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タイムドーム明石(東京都中央区・築地駅)

今年の夏を以て博物館機能を移転して休館することになっているタイムドーム明石は中央区の郷土博物館機能を持っている施設である。郷土天文館という名前がついておりプラネタリウム展示も開催されている。訪れた時には子供向けアニメとコラボレーションした上映だったので(もともとプラネタリウムそんなに観ないし)郷土博物館のみに絞って見学。

中央区は他の区に比べるとわりと歴史が浅い地域でもある。埋め立てられた地が多いのも理由の一つかもしれない。考古学の観点よりも江戸時代に入ってからの歴史が中心となって語られている。沿岸部だったのもあって漁業が盛んで魚河岸があったことも関係しているかもしれないが、江戸城下で将軍へ献上する「白魚」を取り扱ったほか、奉行所から歌舞伎の芝居小屋として許された江戸三座(中村座、市村座、森田座)といった文化風俗で賑わった。

江戸時代の鎖国を通じて国交を許されていたオランダは日本と西欧文化が交流する数少ない国で、オランダ商館長の宿泊していた日本橋の長崎屋には多くの文人が詰めかけ、そこから蘭学が隆盛したという。また、明治維新以降になってオランダ以外にも多くの西欧諸国が訪れるようになると、築地エリアが活発になる。築地に外国人居住地ができて宣教師などが居住すると、そこから立教学院大学、青山学院大学、明治学院大学などのミッション系の学校が生まれるようになる。
近くの銀座では煙草の岩谷商会が隆盛し、多くの出版社や新聞社ができた他、東京日日新聞の記者だった岸田吟香の考案した目薬「精錡水」が大ヒットしたりと文化の一翼を担うようになる。

考古学的な展示はほぼない

中央区の文学では、女性初の歌舞伎脚本家だった長谷川時雨の業績が伝えられる。内縁の夫である小説家の三上於菟吉の援助によって発刊された雑誌「女人芸術」では林芙美子の『放浪記』が大ヒットするなど、現代の女性作家が世に出るきっかけを作った人でもある。吉川英治に言わせれば「明治に(樋口)一葉あり、昭和に(長谷川)時雨あり」というほどの存在だったという。
中央区は多くの文人が生まれ育った町でもある。北村透谷や島崎藤村は青年期を過ごし、芥川龍之介、郡寅彦、川端茅舎、谷崎潤一郎、そして立原道造は中央区の生まれである。立原に関しては特に日本橋区(当時)久松小学校では6年間ずっと首席だったことが紹介されている。
佃島にあった海水館という旅館には小山内薫や三木露風、佐藤惣之助に竹久夢二が集まり、銀座のカフェプランタンにも小山内薫、森鴎外に永井荷風が集い文学サロンを形成していた。パンの会ではここでも小山内薫や永井荷風に加え高村光太郎、谷崎潤一郎、木村壮八、与謝野鉄幹が、メゾン鴻巣では木下杢太郎、吉井勇、高村光太郎、里見弴、志賀直哉、谷崎潤一郎が集まっていた。小山内薫の出席率の良さはいったいなんだ。トイレは和式と洋式はウォシュレット式。

また会う日までごきげんよう


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