お寺の記号「卍」 紀元前のイタリアでも使われていた! ~タルクィニア⑤ネクロポリスの壁画~
日本では地図上で寺社の記号として親しまれている「卍」。それゆえ、仏教由来の記号として認識している人が多いと思います。しかし、「卍」は、古代より世界の多くの文化や宗教で使われていました。
ヨーロッパでは現在「卍」の記号は、ナチス・ドイツを連想させるため(ナチスが使ったのは逆卍)タブー視されています。そもそも、たくさんのヨーロッパ人は、ナチス以前にもこのシンボルが使われていたことを知らないように思われます。
しかしながら、卍は、古代より、ヒンドゥー教や仏教、またヨーロッパでも、幸運のシンボルであり、宇宙、自然、人間の調和のとれた生き方を表わしていたのです。
紀元前古代ローマに滅ぼされるまで、中部イタリアで栄えたエトルリアの文明でも、この卍をシンボルとして使っていました。
これは、タルクィニアのネクロポリスでみつかった遺灰を入れるための壺です。戦士の骨壺のため、蓋がかぶとの形をしています。壺には、卍のシンボルが刻まれています。
卍は、大地上では、東西南北の四方を表わすシンボル。そして、太陽の光を表わすシンボルでもあり、恒星の周りを回転する星も表していて、光のように生命力を四方に放つ極のシンボルだったのです。天の極を見ていたら卍に見えてきます!
さらに、この卍のシンボルは壺に描かれていただけではありませんでした。
タルクィニアのネクロポリスには、たくさんの壁画が残っています。その内の一つ。横臥食卓の墓。
正面には、体を横たえ食事をしている人々の様子が描かれています。そして、側面には、踊り手と音楽家。その踊り手の動きをよく見てみてください。
ガラス越しに撮った写真で少しみづらいですが、一番左の女性。直角に曲げた腕。曲げられた足。まさに踊りのポーズで卍を表わしているのです。
エトルリアでは、お葬式だけではなく、様々な祝祭日や儀式において饗宴を行うことは、会食者と神々との特別な精神の結びつきを意味しました。そして、乳、ぶどう酒、ハチミツ、肉、香草と穀物からできた特別なフォカッチャなどの高価な食べ物が必ず神々に奉納されました。
ゆえに、ここに描かれているのは、単に食べて、飲んで、踊って楽しんでいる様子ではなく、饗宴の形をとった儀式であり、踊りは型が決められている神々への捧げものなのです。
神聖な儀式の踊りにも表わされた、卍型。エトルリア文明において、聖なるシンボルであったことがわかります。
ちなみに、饗宴の様子はお墓の壁画によく描かれています。この「レオパルド(豹)の墓」では、3組のカップルが横たわりながら食事をしています。中央と右は、男女のカップルです。エトルリア社会では女性も男性と同じように宴に参加していたことがわかります。それは、エトルリア文明特有なことで、古代ギリシャやローマでは、女性の出席は不適当とされていました。それらのいわゆる発展していたと思われていた社会がいかなることからも女性を除外した家父長制であったのに対し、エトルリアでは社会的にも宗教的にも女性や女性原理に敬意が払われていました。
女性に敬意を払うのは、エトルリアでは何よりもまず母なる大地に敬意を払っていたためでした。
エトルリアの女性については、下記の記事も参照してください。
タルクィニアについては、下記の記事も参照してください。