見出し画像

玉置さんの音楽は国境を超える的な話

(約3,700文字 読了まで約10分)
ご覧いただきありがとうございます。適応障害治したいマンです。

前回に引き続き、闘病日記の過去編です。

発病後、私はさんざん妻に休んでと言われたのに頑なに休職せず、薬を増やしながら無理に一年以上働きました。そしてついに限界が来て会社から戦力外通告を受け、強制休職となりました。非常に惨めな気持ちでした。
このときは漢字やひらがながアラビア文字みたいに見え、読んでもなにもわからなくなっていました。
従ってものを正常に考えられなくなっていたのです。

だけれど、その頃に出会った玉置さんの「正義の味方」は、なぜか頭にスッと日本語が入ってきました

太陽が笑っているよ 僕には君がいるよ
昔よくみた正義のように 空を超えて
弾よりも早く 愛を助けに行けるだろうか

「正義の味方」作詞・作曲:玉置浩二

仕事で触れる日本語と、歌詞の日本語が読み解く上で難易度に大きな違いがある、という形式的な差ではありません。

この時の私は「今日は天気がいいのでピクニックに行った」というレベルの日本語の文章がわからなくなっていました(これはちょっと極端すぎる例ですが、概ねそんな感じでした)。

日本語を話しているけど、支離滅裂。

当然本などまともに読めませんし、X(当時はTwitter)で闘病アカウントも作れる状況にありません。文章による、言語でのコミュニケーションができないのですから。

しかし、玉置さんの歌声はスッと心の深いところに届いたのです。玉置さんの日本語が、日本語そのままの意味というよりかは、音として耳から脳にすんなりと入ってきました。

メロディーに何か普遍的な意味が込められているようでした。日本語であることはもちろん重要ですが、「正義の味方」は日本語じゃなくてもきっと同じような元気と勇気、笑顔を私にもたらしてくれたでしょう。

私にとって、日本語が外国語になっていた時期にそうだったのですから、これって国境を超えているんじゃないか、とタイトルの通り思うのです。

実際、玉置さんは香港で人気があるようです。
今は大変なことになってしまった後ですが、当時玉置さんの歌に惹かれた人はきっと今も好きでしょう。好きであってほしいな。

また、ソルトモライブのBlu-rayでも、ドイツからのファンに玉置さんがMCで応えていました。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00E7FSOE8

記事のタイトル通り、玉置さんの歌は一般的な意味でも国境を超えています。

日本語のわからない日本人だった私にも響いたのですから、間違いなく国境を超えています。

これってとてつもなくすごいことだと思います。すごい!!!

そしてそんなどうかしていた時期に、玉置さんの音楽に巡り会えたのは間違いなく御縁です。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00005G7F2#

このアルバムは本当に特別です。
玉置さんに惹かれるきっかけになった出会い(一方的)の一枚なのですから。
愛が重い。こんなファンがいるんだから有名人って大変ですね。

この曲に限らず、玉置さんの歌声は歌詞の通りの意味だけでなく、他の意味も込められていて、言葉以上の言葉(変な表現だけど)が心に響いてきます。

これは理屈ではなく感覚なので文章にするのが大変難しいです。というか、無理です。

しかしここで挫折したくありません。
"Society"を日本語に訳し、日本に社会という概念をもたらした明治の知識人のように苦心しながらも言語化したい!

ありふれてる ことばでいい
残るものは 気持ちだから

「いつも君のそばに」
作詞:松井五郎 作曲:玉置浩二

この歌詞は超シンプルです。日本語を学び始めた海外の方だと難しいのかもしれませんが、義務教育を受けてきた日本人なら理解することは原則簡単でしょう。
というか、未就学児にもわかる気がします(子どもがいない夫婦なので説得力がありません)。

それでも私にとっての、この歌詞の意味を書きます。

気持ちをこめることが一番大切。飾らなくていい。ありがとう。ごめんね。とかで十分だよ。

私が日本語の文章で見たときの意味

いや、一緒やん。ちょっと表現違う程度やん。
それくらいわかりやすいということです。シンプルイズベスト。

でも大事なのはここからです。
私はこの歌詞を文章として目で見るのではなく、玉置さんの歌声で聴くとさらに別のニュアンスが込められていると感じます。感じているのだから頭を使っていません。「考えるな、感じろ!」的な。今も聴きながら言語化しようともがいている最中です。・・・・・・よし、こうかな?

