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HUCへの偏愛を語る。~令和の母親に希望を与えるHUCの凄さを名もなき凡夫が独り語るの巻~

ボクは、HUCを敬愛している。
敬愛の度合いはどの程度かと聞かれたなら難しいが、少なくとも私的使用を目的としたノートや下敷き(※HUCのロゴ入りのオリジナルグッズ)を勝手に作ってしまう程度には好きだッ!!

HUCというのは、経済メディアNewspicsの人気番組「Weekly Ochiai」で「母親をアップデートせよ」という放送回の番組観覧から生まれたコミュニティで「母親アップデートコミュニティ」の略称だ。

※2020年8月には一般社団法人母親アップデートも設立されました。

さて、HUCの概要・活動は公式サイトに譲るとして、今回は完全なる自己満足の世界に浸り、ボクが個人的に思う『HUCのココが凄い!』というポイントを、絞りに絞って紹介したいと思う。


1. 「誰も否定しない」の実践が凄い。

「誰も否定しない」というのはHUCの象徴とも言えるルールだけど、代表のなつみっくす氏はじめ、メンバーの皆さんが実際に、そして丁寧に実践・体現してるのが凄い。

2年目はコロナ禍もあってオフラインでのイベント活動は少なかったと思うけど、メンバーの中には地方在住でアクティブにイベント参加できない人や、中にはパートナーの理解が得られにくいとか、義理の父母と同居でスマホや PC からの zoom ですら参加しにくい人もいたりすると思うし、またそんなメンバーからすると、HUC を誇りに思う一方で、自分が貢献出来ていないと感じたり、申し訳なく感じたりしちゃう人もきっといる筈だと思っている。(特にボクみたいにネガティブな人なら尚の事)。

でも、 HUC は「アクティブじゃない人でも居づらくならない空気」に優れてるのかなと。
ちょっと勇気を出して発言したら、その僅かなアクションを確実に誰かが拾って、反応してくれる。
それは、自分から動くのが得意じゃない人にも勇気を与えると思うし、HUC がそんな人達にもリーチできるコミュニティである事にもなるし、逆に、HUC としてもメンバー内にそういう人がいる事で、広い視点を忘れずにいられるのかもだし、そういった意味でも、どんな人でも居ていい、ちゃんと貢献できてるんだよと思えるのが素晴らしいところ、否定されない空気が完全に出来上がっている事が凄いと思う。


2. 組織作りのステップの丁寧さが凄い。

まじめっくs...もとい、なつみっくす氏の性格の影響も大きいのかも知れないけれど、特に初年度、盛り上がりや勢いに任せて人数・分母を増やしにメンバー募集に行ったりせずに、目的や方向性、存在意義や活動方針など、コミュニティの基盤作り、骨格というか、ベースレイアウトのアウトライン化の部分をじっくり時間を掛けて、時間と力を注いでるんじゃないかな。

なつみっくす個人の判断なのか理事メンバーなのかメンバーの総意からか分からないけれど、そんな組織作りのシステム論というか組織論的に素晴らしい判断だったのではないかなと思う。

特に、コミュニティ作りのベテランならともかく、しかも全国各地に離れた人達とのオンラインコミュニティという形にあって、しかも瞬間的熱量が大きい中で、勢いに任せて外に放熱するなく抑えながら行ったことは、おそらく戦略的なモノだと思うので素直に凄いと思う。
ここには目立たないけどホントに苦心したり大変な努力があっただろうなとも想像してる。

付け加えると、2年目に突入した際に運営メンバーを入れ替えるという試みも、とても英断だし、そこで次期運営メンバーを決める時に、次々と手があがるのも凄い事だと思う。


3. 柔軟性と自由度が生む「フィードバックの密度」が凄い。

HUC は組織として参加・企画する機会だけでなく、メンバー個々人が、各種勉強会やイベント等に「自分主体の視点」で 参加して、その体験や経験を自由に語れる場がコミュニティ内にある。

そして、それぞれがシェアすることで個々の学びがどんどんフィードバックされて、HUC というコミュニティ自体の力になっていて、しかもフィードバックの機会、勉強会の企画や参加が各メンバーの自由意思で行われていることが凄くて、それがコミュニティの成熟速度を爆上げしているように思う。


4. 物理的安全性を感じる程に心理的安全性が担保された「オンラインご近所システム」の秀逸さが凄い。

一言でいえば「誰も否定しないというルールの産物」だと思うけど、心理的安全性というのは言葉で言うほどは簡単に担保できるものじゃないと思う。

そして、かつてそれが担保されていた時代や場所というのは、実は心理的安全性の前に、まず物理的安全性があったんじゃないか?と思うんだよね。

例えば、よく田舎の話にある「玄関の鍵が開けっ放し」とかもそうだし、近所の公園で子どもを遊ばせるのも、何かあれば通り掛かった近所の大人が見守ってくれたり、教えてくれたり、逆に悪いことしたら叱ってくれたりして、常に傍にいる必要もないとか、皆の子どもで、皆の大人だった。地域単位で家族だった、みたいな。 

それが現代は、核家族化も含めて、隣の人の顔も見えない名前も知らない世界になって、物理的安全性が失われて、経済的な社会不安とも相まって心理的安全性を確保するのが難しくなったと思っていて。

