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東洋哲学に通じるエトルリアの思想 ~タルクィニア③ ネクロポリスの壁画~

古代ローマ以前に中部イタリアで栄えた文明「エトルリア」の都市国家の一つであったタルクィニアに残る遺跡で、一番有名なのはやはり世界遺産にも登録されたネクロポリスに残る色鮮やかな壁画でしょう。
(表紙は、「船の墓」(紀元前5世紀半ば)現在は国立タルクィニア博物館保管)

Colle del Monterozzi(モンテロッツィの丘)

現在、ネクロポリスがあるモンテロッツィの丘は遺跡公園として公開されていて、20程の紀元前7世紀から紀元前1世紀に描かれた壁画を見学することができます。

近代になってつくられた墳墓の入り口に入り、階段を下り、サイドにつけられたボタンを押すと、ガラス越しの壁画がライトアップされます。壁画を鑑賞し終わると、降りてきた階段を上り、外にでて、砂利がひかれた小道を歩き次の壁画に向かいます。それの繰り返しです。下って登って最後の方にはかなり足も疲れてきますが、全部見学しなければ気がすまないのは、6ユーロの入場料を払っているからでしょう。さらに、自分だったらどんな壁画を描いてもらおうかなと考えたりしてしまいました。

しかし、このように今となっては観光地化されてしまったこのネクロポリスですが、エトルリアの時代にはとても神聖な場所でした。そして、光の当たることのない地下に描かれた壁画も、故人が寂しくないように描かれたわけではなく、暗い世界に彩りをもたらす、あの世の神様への捧げもの、贈り物でした。

墳墓は、古代のタルクィニアの都市があったチヴィタ平原の丘から谷を挟んで南西の方角のモンテロッツィの丘に点在し、その数は6000にも上ります。岩を掘って地下につくられたお墓には、当時土が盛られていました。

死後、母なる大地の胎内に再び迎え入れられると信じていたエトルリア人は、見ることのできないあの世の世界への入り口として墳墓をつくりました。色鮮やかな壁画を暗闇の大地の女神に捧げたのは、墳墓の暗闇と壁画の光、または女性性である暗闇と男性性である光り輝く明るさ、この相反する二つのエネルギーが結びつくことで、亡くなった人の魂があの世に向かう旅の扉が開かれると信じていたのです。

シカ狩りの墓(紀元前450年頃)

壁画には、たくさんのシンボルも埋め込まれていました。なかでも「あの世への入り口」として描かれたチェスボードの柄はエトルリアの芸術によく使われています。十字は、高い方、天への上昇を表わす縦の線と大地での広がりを表わす横の線の交わりで、天と地の「結婚」を表わしています。その十字がたくさん集まったチェスボード柄は、明るい色の四角と暗い色の四角が交互に描かれることにより、相反するエネルギーのさらなる結合を表わしています。

バルトッチーニの墓(紀元前450年頃)

形は違いますが、チェスボード柄は東洋の思想の陰陽の太極図と同じ考え方から生まれたと思います。

1922年にノーベル物理学賞を受賞したニールス・ボーアは量子物理学と東洋哲学に類似性があるとし、物理学者フリッチョフ・カプラもその類似性を「タオ自然学」という本に記しています。エトルリアが示すように、西洋にも東洋哲学と同じような考えがあったにもかかわらず、彼らが東洋哲学に興味を示すのは、ギリシャ文明があまりにも偉大とされ、それまでの文明が原始的と思われているからでしょう。

現在の私達も、相反する二つのエネルギーのバランスを保とうとしていた古代に見習い、自然崩壊をとめ、パンデミックを終わらす道をみつけださなければいけないのではないかと思います。

参考文献:Pittura segreta etrusca, Giovanni Feo, Nuovi Equilibri Stampa Alternativa 2005

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