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短編小説 ゆきしるべ(終)
ゆきしるべ(終)
これまでのお話はこちらです。
全てがすれ違っていた。
切れた電話から流れる無機質な音。しばらく聞きながら立ち尽くした。たたんだ携帯をどうしたらいいか分からず、そのまま手洗い場の台に置く。
「意地……」
あとは言葉にできなくて、大きく息を吐いた。意地っ張り。意地張らなきゃよかったなあ。それからはもう頭がはたらかず、僕は夢遊病者のようにパソコン室に戻ると、電源を落として帰途についた。
コートが妙に重く感じられ、足を引きずるようにしてのろのろと歩く。電話で聞いた内容を何回反芻したところで、それはひどく遠い、異国の言葉のように思われた。
「あの・・・・・・、みずほが随分お世話になったようで」
「みずほは、一ヶ月ほど前に……」
「お友達に連絡をしていたら、ある人があなたの事を伝えてくれまして」
「連絡が遅くなり、申し訳ありませんでした」
肺炎だったという。信じられない。喧嘩別れをしたときの様子から考えても、現実味は薄かったし、肺炎で死ぬなんてよっぽど身体の弱い人と高齢者だけだと思っていたのに。
気づけば肩に白いものが散っている。
朝から降っていた雨は、いつのまにか雪に変わったらしい。
リクルートスーツの上から羽織ったダッフルは、昔彼女と歩いたときにも活躍していた。子どもっぽいし、いい加減買い換えなくてはと思って何回か紳士服売り場を覗いたけれど、代価に対して買い換えるだけの大きな理由が見つけられず、それを言いわけにそのまま着続けていた。
「いいんじゃない? ダッフルもかわいいし」
いつだったか、買い物につきあってくれたみずほがちゃかすように笑った。思い出が僕の歩みにのしかかっていた。
学生アパートに帰ってそのまま床に座る。コンクリートの壁に背を預けると冷たさが伝わってきた。習慣にまかせてつけたストーブ近くの窓はわずかに透き通り、遠ざかるほど白くにごって外の光がまぶしく突き刺さる。僕は目を閉じた。なにもしたくなかったし、できるとも思えなくて、しばらく座っていた。時間がたまらなくゆっくり流れているような気がした。
ほんの少しの喉の渇き、そして、目蓋に映る色が変わったような感覚に、のろのろと目を押し開けた瞬間、夕日の朱が飛び込んできた。もう夕方か、まだ夕方か。みずほの時間は止まってしまったらしい。それなのに、僕だけが、なぜか生きている。そこにとどまることが急に辛くなって、僕は財布と携帯だけもって外に出た。
どこかに行きたいのに、行き先などなかった。しばらくして、どこかに行きたいのではなく、生活を遠ざけたいのだと思った。みずほと過ごした部屋。みずほと歩いた道。みずほと過ごした日々。
我知らず最後に電話をした軒下を通りかかって、早足になる。みずほにぶつけた言葉が悔やまれた。彼女は怒っただろうか、泣いただろうか。許してほしいのに、いまさら天に謝るのもそらぞらしくて、唇を噛みしめながら、ただひたすらさまよった。
どのくらい歩いたかはわからない。おそらく歩いた距離はたいしたことないのだろう。僕は学生会館の入り口、石造りの階段に腰掛けていた。自販機の明かりに背を向けるよう、うつむいて座っていた。膝に雪の結晶が落ちては消える。落ちた瞬間に息を吹きかければ、それは瞬く間に溶けてしまって、僕は膝に顔を埋めた。
寒さが肌にこたえた。ため息が白い。帰らなくては、と思った。帰りたいわけではないけれど。そして、水っぽい積雪を踏みしめて、スーパーの前の坂を下った。腰を落とし、でも、足は垂直に。
白色灯のエントランスにつく。郵便受けを確認して、階段を上がる。肩が重い。指先は慣性の法則に突き動かされるまま。全てがいつも通りで、全てが惰性だった。
階段も廊下も半屋外の学生アパートだ。うっすらと白くなったコンクリートは、外よりも滑りやすく、もの思いは断続的になった。それがまた、僕だけこの世に取り残されていたことを告げてくるようで苦しい。
自室が見えたとき、何か違和感を覚えて僕は立ち止まった。アパートの部屋から外に出る足あとが続いている。
僕の部屋は一年前と同様、一人暮らしのままだ。いや、一番親しかった頃はみずほが週三回は転がり込んでたかな。
それは、見覚えのある小さくて整った足跡だった。
「嬉しいじゃない。いなくなったって思ってたのに、自分の所へ帰ってくれたんだよ」。
彼女の言葉を思い出す。みずほはもういない。そういえばあの夜、おかしな話をしていた。雪女はなんていったんだっけ。「お前は許してあげる」。不思議な話だった。どうしてみの吉だけが生きているんだ。
――許してあげる。好きだから、許してあげる――
理不尽な話だった。理不尽な足跡だ。みずほはもういない。いたとしたって足あとはすでに彼女がどこかへいってしまったことを示している。でも、もしかしたら……。確信めいたものを感じた僕は、冷たく光るドアノブにゆっくりと手をかけた。(終)
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ここまでお読みいただきありがとうございました。小泉八雲「雪女」のオマージュで「ゆきしるべ」でした。民話や伝承が好きで、そこから夢想するのも好きな雑文書きの掌編ですが、お楽しみいただけたなら幸いです。
また、来週お目にかかりましょう。
学校の今を伝えたい『おしゃべりな出席簿』
月曜日には学校エッセイを紹介し、木曜日には本当に雑多に、興味のあることを書き連ねています。
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文学フリマin広島に出店します
2/9(日)文学フリマin広島 出店します!
……と勢いよく書いたものの、大雪で、やや不安になってきました。が、一応、今のところは行く予定で準備を進めています。
【2025/2/9(日)開催/文学フリマ広島7】
出店名: 巡る、ものがたり。
ブース: F-38 (東展示館)
イベント詳細: https://bunfree.net/event/hiroshima07/
『おしゃべりな出席簿』、持って行きます。そして・・・・・・、創作童話「ふよとほよ」を絵本化して持っていけたらと準備を進めています。
かつてこちらで公開した童話を絵本化して持って行こう考えていましたが、ちょっと進捗が思わしくないため……作戦変更で、絵本は延期します。
「ゆきしるべ」含め、過去に書いた小説を小冊子にして持っていこうと準備中です。
そしてなんと、Makoさんからの委託を受け
『保健室からの手紙』も置かせていただくことになりました!
保健室の先生が見ている世界、出会ったひとりひとりの生徒との忘れられない思い出たち。そうしたものが頁の上に立ち現れてくるような作品集です。
Makoさんのnoteも、面白いのでぜひ読んでみてください。
初参加の文学フリマですが、noteで交流のある方と、ぜひお会いしたいので、参加予定の皆様、どうかよろしくお願いいたします。
『おしゃべりな出席簿』はこちらからもお求めいただけます。
(品薄・品切れになりがちですが、数日で補充されます。ご了承ください。)