【読書】『ぼく自身のノオト』と大学のテキスト
こんにちは ナカちゃんです。
1.大学のテキスト『思春期・青年期の臨床心理』がおもしろかった
今週末は、連休前半で解いておいたテストの解答を、ネットで提出しなければならなくて、そちらにかかりきりになってしまいました。
無事、すべての科目で提出し終わったのですが、
最後に残ったテキストが、『思春期・青年期の臨床心理』でした。
いろいろと心理学の本を書かれている大山泰宏先生による講義で、
今回勉強したなかで、一番面白い教科書でした。
これ、一般の本で出版したら、絶対売れる。
それくらい、面白かったです。
一番興味深かったのは、「前思春期の話」と、「異界」の話でした。
中学校・高校の生徒の読書傾向が、「異界」と深い関係があり、「ファンタジー」や「異界転生モノ」などが、好まれるのには理由がありました。
彼ら自身が、「境界」の時代を生きていて、(「あの世」と「この世」の境目=境界 である)「大人になる」ということは、「子どもとしての自分の死」を経験することなのだそうです。
青年期というのも、自分のアイデンディディーをまだ十分に確立していない時代であり、現代は、モラトリアムの時代=青年期が、どんどん伸びていってしまっていると考えられています。
これまでの社会は、職業的アイデンティティー=心理・社会的アイデンティティーであると考えられ、就職をすることが、「オトナになること」とされてきました。
しかし、本来は、職業的アイデンティティーと、心理的アイデンティティー、社会的アイデンティティーは異なったものです。
家庭などの会社以外の場所で、どのような自分であるか、どのような生き方をするのかといったことを、本来は考えなければならない。
職業的アイデンティティーと、心理的アイデンティティーを相対化することができて、ほんとうの意味で青年から大人になることができる。
この内容を読んだとき、自分の中でモヤモヤしてきたものが、スッキリできた気がしました。
自分の職業=自分の在り方ではなくていいんだ。本当に自分のやりたいことを突き詰めて考えても良いのだ、ということに気付けたのです。
「自分は青臭いな」とか、「今だに中二病だ」とか、思ってしまうことが私にとっては、日常茶飯事ですが、(その度に自己嫌悪。。)
「そんなんでも、いいんじゃない?」と言ってもらえたように感じました。
ある種、講義を受けることが、自分自身のセラピーになったのかもしれません。
2 『ぼく自身のノオト』 という名著があります。
ヒュー・ブレイザー著、きたやまおさむ訳 創元社から出ています。
絶版になっていましたが、最近になって復刊しました。
もともとは、1970年代に出版された、500万部突破の世界的名著です。
その本が、2020年に復刊し、私の手元にあります。
なかなか読み出すことができませんでしたが、(積ん読の中の一冊)
今回のテキスト読後にようやく読みました。
今回、思春期・青年期の心理臨床の学習をしたことで、新たな視点からこの本を理解することができた気がします。
シンプルな言葉故に、色々な解釈があり、読み方ができる本でもあります。
思春期・青年期って、自分でもよくわからない。覚えていることもあるけれど、なんでそうなったのか、説明できないこともたくさんあるよね。
恥ずかしいことばっかりでさ。
自分が望まなくても、嵐の中に放り込まれるのが、思春期。
「境界」の時代を乗り越えて、青年期を経て、今の私がいる。
そんな「嵐の時代」は、一生に一回だったはず。
でも、今は違う。
このコロナ禍で、私達の生き方は否が応でも、変化を余儀なくされてしまいました。
「人生の岐路」に立つ経験が、思春期・青年期だけではなく、壮年期、老年期にもやってくるような社会。
当たり前が当たり前でなくなる時代=思春期の「境界」の時代を、一生のうちに、何度も経験するような世の中になってしまいました。
誰もが、いつ「境界」に立たされるかわからない世の中で、
思春期・青年期の普遍的思索である『ぼく自身のノオト』が、
様々な人々に必要とされているからこその復刊だったのだと思います。
この本の言葉が、あなたにとって、もう一度、立ち上がる勇気を与えてくれる
そして、あなたのそばにいる、今その青春時代を生きている誰かの支えとなってくれる
そんな不思議な力のある本との出会いに、感謝です。