【映画感想101】ミセス・ハリス パリへ行く/アンソニー・ファビアン(2022)
※ネタバレ感想
1950年代のイギリス、家政婦として働くミセス・ハリスがある日出会ったクリスチャン・ディオールのドレスに心を奪われ、必死にお金をためてフランス・パリへ向かう…というストーリー。
ポール・ギャリコ原作なのを後で知りました。
7つの人形の恋物語と猫語の教科書は以前読んだことがあって、どちらも面白かったです。ちなみに猫語の教科書は「にんげんの家に入り込み彼らを支配するには」という猫が書いたハウツー本なので猫好きで未読の方はぜひ。
そして映画の感想ですが、
ほんとうに映画館でみてよかった…!!
大きなスクリーンだとドレスが等身大のサイズに見えて、うつくしいドレスにうっとりするハリス夫人の視点が疑似体験できる感じがしました。いままでは映画館で見るなら派手なアクションとかSFかな〜と漠然と思ってたのですが今後は衣装が見どころな映画もチェックしたいです。
いちばんよかったのは、
「なぜディオールのドレスでなければならないのか」という問いが一貫してあることです。
(これについてハリスが問いかけられるシーンがあるのですが「あなたには似合わないでしょたい」というディスりじゃなくて「家政婦のあなたに着て行く場所はないでしょう?」という純粋な疑問だったのがすきでした。日本が舞台だったら「◯歳でドレスなんて〜」っていうニュアンスのセリフがはいる気がする)
最初に目を奪われたのがそのブランドのドレスだった、というのも大きいけれど、オートクチュールとしてオーダーして実際の裁縫職人達と出会うことでより理由が強固になったんですよね。
オートクチュールは虚栄の象徴だ、というようなセリフ(うろ覚え)があったけれど、細かく採寸して「その人だけの1着」をつくるオートクチュールだからこそ最後のあの展開がありえたわけで、さらにそれは貴族の特権を労働者が手にするという革命の象徴にもなっている。
革命といえば、「透明人間」である家政婦のミセス・ハリス、表舞台には立たない職人たち、街に溢れるストライキ中の労働者たちがリンクして、「透明人間=労働者」たち革命の話として繋がってくのは脚本がすごくいいなと思いました。原作を読んでないのですが、映画化にあたりアレンジした箇所ありそう。
最初に「ドレスでなければならない理由」があるのがいいと言いましたが、「主人公が家政婦である意味」あるのもいいんですよね。
彼女が色んな人の「庭」を整えるひとであり、いろんな人の生活に触れてきたからこそ職人達と共鳴できたという。
しかし革命のはじまりには無垢の犠牲がつきものとはいえ、ドレスが燃えてしまったのは本当につらかったです。
燃やしただけでなく謝罪が「ごめーん★」ってテンションの手紙一枚ってなに考えてるんだ!!!!!!!!!
本来の持ち主に袖を通してもらえないまま川の底に沈んでしまうなんて悲しすぎる……着る機会はほとんどなくても、あのきらきらした目で愛でられ宝物のように大事にされるべきだったのに…川に捨てちゃうの!?って一瞬思ったけど、
作る過程を見てたらもうあの状態を見るのは悲しすぎてどうしようもなかったんだろうな…
新しいドレスと一緒に「仲間」たらの気持ちが届いて立ち直れたのはほんとによかったんだけど、出来上がるまでを共にパリで過ごしたドレスは永遠に帰ってこないわけで…ここだけはほんとに見ててつらかったです。
イギリスのお掃除妖精のブラウニーはミルクやクッキーをきちんとあげないと出ていってしまい庭が荒れるという話がありますが、給料未払い夫人しかり、自分の生活を支えてくれる人を見ずにその存在を「透明人間」にしてしまうとバチが当たりますよ、という民謡のような感じもしました。
(ドレス燃やしちゃった人も見放されたのでそのうち荒れるんだろうなあと思う)
周りの人には感謝を忘れずに、逆に感謝されない相手には見切りをつけましょうってことかもしれないです。
新しい服ほしくなってきたな〜。