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過度なストレスに負け始めた時にぼくの体に起こった3つのこと |

特にこれといって何があったとかはなく、年末あたりから体調が良くなくて、休めばどうにかなる、なんて安易に考えたぼく。

いつしか、どれだけ寝ても疲れは取れず
何も手がつかないほどに疲れ切った僕がそこにはいました。

まさかぼくがストレスに負けるなんて思いもしなかったし、考えもしなかった。

だからこれから先にもきっと起こりうるぼくのために、ストレスに負け始めたことを記録として残すことにしました。

ストレスの種類と必要性

ストレス」ってどんなイメージだろう?
一般的にはストレスはないに越したことがないと認識している方も多いんじゃないかなと思う。
けどね「ストレス」というものの認識が「良くないもの」と認知されているからこそそれは起こりうることであって、全部のストレスが悪いわけではないとぼくは思っている。

ストレスの代表格でいうところには『人間関係』が存在している。
気がつくと自分の心のどこかに傷を負ってしまったり、深い悲しみに囚われたり、無気力になってしまったりとこのストレスはかなり深刻に心を蝕んでいく。

一方で、新居に引っ越すことや、転職、入学という『転換する』ことに対してのストレスもあったり、何かを始める負荷や仕事に向き合うためのプレッシャーもその類なんじゃないかと思う。
実に様々なストレスが世界には蔓延していて、それらは蝕むことだけでなく、生きるために必要なこともぼくたちに与え続けている。

たまたまストレスと呼ばれているだけで、曖昧な中に存在しているもの。
そういうものたちが集まって、時には活力になったりとある中で過度に溜め込んだそれらは突然に体を侵食して心までを壊し始める。


1つ目 | 気力と欲の消滅

それは突然だった。
なんだかいつもより疲れた気がして、いつもより眠たい気がして、いつもより誰かに会いたいと思えなくなった。
疲れるとよくあることでもあったし季節もちょうど寒くなってきて気分的には落ちていた気がするけど、対して気にすることもなくただ疲れているだけだろうって思い込んでいました。

でもいつからか異変に感じて、気づいたら朝起きれなくなって、気がついたら人に会うのが少しだけ怖くなって、外に出る気力を失っていました。

2つ目 | 集中力と記憶力の欠如の始まり

仕事柄パソコンに向き合って写真の編集をしたり、いろんな方と連絡取り合ってりと1時間2時間机に座りっぱなしなんてザラにあるのに、そんなことさえもできなくて、何も仕事が進まなかったりした。

きのう何していたっけ、今日はなんだっけ 明日は、、、というように
記憶がうまくできなくなって『今日』という日がどこに位置しているのか座標がうまく機能しなくなり、うまくスケジュールが組めなくなったりした。

スケジュール帳にもGoogleカレンダーにも残しているのにうまく予定が組めなくなっていたことで仕事的にも支障が生まれ始めました。


3つ目 | 感情と思考の低下

美味しいものを食べた時、楽しい話を聞いた時、嬉しい報告を受けた時。
面白い話を聞いた時もうまく顔が笑えてないってわかっていた。

感情がうまく昂らなくて、表情筋がうまく機能しなくなってきた。

頭を働かせようにも何をすればいいのかわからなくなり、思考という行動が頭の中から消えた。
毎日のようにできたSNSの投稿も、息をするようにできた当たり前のことなのに言葉がうまく紡げなくなって、誰かにみられる感情が少し嫌になって。


誰といつ、自分はどこにいて、どんな感情を持って、そんな記憶に触れることなくすぎていく一日があまりにも虚無でどこか寂しいのに「休んでいいんだ」と思う自分がいて、深く息を吸う自分がいて深く地面に沈む自分がいた。

カウンセリングはひとつの可能性

今まで当たり前にできてたことが日に日にできなくなっていく自分の体と頭に違和感を覚えながらも、このままじゃ嫌だってことだけは思うことができてカウンセリングを受け始めました。
淡々と書いてはみましたけれど当時のぼくにとってはかなり深刻で、といっても2月現在もまだ現在進行形でカウンセリングは実施中。
いつまた気が落ちるかはわからないけど、客観的に自分の疲れ具合を見る機会があった後には「カウンセリングようなものを受ける」という行動をとり始めたぼくの心は回復に向かっていると思いたいです。

心が疲弊した時にはしっかり休んで、心の声に耳を傾けて
居心地のいい場所に逃げ込んだっていいんだってわかった。

誰かの目に映る自分を人間はいつしか生み出して
その自分に見合う気持ちと動きをしていくにつれて
本物の自分の心を置いてきぼりにしちゃうこともあったりすると思う。
聞いてもらえるだけでその置いてきちゃった本当の自分の心に向き合って歩み寄る余白を聞きての方が作り出してくれて、必ず何かを解決するものじゃないかもしれない、期待しているものと違うかもしれない。
何も解決しないじゃないって思うかもしれない。

けど、誰かに助けを求めるって決めた心は必死に”助けて!”って叫んでいる証拠で、そうやって声をひとつひとつ拾い上げていつもと変わらずに笑ったり悲しんだり、いろんな感情に揺さぶられながらも生きていたいと思う人間に戻るための、一つの可能性。

僕はぼくに戻りたい

僕は、ぼくに戻りたいから
やまぐちなおとに戻りたいから。

ぼくは、いろんな人に会って
いろんなことを考えて
いろんな感情があって
そのたびに心を使って
そうやって生きる人生が大好きです。

そうやって生きた人生が
充実してキラキラしているのを知ってるから

今の僕は力の使い方を覚えて
明日からのぼくがきちんと生きれるように
心に向き合うのです。


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