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実家日記:隣の家に醤油を借りに行く下町の子供のその後

父は、東京の下町の子供である。

夕飯時、醤油が足りなくなると隣近所に借りに行く子供だ、そういう時代でそういう土地だった。

その功罪というかなんというか、新聞代をお隣さんに借りていた。

電話台の上に新聞の領収証が置かれていた


1月分の新聞代は4,700円。領収証なので集金の方にはお金は渡っているのだろうけれど、赤文字で「カリ」と書いてあるように見える。その下に名前がある。

仮に、O田さんという名前にしておく。

ここで問題なのだが、O田さんという人は隣近所にいないのであった。

昔は確かに近所にいた、だがもういない。確かかなり以前に施設に移ってそのまま亡くなったと風の噂で聞いている(万が一まだご存命でらしたらごめんなさいお元気で何より)。

とりあえずもう住んではいない。

というか住んでいる頃から偏屈なおじいさんの一人暮らしという雰囲気の人で、あまり家同士の付き合いはなかった。子供や犬猫にも意地が悪いとうちの前を通学路にする小学生の間で噂があり、僕自身もうちの前を通学路にする子供の一人だったので、O田さんはご近所さんでありつつ、小学生の僕にとってはおそろしいおじいさんだった。我が家も我が家で問題のある家(何しろ真夜中に人が暴れる音はするし何かが壊れる音はするしパトカーは来るし)ではあったので、自分たちを棚に上げることになるのだが、問題のある雰囲気を発していて、お互いにあまり折り合いが良くない存在だったと記憶している。

そのO田さんからお金を借りた、ことになっている。


そ、それってあの

ど、どなたのことでしょうか


マジで。
誰に。
お金借りたん。


詳しく話を聞くと、

新聞の集金が来た
→お金がなかった
→O田さんにお金を借りた
→すぐにお金が入ったので返した

ということらしい。

いやいやいやいやいや。
すぐにお金が入るなら借りないよね、というかあなたにお金が入る宛がないことは存じ上げているしそもそも、僕は前回会いに来た時に5000円をあなたのお財布に入れましたけれど今日見たら2000円になっている。つまり使ったのは3000円。前回から今日までの数日間の間に酒屋に行った形跡がある時点で3000円は酒代。4700円の新聞代が払えてるはずもないことは自明。

はいダウト

これまだ返してませんね?!
待ってくれよマジで誰にお金借りたんだ。

今日は父の歯医者通院ラストデイで、僕は本人が食べたがっていたマカロニグラタンを作って持ってきてあげ、歯医者から帰ってマカロニグラタンを食べさせてはいさようならと帰ろうとしていたところなんですがね。


ちなみに僕のマカロニグラタンの出来はすこぶる良かった。

牛乳と米粉でホワイトソースを作るところから
家で焼いて
ホイルに包んで持参
お店のみたいだねえと僕のグラタンを食す父である


返したと言い張るのが僕への見栄なのか、本気でそう思っているのかわからない。ただ返してないことだけは確か。そしてこんな状態の父にお金貸してくれてしまいそうなご近所さんとして僕の頭にひとりの紳士が浮かび上がる。ダメ元でピンポンしに行く。ああ胃が痛い。

果たして僕の予測通り、父に新聞代を立て替えてくださっていたのは僕が予測をつけた紳士Sさんであった。
なお、「O田」さんとはまったく違うお名前である。なんで、O田さんて書いたし。


「ピンポンじゃなくてね、ドアをトントンって叩いてねえ」
とSさんが言う。
「出るのに遅れたもんだから帰ろうとしてたみたいなんだけど。帰る前に間に合ったからどうしたのって聞いたら、新聞代貸してって言うんだよ」

新聞代貸してで五千円を渡してくれる紳士すぎるSさんも凄いのだけれど、ドアをトントン叩いて何かを借りようとするのがすごすぎる。僕だったら思いつかない。ていうか思いついてもできない。



ドアをトントン叩いてお金を借りに行った父に、話に聞くばかりの父の生まれ故郷の風景が見えて急激に腑に落ちた。ああ君は下町の子供だったんだ。醤油がなければ誰かの醤油をあてにできる家の子供だったんだ。そのまま下町で助けたり助けられたりしながら共同体で生きていけたら君はそれで幸せだったかもしれないね。ダメなやつも与太郎も、なんとなく支えられて生きていて、死んだ時は皆んなでどうにか安い桶を手に入れて、月番の人間が月番だってだけの理由で寺まで担いで行って始末をつけてあげる、落語の中の江戸の風景のような。

平身低頭してお金を返す僕に、
「お父さんが借りたお金を四四田ちゃんが返すのはちょっと筋が違うんじゃない」
となかなか受け取らないSさんもなかなかに下町な律儀さだった。そういえば生まれや来し方を聞いたことがないけれど、Sさんは僕らよりも後から越してきて今も元気に一人暮らしをしている。

いや違うんす、これはそのとにかく父のお金なんでとしどろもどろの僕に笑いながら、最終的には受け取ってくださる。自分が無理な時は貸さないから安心してと言われる。

酒屋さんへの払いの滞りはとりあえず無いらしい。これはぬかりなく酒屋さんに確認済みである。


毎日何もすることがなくてつまらないんだよね、と宣う父に、Sさんへの5000円は返した、僕はまた数日後に来ると言い残して今日のところは僕は帰る。こんな調子で僕は、すでに父の生まれ故郷とおなじような隣近所のゆるやかな連帯の中に守ってもらっている。

新聞代、新聞代ね……盲点だった……。来月から忘れないで持たせるようにします。

それにつけても今日は胃が痛かった。

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