エゴだけではなく
それ見ろ、だから言ったんだ。
僕はもう、何度も、何度も、何度も何度もおんなじことを言っていた。もうずいぶん前からそうだ。
そんな僕の言葉を信じないで、それどころか笑い飛ばしてばかにして。それで結局こうなっているのだから呆れてものも言えない。ばかにする気にもなれない。
思えばいつだってそうだ。
誰も僕の言葉なんて信用していないし、あまつさえ「嘘だ!」なんて言いふらして陰でこそこそ笑っている。それもバレてないなんて思っているところが滑稽だ。本当、救いようもない。
でも、なんでだか僕の言葉よりも周りの言葉のほうが信用されているらしい。先生にしたって僕のことなんて信じていないんだから、どうしようもない。
そんな僕だって、他の人を信用しているか、なんて言われたら「そんな怖いことできない」と即答するに違いない。信頼している人くらいいる、けれど、信用、となるとそれはまた別問題だ。
だから、僕だって、何も言えない。のは、わかっている。わかって、いる、けれど……。
それにしたって、どうしてこうなってしまったのだろう。
……いや、そんなこと、わかっている。
どうせ、お調子者のあいつが適当にまた調子のいいことでもほざいたのだろう。
その結果がこれだとしたら、信じる、ってなんなのか、もうわからなくなる。
信じたって、こうなるなら。
でも、それはそうだとも思う。
信じる信じない、は個人の感情や感覚が元になっている以上、選り好みもあれば思いこみもある。その他の情報なんて、そう入りもしないであろう。
多数が正しいとは限らないのだから。
もちろん、この結果が間違いであるかなんて、僕に測れるものではない。
意外と、僕の感覚で見なければ、正しい道なのかもしれない。他の人の目からすれば正しいと判断するのかもしれない。
それは、でも、わからない。わからない、し、そうだとも、正直僕の目にはそれが正しいだなんて思えない。勘違いだ! 思いこみだ! 決めつけだ! 結構なことだ! そう言われても、構わない。
何を、どう、伝えようとも、そうであるならば、もう。僕にできることはない。
それでも、対処しなければいけない。
ぐちぐち 僕はおんなじことを繰り返しつぶやきながら、それでも目の前の出来事に変わりはない。立ち向かわなければならない。そう、僕は、身構えた。