら、その日に覚えたトンガ語を逐一メモし、毎日のできごとはフィールドノートに記録して...と、気力も体力もぎりぎりのところで時間が過ぎていき、正直なところしばらくの間はサネのこともすっかり忘れていた、そんな頃である、トンガタプ島のヴァイオラ病院にやって来たと、彼女の母のアレマから連絡があったのは。
ヴァイオラ病院は、トンガで最大、というよりもむしろ唯一の病院である。日本の援助で建てられたその病院はとても簡素な作りで、私のような素人からみてもそこで高度な医療処置などできないことは明らかだった。とはいえ医療は無償であり、多くのお産がそこで行われることもあり、病院は毎日多くの患者とその家族で賑わっていた。サネはひとまずそこに検査入院することになり、私は村からバスに揺られ、お菓子や果物を買って彼女をお見舞いにいったのだった。彼女は案外元気そうだったので安心し、私たちは久々の再会を喜んで、他愛もない話に花を咲かせた。今回、妹たちは島の親戚のところに残して、サネとアレマの2人だけでこの島に来たという。
サネは思ったより元気そうではあったが、それと同時にどこか不安げで、寂しそうでもあった。それはそうだろう、以前に数回来たことのある首都の島とはいえ、自分の友人や家族からは遠く離れて、そして無機質な病院の相部屋で、見知らぬ人びとと共に過ごさねばならないのだから。彼女は私に、一緒に待合室でテレビを観ようとか、売店まで散歩しようなどと言って、そうやって不安を和らげている様子だった。母親のアレマは仕事を休んでサネに同行していたのだが、シングルマザーの彼女は資金繰りなどが大変らしく、日中は島内の親族の元や所属する教会に出向いていることが多かった。なのでその間、サネはひとりぼっちだった。他の入院患者たちの元には毎日のように家族や親族がやってきて、食べきれないほどの料理などを持参し、賑やかに話している様子が見えるのだから、サネの孤独はなおさら増したのかもしれない。
彼女の検査結果はいつまでたっても明らかにならず、もどかしい時間が続いた。私はまた村に戻ってフィールドワークの日々を続け、ときどき首都に来るついでに何かお土産を買ってはサネのところに寄り、お喋りしながら数時間を共に過ごした。病院で時間だけが過ぎていくことに対するサネの苛立ちも、徐々に憔悴していったアレマの葛藤も、痛いほどよくわかった。けれど私はまだ学生でお金もなく、トンガ語も不十分で、村の人たちにも頼りながら生活をしているような状態だった。とにかく無力で、自分ができることなど限られていた。そんなもどかしさも手伝って、サネがあまりに落ち込んでいるときなど、私は病室で泊まるようになった。彼女の孤独や不安が、少しでも減るといいと思った。
「病室に泊まる」などといっても、そもそもサネの部屋は6人部屋で、仕切りとなるカーテンがあったとはいえ1人ずつに与えられた空間は限られていた。サネのベッドはちょうど部屋の角にあったので、ベッドの横の、壁際の床にマットを敷いて、毎晩アレマはそこで寝ていた。私もそのアレマの隣の狭いスペースに横たわり、どこからともなく漂う病院の音やにおい、そしてひんやりと冷たく平らな床を直に感じ、暗闇のなかにうかびあがるベッドの脚をぼんやり見つめながら、眠りについた。時には夜中に痛みを訴えるサネが起き上がって、彼女のトイレに付き添ったりもした。そんな夜が何度となく訪れ、やがて同室の患者たちは私のことをよく覚えてくれるようになり、差し入れなど積極的に分けてくれるようになった。たしかに、患者の家族でもない、異国から来た女の子が病院の床で寝ている光景は、トンガでもとても珍しかったはずだ。
サネのことはとても心配だったし、できるだけ一緒にいたい気持ちはあった。だがそもそも私は村での調査を目的としてトンガに来ていたのだから、このような時間の過ごし方をしている場合ではないはずで、とにかく四六時中葛藤していた。こうやって病院で過ごすあいだにも、私は村にいて何かを「調査」しているべきなのかもしれない、そこでいま何か「重要な」こと村では起きているのかもしれない...などと。自分の身体がひとつしかないことを、これほど恨めしく思ったことは、後にも先にもないだろう。(つづく)