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来るはずだった明日の残骸

冷蔵庫の中に、細かく刻んだキャベツの包みがある。

親友のPippi-shanはドライフードが嫌いだ。
フードだけが乗った皿を出そうものなら、「こんなものは私の食べるものじゃない」とそっぽを向く。
私はそれをわかっているので、用意しておいたPippi-shanの好物のササミやらチーズやらを細かくちぎって乗せる。
それがPippi-shanもわかっているようで、私がちぎって乗せる動作をするとスタスタと寄ってきてご飯を食べ始める。

Pippi-shanの夜ごはんにはキャベツと鶏肉を小さく切ってレンチンしたものを乗せると決まっている。Pippi-shanはキャベツと鶏肉が大好きだからだ。これを作ると、嫌いなドライフードもよく食べてくれる。

平日、仕事から帰ってきた私にはキャベツを刻む余力さえ残っていないので、Pippi-shanのキャベツは休日にいくつかまとめて切っておくようにしている。
1食分をラップで包んだものを2つほどストックしておいて、仕事から帰ってきたらそれと冷凍しておいた鶏肉を一緒に皿に入れてレンジにかける。
それが私の日課だ。
1日の苦しみから帰ってきて、1番最初にすることだ。

Pippi-shanの後ろ足が動かなくなったあの日、いつもと同じ1日の最後に、いつもと同じように彼女が食べるはずだった細かく切ったキャベツのラップが、冷蔵庫の隅に転がっている。
あの日の前日、来るはずだったいつも通りの明日に備えて私が切ったものだ。
Pippi-shanの入院が約1ヶ月に渡ると知った時に捨てるべきだったのに、今もなお、冷蔵庫の中にある。

もうとっておいても仕方がないことはわかっている。
封を切ったおやつの袋も、きっと彼女の退院を待てないだろう。
そんなことはわかっている。
最初からずっと、わかっている。

冷蔵庫の隅に転がる細かく切ったキャベツのラップを眺めて、私は今日も扉を閉める。
来るはずだった明日の残骸を捨ててしまったら、もう永遠に明日が来ないような気がするから。

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