問題を解決する物語(ナラティヴ)の力
ナラティヴ・アプローチとは?
ナラティヴ・アプローチと呼ばれる対人援助の技法をご存知でしょうか。相手の語る物語(ナラティヴ)を通して解決方法を見出していくアプローチ方法のことです。1990年代に臨床心理学の領域で生まれ、医療やソーシャルワーク(社会福祉)にも取り入れられているもので、その特徴とは、聴き手が無知の態度で支援を行うこと。つまり、問題を抱えている相手を“問題視”するのではなく、その方が抱えている物語を引き出すことで問題の根源を見つけ出し、軌道修正を図るというプロセスを採用しています。従来のカウンセリングでは、聴き手がアドバイスをすることで自身の価値観を押し付けてしまうことになりがちでしたが、この方法では相談者側の自主的(主観的)な語りを重要視しているとのこと。具体的には次のような形で進めていくようです。
● 物語(悩み・とらわれ)を聴く
● 問題を外在化する(客観視できるようにする)
● 質問し、一緒に考える
● 例外を見出す
● オルタナティヴ(代替の)物語を構築する(克服していく)
現実は社会的に構成されたもの、そして現実は人と人との対話を通じてつくられるものである(社会構成主義)という考え方が理論基盤となっています。アメリカの心理学者J.S.ブルーナーは、人々が経験から見出す意味こそが重要との考えから、意味を作り出す「物語」の力に注目していたとのことです。
カウンセラーと小説家の類似とは?
ユング心理学の国内の第一人者で臨床心理学者の故河合隼雄先生と小説家の小川洋子氏は、著書の中でご自身のお仕事についてこのように語られています。
カウンセラーの仕事とは・・・
自分の物語を発見し、自分の物語を生きていけるような「場」を提供している
臨床心理のお仕事は、自分なりの物語を作れない人を、作れるように手助けすることだ
小説家の仕事とは・・・
その人がそれまで積み重ねてきた記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いている
確かに動画を創り出す前の私の状態も、カウンセリングが必要な患者さんと同じような状況にあったように思います。見えないものを感受してしまう人は、基本、周りに同じものを“見て”理解出来る人がいないため(これはプロフェッショナルなカウンセラーの方でも大方まず無理でしょうし、霊能者に会えばまた別の問題が生じそうですし・・・)、結構大変な思いをし、孤独に闘いながら生活をしています。私はこうしてなんとか上手く話をまとめるに至りましたが、自分自身でナラティヴを創ることが出来なかったもしくは自身の感受しているものを吐露出来る場がなかった多くの方々は、これまで相当つらい思いをされてきたのではないかと思います。
占星術とシンボル体系を駆使して人生を読み解いていくという私の使った独特の手法は、そのような特殊なケースの方であったとしても自身の人生の出来事に納得し、他者にも説明可能な物語を紡ぎ出すツールとなる可能性を秘めていると感じています。これによって、人生の問題も世の中の社会問題もいろいろと解決できるようになるかもしれません。私は心理学にも大変興味を持っていますが、きっかけは、高校時代に河合隼雄先生の『こころの処方箋』を読んだことでした。要は、巡り巡って結局似たようなところに辿りついたということのようです。
今回、動画で暗号解読のツールとして使っているシンボルは、大学時代に西洋美術の講義を受講していた中で注目した図像学(イコノロジー)もヒントになっています。文学部を経由していたことが、このような形できちんと意味を為していることに自分のことながら驚いているところです。
「偶然」に気付く力をつける
今回の”コロナ禍”で一気に表面化したことは、ある事柄を「絶対に起こらない」と思い込んでいる人は、明らかに起こっていることにさえ気付かないということ。そして、証拠を次々と提示されても、それを確認することすら拒否をしてしまうということでした。こうした態度は、私たちの可能性を狭めます。「ひょっとしたらあるかも・・・」とほんの一ミリでも思えるかどうか。それが従来の枠を取り払い、新しい視点を受け容れられるかどうかの境目なのですね。私のナラティヴ(物語)をきっかけに、「そんな世界もあっていいよね」と新しい視点を受け容れられる方が増えたら、世界はよりクリエイティヴで柔軟な方向に向かっていくかもしれないとの期待を今、膨らませているところです。
高校当時、私と一緒に過ごした同級生たちは同じ現場におり、多くの同じ暗号に接しているはずですが、おそらく私の状況はほとんど分からなかったでしょう。つまり同じ空間にいながらも、違う世界を見ているということもある訳です。(同じ天体配置を多く共有していても、生まれた時間帯など細かい要素によって、その影響の出方は個々に大きく変わります。)私には一人一人体験していることも見え方も全然違うということが実感としてよく分かります。さらに付け加えれば、現在の社会常識は権力者たちの頭の中でつくられたもの。私たちは、自身の見え方をもっと尊重しても良いのです。
間違いなく、事実は小説より奇なり!
小説は、ありえそうなことしか書けませんが、ドキュメンタリーはありえなそうでも実際にもうそれが起きてしまったから書けてしまうというのがそのからくりですね。つまり、事実として発表されることの方がよりありえなさそうなこと(驚嘆すべきこと)が含まれている可能性が高いということ。(もちろん事実として出された内容に嘘や他人の意図が入る可能性はあるため、気をつけなければなりませんが。)私が小説よりドキュメンタリーを好んでいるのも、そんなところが影響しているのかもしれません。
私の壮絶なナラティヴはこちらです。こんな話、他ではなかなか聴けません(笑)!
ナラティヴで世界を変えていくことは可能なのか?ちこの挑戦は続きます。本日もお付き合いありがとうございます。
参考文献 『生きるとは、自分の物語をつくること』 小川洋子・河合隼雄 新潮文庫
シンボルにご興味のある方は、こちらの書籍もご参考に・・・
『「聖書」と「神話」の象徴図鑑』 岡田温司 監修 ナツメ社