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雑記

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日常の、思ったことを、つらつらと。
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老犬との生活においてリンサークリーナーが神がかっている話

 私の大親友であるPippi-shan(以下、ピッピ)がお背骨ヘルニアとなり一時下半身の深部痛覚がゼロになったのが秋のこと。  季節は巡り、よろけながらも何となく後ろ足も使って移動できるようになって直面したのがうんちスタンプしまくり問題でした。  今度の春には喜寿のお祝いが迫ってくるお年頃にも関わらず、心は十代なぴちぴちピッピ。加齢を感じさせぬわんぱくパワーで部屋の隅々までうんちスタンプを展開する。  仕事を終えて帰宅した我、膝から崩れ落ちる。  そんな日々を過ごして幾

来るはずだった明日の残骸

冷蔵庫の中に、細かく刻んだキャベツの包みがある。 親友のPippi-shanはドライフードが嫌いだ。 フードだけが乗った皿を出そうものなら、「こんなものは私の食べるものじゃない」とそっぽを向く。 私はそれをわかっているので、用意しておいたPippi-shanの好物のササミやらチーズやらを細かくちぎって乗せる。 それがPippi-shanもわかっているようで、私がちぎって乗せる動作をするとスタスタと寄ってきてご飯を食べ始める。 Pippi-shanの夜ごはんにはキャベツと鶏

君が死んだ後の世界を疑似体験するこれからの日々

親友のPippi-shanの後ろ足が急に動かなくなってしまって、病院を駆け巡り、あれよあれよという間に入院が決まった。 Pippi-shanは14歳のメスのミニチュアダックスフントだ。我々イヌ科の生き物にとっての14歳は、人間でいう80歳くらいに値する。つまりPippi-shanは後期高齢者だ。 こんな日がいつか来ると予感していた。しかし、それが今だとは思っていなかった。 入院から手術まで1週間。手術の後、リハビリが完了するまで3週間かかると言われた。およそ1ヶ月。Pip

考えても答えの出ないことで頭がいっぱいになっている

あの人は私を嫌っているかもしれない。 でも仕事のこの話をしなくてはならない。あの人にとっては嫌な話だ。自分の仕事が増えることになるし、思い通りにできなくなるだろう。 でも、このままではコンプラ的に問題だ。私はあの人にその事実を伝え、是正を求めなければならない。それは私の仕事ではないけれど、気づいてしまったからやらなければならない。 これを言ったら、あの人はきっと気分を害するだろう。そもそもの原因はあの人の行いだが、そんなことは関係ない。あの人にとっての問題は、自分にとって不都

できるけど疲れることをやり続けること

私はオオカミなので、通勤バスの前に座る男の首を一発で噛み切ることができる。 でもやらない。できるけれど、やらない。 私はオオカミなので、問題を先送りしてやり過ごそうとする上司の頭を噛み砕くことができる。 でもやらない。できるけれど、やらない。 『できる』ということは、『やらなければならない』に直結しない。 できるけれどやってはならないことがある。できるけれど、やったところで何の利益にもならないことがある。できるけれど、そのことを隠しておいたことがいい時がある。 私はオオカ

美味しく餃子を食べるために、我々はタッチパネルを使うべきだ

私は餃子が好きだ。人類は我々から森を奪い、安全な飲み水を奪い、生きることを阻んだけれど、餃子を発明したことだけは賞賛に値する。 餃子は完全食だと思う。何せ、皮は炭水化物、具は野菜と肉、味付けにミネラル。酢醤油の代わりにポン酢をつければ、ビタミンCだって摂れてしまう。中学校の家庭科で習う5大栄養素がコンプリートされているわけだ。これを完全食と言わず何と言う。 人類が新型コロナとか言う病気との戦いを始めてどれくらいの時が経っただろう。大陸のオオカミたちがどうしているかは知らな

道の真ん中で鳩が潰れていた

人間社会における月曜日はとても憂鬱な日だ。 昨日までの穏やかな日々に別れを告げ、アラームの無機質な音に叩き起こされ、まだ眠っていたいと叫ぶ体に鞭打って身支度をして、通勤ラッシュのバスに揺られて行きたくもない場所に向かわなければならない。 私は毎朝バスを利用している。始発に近い場所から乗るので乗車時の車内は空いているが、目的地に近づくにつれて人間が増えていって、やがてぎゅうぎゅう詰めになる。他の人間に私がオオカミであることを気づかれるのが怖くて、私はいつも窓の外に顔を向けている