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おかえりの酢醤油
「あ、酢醤油を付けてください」
「…酢醤油?」
「ん?肉まん買ったので酢醤油お願いします」
「酢醤油…ですか…?」
「え?」
「え?」
大学生になって始まった新生活。物心ついた頃から福岡で育った私は、遠く離れた関西、とあるコンビニ店員とのやり取りにひどく驚いたのを覚えている。酢醤油がついてこない…?インターネットで調べてみると、「肉まんに酢醤油を付けるサービスは九州全域と限られた地域」と書いてあった。なんてこった、そんなこと知らないよ、学校で教えてくれなかったし。『コンビニで肉まんを買ったら酢醤油がついてくる』これ即ち常識であって、肉まんは酢醤油があるからお互いを補完し合ってるであって、あんのトロミと肉の旨みを締めるのは甘酸っぱい酢醤油が相場と決まっていて、酢醤油がない肉まんなんていやああああああああああああああああああああああああ
※大学に進学した2016年時点での一個人の体験談です。
※某コンビニエンスストアは2025年現在、肉まんご購入の際に、中国、四国、九州エリアにおいて、酢醤油をお渡しすることを推奨しているらしいです。
※当たり前ですが、酢醤油無しでも肉まんは美味しいです。
その日を境に、コンビニで肉まんを飼う頻度は劇的に減った。
ちなみに、肉まんは完全食です。異論は認めません。一個食べるだけで満たされる満足度が高すぎるから。タンパク質も糖質も適度に摂取できるし、何より温かい。あんなに気軽に購入できて、片手で口に運ぶことができる温かい食べ物を他に知ってますか!?肉まん以外ないですよね!?しかも季節限定。これ超重要事項です。次のテストに出るので暗記するように。寒くなった時期しか食べられない希少性が、肉まんを肉まんたらしめるのです。それなのに、酢醤油がつけられないだけで食べる気が薄れてしまうなんて、まるで酢醤油が本体で肉まんがサブ的な位置付けじゃないか。なんてこった。
さて、肉まんへの愛を強く語り過ぎてしまいました。少し落ち着きたいと思います。が、もう少しだけ。
・・・
福岡という地名を聞けば思い浮かぶこと。それは「ご飯が美味しい」ですよね。私は地元を離れて10年ほど経ちますが、他県出身の方に「福岡出身です」と言えば8割方「良いねー!ご飯美味しいもんね!」と返されます。それ以外にイメージないんかい!って突っ込みたくなるくらい、福岡=グルメの方程式は確立されているようです。
個人的に三大天を選べと言われたら、やはり「ラーメン・もつ鍋・うどん」でしょうか。ラーメン、もつ鍋は鉄板として、福岡うどんの美味さはこれからも世に伝えていきたい。本当に旅行で来る人は騙されたと思って食べてほしい。香川県民の方は麺のコシが無さすぎて認めてくれるかは怪しいですが。
でも、三大天に1つ足して四天王を選べと言われたら?私は迷わず「”酢醤油付き”肉まん」と答えるでしょう。明太子でもなく、焼き鳥でもなく、肉まん。それも、コンビニで買う酢醤油付きの。帰省の醍醐味ですよ!こちらから聞くまでもなく、コンビニの店員さんが「酢醤油お付けしますか?」って言ってくれるの。あー、地元帰ってきたーって思います。
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良い加減しつこいですね、ごめんなさい。でも、あとちょっとだけ。
福岡を離れることにしました。東京に引っ越します。理由を挙げればたくさんあります。人生いつ終わるかわからないからできるだけ一緒にいようって恋人と決めたこと。仕事でお世話になった人がたくさんいること。チャレンジしたいことのために、情報をたくさん吸収したいと思ったこと、などなど。
その上で、やっぱり僕にとって福岡は「帰ってきたい場所」って気づきました。
「ただいま!」って言うには、「行ってきます!」って言って家を出なきゃいけないですよね。でも、その後に嬉しいことがある。
