毎日笑顔を作る習慣を3年間続けた結果
コロナ禍でYouTubeを見るようになった。
そして、連日Youtube広告に表示されるインパクト大の熱い男性、それが鴨頭嘉人さんだった。
なんか暑苦しいけど、言ってることはすごく共感する。
そんな熱が伝染したのか、話すことが順序立ててできなかった私は「話し方の学校」に行く必要性がないか探っていた。行く理由が欲しかったのかもしれない。5,000円もする説明会に申し込んだ。
当日はドキドキしながらも、普段とは相反して1時間ほど前に会場に乗り込み、一番前の席に座った。
目の前で繰り広げれられる情熱のほとばしりを感じながら、前のめりで話を聴いた。たぶん宗教の勧誘でも引っかかってると思う。
最後には震えながらいの一番に質問をした。鴨さんに「勇気ある行動だ」と称賛され、みんなの拍手を受けたことは今でも覚えている。
そして、半年間通うことになった話し方の学校。
ここで一生ものの仲間と出会うことになる。
入学前はまだ会社員だった私も、
卒業するころには退職を決め、翌月が退職日という流れになっていた。
毎日笑顔のきっかけ
この学校で出された宿題の中に、「笑顔の自撮り投稿」がある。
毎日毎日、笑顔を作り、それを自撮りして、(非公開)グループに投稿する。
こんなハードル、今までなかった。
笑顔を作るのもイマイチ気乗りしない、鏡で顔を見るのさえ嫌なのに、
自撮りなんてもってのほか、自分の写真を投稿
そんな不快なことをなぜしないといけないか、当時はわからんかったけど、
【宿題】となるとやらざるを得ない。
生真面目な私は、その宿題を忠実に守った。
それが午年に生まれた忠誠心(知らんけど)
間違えて個人のフィードに公開でアップしてしまって、学校以外の人からのコメントがついて、血相かいて慌てて削除することも度々あった。
(そんな時についたコメントはポジティブなものばかりだったんだが)
今では笑い話。
それが今でも続く笑顔の自撮り投稿のきっかけ。
最初は静止画で限定公開、
そこからインスタとFacebookのストーリーにアップするようになり、
動画に変えて、
もうかれこれ3年続いている。
もう自分の生活のルーティーンになっていて、やらないと気持ち悪さを感じるくらいまでになってしまった。
それまでの私
それまで自分顔を鏡で見ることすらあまり好まなかった。
見る必要がある時以外はさらっと鏡の中の人とは目を合わさず
用事を済ませていた。
ある時、幼い頃のアルバムを見る機会があった。
たしか、この笑顔習慣を始めた時だったと思う。
写っているどの自分も、笑っていない。
笑っていないのか、笑えていないのか。。
それを見た時にすごくショックに感じた。
たまたまカメラを向けられた時に緊張で笑えなかっただけかもしれないけど、笑顔のない表情は見ていて殺風景に感じた。
そういう自分を知っていてか、小学生の時によく“無表情の人の顔”のイラストを描いてた記憶も蘇ってきた。
選ぶなら、無表情よりはやっぱり笑顔の方が、見ていて心は安心する。
この体験も、この習慣を後押ししている要因かもしれない。
毎日笑顔の効果
やっぱり毎日続けていると、自然に笑えるようになった。
昔の自分からしたら異常なのかもしれないが、
そんなスキルを身につけた。
そして、「宿題」が終わってもなお続けている理由は、
自分の一日のスタートを気持ちよく過ごそう、というモチベーションになっているから。毎日できるだけ楽しく心地よく過ごしたい、自分とのちいさな約束。
そして、毎日毎日、自分の笑顔を見ることで、
無意識のうちに自分のことを受け入れることができているように感じる。
日によってはしんどい時もあるし、休みたくなる時もある。
そんな時は無理しないし、
無理を押してでも「やっぱ撮ろう」って行動した時には
えらいやん!って自分をほめる。
どんな自分であっても、OK。
いつでも私は私の味方、応援団。
そんな「自己肯定感」の意識の土台が構築された。
昨年単身で初めてNYに行った際も、
空港からのモノレール内では、この笑顔だけで海外の人と会話ができた。
今ではこれがないと一日をスタートしたような気になれない。
欠かせない習慣になった。
そして今では、
「毎朝見てるよ~」「元気もらってます!」と
メッセージをもらうことも多くなった。
これがね、本当にめちゃくちゃ嬉しくて。
プレゼントとなって自分に返ってくるんやなって身をもって体感して、
そしてまた自分のエネルギーに転換される。
前向きな感情の循環になってる。
手間もお金もかからず、たった口角をあげるだけの行為、
そしてそれを自撮りして拡散する行為。
それがこんな循環を生み出すことを身を持って体験してる。
今日も元気にしてるよ~っていう自己表明
これからも続けていきます。