そこにネット文化が浸透して、twitterのようなSNSはある意味物理的危険性は伴わないコミュニケーションツールなんだけど、心理的安全性を失った状態の人たちにとっては、匿名性も手伝って適切な距離感が分からない世界だから、しかも顔も見えない不特定多数の人を相手にするから、無責任な言葉を発する人に傷つけられたり、逆に言葉狩りに合ったりして、余計に、意味の分からない無駄な警戒心とか猜疑心とかの中で、怯えながら利用するツールになってると思う。

そこへきて HUC よ。

これは「オンラインご近所システム」という言葉が本当にピッタリだと思ってて、いわゆる昔のご近所さんのように「物理的安全性が感じられる距離感」が、HUCにはあると思うんだよね。

これは多分、頻繁に zoom とか使ってるのも相当大きのかなと思うけど、実際に顔も見えて、生の声も聞けて、それも化粧とか服装も気にしなくて良くて、まるで自宅に遊びに来た気の置けない友達を相手に、家事しながら背中越しに話せるような気楽さがあって、向き合って座ってなくても、何かしながら聴いてても良くて、飾らない素の自分同士で接する場になってると思うんだけど、これって俗にいう「裸の付き合い」と同じだよね。

そして、裸の付き合いって、もう完全に「物理的安全性じゃね?」と思う訳で、オンラインなのに「物理的安全性が感じられる距離感」であること!これがあるからこそ、HUCには心理的安全性の存在を感じられる空気がある(=担保されている)のかなと思っていて、これって本当に凄いことだよなって、思う。

※ボクは青春自体に割と孤独感を感じてたタイプなせいもあるかもだけど、大人になった今、裸の付き合い出来る仲間がいて、しかも増えていく場がある、それを目の当たりにしてる訳で、これはもう、愛さずにいられない。


5. 他人からの矯正ではなく、自分の意思で別の方向に踏み出す勇気が得られる

自覚のある悩みはもちろん、無自覚に抱えていた問題・課題への気付きも含めて、その「機会」と踏み出す「勇気」が得られる点が凄い。

日常生活の中で、自分の生活スタイルや考え方、その価値観って中々変えられないし、幼少期の原体験や家庭環境で育まれ培われ形成された価値観や文化感の中に紛れる誤りや変化は、特に気付きにくい。かといって他人からそれを指摘される事は、それまでの自分を否定されるような感情が生まれがちで受け入れ難い側面もある。

でも HUC は否定しない事を大前提に置いているから、メンバーの言葉もその前提に基づいて発せられてる事が皆分かっているから、余計なバイアスやフィルターをあまり通さずに、物凄くフェアな状態で聞ける。

ここで思うのが、「話しやすい」ってのは勿論大事だけど、それ以上にきっと、人の話が「聞きやすい」ってこと、受け入れやすい、受け止めやすいってのも大きいのだろうなと思う。

だから、こうすべきだと理想像や正論を突きつけられることなく、あくまでもそれぞれが自分のケースを例に自分ならこうかな、という形で話すし、聞く側も自分への批判でも指摘でもなくて、他のケースモデル、選択肢として聞ける。

誰からも矯正されないけど、矯正されてないのに、こうしたら良いのかもって自分から思える。
フェアな選択肢がそこにある。
自分の意思で選んで踏み出せる。
そこがいいなと思うし、そんか風土が醸成されているのが凄い。


6. 妻を笑顔にしてくれてありがとう

子育て、保育園とか学校とか、親とか上世代とか世間体とか、育児本とか、そういった世に溢れた理想像や同調圧力の中で、母親としてのプレッシャーと戦って疲弊する日々を送っていた妻が、仕事のことや、子育てのこと、その他にも悩みや趣味に至るまで、こんなにも本音で話せて、信頼できる「仲間」が出来て、楽しそうに過ごしている妻が見れて、本当に感謝してる。

HUCという希望しかない歴史的なコミュニティと、メンバーの皆様のお陰です。
有難うございます。


7. 愛を語る機会をくれて有り難うございます。

絞りに絞ってこれが最後になるけれど、HUCはオンラインのセッション等で、ボクのような、どこの馬の骨、いや馬と鹿の骨とも知れぬ奴にすら、話す機会を与えてくれて、 しかも話が下手で尺とってしまっても、強制終了かけることなく話させてくれたり!!これも感謝しかない。受け入れ体制と風通しの良さ。マジで感動する。感動と愛しかないよね。

HUCは、誰も否定しないというルールを共有する中で、そのルールの力と効果を体感して、確信していて、それを誇りに感じているから、メンバー個々のマインドセットにも組み込まれて、日々フィードバックされ成長を続ける学びがメンバー個人の日常に還元されて、コミュニティの外に対しても「誰も否定しない」のマインドセットで接してる、向き合ってると思うのね、だからこそ、上で書いたようにボクなんかも受け止めてくれるし、懐がめちゃめちゃ深い。この懐の深さが凄いんだよ。

ふぅ、最低でも言いたいことは、これぐらいかな。

HUC、マジで凄いぜ!?




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過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。