言葉は毒にも薬にもなるんだ。言い方にだってよる。「気持ち悪い」とか「バカなやつ」って言われたりすると傷つくよね?笑って誤魔化しても、なんか苦しいんだよ、何かが残る。わかるよ俺もそういう感じだったし。ときには俺もそういうこと言ってきたもん。でも逆に「好きだよ」とか「ありがとう」とか「ごめんね」って言われるとなんか安心するんだ。表情とか声色も大事だよ、気持ちがこもっているかがそれでわかるから。直接目と目を合わせて正直に言うんだ。何かをやりながらとかじゃなくて、その気持ちを伝えるためにシンプルな言葉で言うことに全神経を集中させる。そうすると愛があるって感じるから。なんか泣けてくるんだよね。それが人と人との関係で大切だと俺は思うな。今は苦しくて、寂しくて。そういうのが欲しいんだ。昔は割とできていたんだけどなぁ。

私が玉置さんの歌声で聴いた時の、歌詞の言葉以上の言葉を恥ずかしげもなく言語化したもの

頑張って言語化しているのでうまく伝えられていない気がしますが、具体的にいうとこういうことなのです(疲れた)。

ちなみにこの曲は1991年リリースです。玉置さんが安全地帯を崩壊させたかのような形で休止させる直前の頃の曲で、どの曲も苦しそうな胸の奥の叫びが含まれた歌声です。

こういう背景知識を知らない頃、ベストアルバムで聴いた時に、(あれ、なんか疲れてるというか悲しそうというか、寂しそう。。)と感じたので、知識があるからとかではありません。

今の玉置さんが歌うと全然違う意味で聞こえるはずです。いや、聞こえます。だってこの曲が収録されているアルバム『安全地帯Ⅷ 太陽』の「黄昏はまだ遠く」を去年、生で聴いた時全然違う意味で受け取れたもん。
あぁ、「いつも君のそばに」に救われているのでどうか歌ってほしい!!!!

こんな曲ばっかりなのです。
玉置さんは本当にすごい。
だから無気力だったり、精神的にどうかしていて人生を終わらせていた可能性が非常に高かった時期にも響いたし、思いとどまれたのでしょう。

他の昔から大好きなアーティストを聴くと、ああやっぱりいいなあ、とか、学生の頃の思い出が蘇ってきたりして懐かしいなあ、とか思います。
けれど、上記のような感覚にはなりません。

これは優劣とかそういう話ではなくて、私の感性の話です。とはいえ、とても不思議です。「一人じゃない」とか「大丈夫」みたいな前向きな歌詞ってたくさんあるじゃないですか。そういう歌詞の曲が病気をして本当に大切なことだなぁと思えるようになったのに、玉置さんが歌ったときだけに起きるこの現象は、いったい何なんでしょう。

玉置さんが他のアーティストをカバーした曲でも上記のような現象が起こります。セルフカバーも含みます。
つまり、彼の歌声にはそういう要素が含まれているのです。
歌唱力だけではない何か。その何かを説明出来たらいいのですが、ちょっと無理です。

大泉洋さんが、確かSONGSで玉置さんに、「アナタの声は人間国宝なので、その声を保存したい」みたいな事を言っていました。いやあ、よくわかっていますね、大泉さん!ほんとそれなんですよ!!さすが同郷!!私も北海道出身!「水曜どうでしょう」を昔から好きでよかった!

玉置さんの歌声は国境を超えるし、思考も超えます。なんなら音速も超えそうですし光の速さも超えるかもしれません。多分宇宙にきらめく星々にも届いていますし、あの世にも届いています。定量化などできやしないしすることがナンセンスだらけです。ヤバすぎます。

あの歌は 心から 聞こえてるよ

「メロディー」作詞・作曲:玉置浩二

最後に、この記事に関するプレイリストを置いておきます。部分的にでも聴いて下さるとこの上なく嬉しいです。

ご覧いただき、ありがとうございました。

・本題に無関係な追記
Amazonのリンクを貼っても画像が表示されなくてURLだけの不格好な記事になってしまいました!!どうして!?
なんか調べたら2024年からはAmazonリンクを貼っても商品画像が表示されなくなるとか出てきました。でもこの前、安全地帯40周年のライブCDをレビューした記事を書いた時はうまくいっていました。1か月も経っていないのに。。試しにこの記事に貼ったらそのCDは表示されたのに。。
調べてURLをいじってみたりしたけどダメでした。難しいよ。でもとりあえず残しておきます。クリックしないと見れないけどこんなジャケットですよ!ってことで。
玉置さん助けてください!!



いいなと思ったら応援しよう!