
【雑記】おまえは努力ができない
最近ようやく環境や心の状態が整い、毎日「何かを楽しみながら続けられる」という感覚を少しずつ味わえるようになってきました。読書や勉強が日課になってきています。
しかし、ふと過去を振り返ると、「努力していない」「何も変わらない」と言われて傷ついた記憶が蘇ることがあります。
長い間「変わりたい」という気持ちだけはありながらも何度も挑戦しては失敗を繰り返していました。今になって思うのは、その一見無駄な日々は私にとっての努力だったのではないかということです。
努力は他人からは見えにくいものです。ランニングを続ける人の努力は評価されやすい一方、ベッドから起き上がること自体が努力の人もいます。
起き上がることに苦労している人にとっては、それを試みること自体が大きな挑戦であり努力ですが、外から見えない分「何もしていない」と判断されてしまうことがあります。
それはとても悲しいことのように思います。
結局、本当に努力しているかどうかは本人にしかわからないものです。だからこそ、他人の努力を「している」「していない」と安易にジャッジするのではなく、その人の背景や状況を尊重することが大切だと思います。
今振り返ると、当時の私は相手からの言葉や態度を「尊重されていない」と過剰に感じやすいタイプだったのだと思います。
だから勝手に劣等感や閉塞感を感じ、基本的に他人かたの承認を感じないという当時の環境や精神の相乗効果によりメンタル不調になっていたのではないかと思います。
余裕がなくなると人は嫌な奴になるものなので、実際その人にとってわたしは、努力も成長もしない不機嫌で尊敬できない人物だったのでしょう。
結局、本当に努力しているかどうかは本人にしかわからないものです。だからこそ、他人の努力を「している」「していない」と安易にジャッジするのではなく、その人の背景や状況を尊重することが大切だと思います。
人間には『恒常性維持機能』というものがあり、自分の自己認識が無意識の行動を左右します。『自分は弱い人間だ』と思い込むと、その弱さを維持する行動を無意識にしてしまいます。
そのため、ポジティブな思い込みの邪魔になる場所や言葉を避け、ネガティブなセルフイメージを与えるような環境や人間関係から離れることが必須です。
今振り返ると、当時の私は相手からの言葉や態度を「尊重されていない」と過剰に感じやすいタイプだったのだと思います。
だから勝手に劣等感や閉塞感を感じ、基本的に他人かたの承認を感じないという当時の環境や精神の相乗効果によりメンタル不調になっていたのではないかと思います。
余裕がなくなると人は嫌な奴になるものなので、実際その人にとってわたしは、努力も成長もしない不機嫌で尊敬できない人物だったのでしょう。
人間には『恒常性維持機能』というものがあり、自分の自己認識が無意識の行動を左右します。『自分は弱い人間だ』と思い込むと、その弱さを維持する行動を無意識にしてしまいます。
今の状態になるで最優先すべきだったのは、自己否定を辞めるための第一歩として「疑われている」と自分が感じてしまう場所や存在から離れることでした。
今では楽しみながら続けられる日課が増え、自分なりのペースで日々前進できています。これからも少しずつ努力を重ねてつつ、表面的な行動だけで他人の努力を判断せず、背景にあるストーリーにも目を向けられる人間でありたいと心から願っています。