それは、「おかえり!」って言ってもらえること。
そして、福岡にはたくさんの「おかえり!」があることに気づきました。
実は、高校を卒業したあと地元の友達と会うのが少し気まずかったんです。これはもう正直に言いますが、福岡に残ることはダメと思ってた時期がありました。なぜなら、友達の多くが福岡に残ったからです。みんながする選択をなぜかしたくなかった。調子に乗ってたんですよね。
5歳になった私はある日、母に反抗して家出をし、補助輪が外れたばかりの自転車を漕ぎ続けました。そして先日、20数年ぶりに母と幼少期を過ごした土地を見に行って走った道を確認してみたのですが、自転車で走った距離はなんと約6km。幼稚園児がこの距離をよく走ったなと母と二人で感心しました。私は当時の感情をぼんやり覚えているのですが、そこに恐怖心は全くなく、両親への怒りと、ワクワクする冒険心に溢れていました。カッコつけた言い方をすれば、「挑戦することにビビらない子ども」だったし、泣き寝入りしたり屈服するのがとにかく嫌な性格でした。今も変わりません。
そんな私なので、担任からのアドバイスは全部無視して、大学は絶対に県外に行くと決めていました。できれば、九州の外。誰も知らない場所で、1から人生を歩んでいきたい。その思いが叶ったのか、進学した京都に同じ学校出身の同級生はいませんでした。
京都では喜怒哀楽に満ちた最高に楽しい時間を過ごせました。卒業後は宮城に行って、次は東京、香川、宮崎に。ヨーロッパにも行ったな。その後は東京、北海道、また香川に行って、次は長野に行って。住む場所が変わるごとに、昔の自分がリセットされるような感覚。すごく心地よかった。でも、その間に一度も福岡に帰ってくることはなかった。昔の自分を知っている「地元」という存在は私にとって避けたい存在。今でも未熟だけど、もっともっと未熟だった頃に過ごした場所。怖かった。地元の友達と久しぶりに会っても、何を喋って良いか分からない自分がいました。
社会人になって、とあるバーで、似たような理由で地元を離れ、これまた似たような理由で地元と距離を取ってしまった高校時代の友人と話したことを覚えています。たかが地元を離れたくらいで良い気になるなんてバカだったよなって。なぜなら、勇気を出して帰省をすると、街も、人も、温かく私たちを迎えてくれるから。
変わったことはあります。知らないうちにリッツ・カールトンができてたり、楽天地がおしゃれな店舗になって多店舗展開し始めていたり、家の近所にグランピング施設ができてたり。福岡空港ってあんなに広くて大きかったっけ?。もちろん、切ないことも。大好きだった中華料理屋は、駅前にロータリーを作る過程で見る影もなく無くなっていました。チャーハン入り天津飯が絶品だったな。
でも、思い出は消えません。病気をきっかけに帰省をした私に多くの友人が連絡をくれました。会えて本当に嬉しかった。みんな相変わらずアホで(笑)、でも雰囲気が大人になっていて、でもやっぱりアホで、でも昔より落ち着いていて。中には親になっている友人もいて。私と話すときは昔の友人のままなのに、子供に向ける視線は父親・母親の目で。変わったことと、変わらなかったこと、その全部をひっくるめて、ああもう語彙力無くなってきたから一言でまとめます。
「みんな、おかえりって言ってくれてありがとう!」
家族や友達との時間も、美味しいご飯も、思い出に溢れた場所も、みんなしておかえりって言ってくれた気がします。錯覚でも別に良いです。形容し難い地元への負の感情をやっと成仏できた気がします。できれば福岡で花屋を開いて地元のみんなに束ねた花束を見てもらいたかったけど、それは未来のお楽しみ。定期的に帰省したいと思うし、今回会えなかった人たちも、いつか必ず会いましょう。それでは、行ってきます!
東京に行ったら肉まんを買います。当然、酢醤油はもらえません。おそらく、寂しい気持ちになります。
だからこそ、福岡に帰ってきたときは嬉しいですよね。
「酢醤油お付けしますか?」
この言葉が「おかえり!」に聞こえる私は幸せ者です。