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浦島語り#03 別離なき浦島伝説の盛衰②


浦島伝説いまむかし。

前回、浦島伝承の歴史を概観しましたので、ここからはざっくり時代とともに、(ひとまず文字化されている)浦島伝承がどのように変わっていったのか、そしてその変化に対して、先行研究においてはどのようなことが言われているか、などを中心にお話しできたらと思います。今回は、古代の浦島伝承のお話。

連動している朗読チャンネルでは、楠山正雄氏の浦島太郎、第二部を公開しています。併せてお楽しみいただけると嬉しいです。


前回も引いたのですが、現在伝わる最もオーソドックスな形として、稲田浩二氏・小沢俊夫氏責任編集『日本昔話通観』第十八巻・島根編より引いた「浦島太郎」(梗概)をあらためて紹介しましょう。

浦島太郎という漁師が、子供にいじめられている亀を買い取って助ける。ある日釣りに出かけると、助けた亀が現れてお礼に竜宮へ案内すると言う。浦島太郎を背に乗せ、竜宮におもむく。竜宮で乙姫が礼を述べ、ごちそうになって月日の経つのも忘れて楽しく暮らす。家が恋しくなった浦島太郎は、蓋を取ってはいけないと言われた玉手箱をみやげにもらって帰る。亀の背に乗って浜辺へ帰り着くとむらの様子はすっかり変わっていた。あけるなと言われた玉手箱をあけると、白い煙がたちこめて顔も髪もまっ白な爺になる。

稲田浩二氏・小沢俊夫氏責任編集

『日本昔話通観』第十八巻・島根編

古代から今に至るまで、「主人公が海を介して異界へ行き、不思議な箱を持ち帰るが、開封によって悲しい結末を迎える」というモチーフは共通しているようなのですが、細部は時代とともに変化してきました。

たとえば古代の浦島伝承では、主人公が亀を助けなかったり(仙女が浦島に一目惚れ(!)する、というなんとも情熱的なストーリー。美男子に魅せられた彼女は亀の姿を借り、釣りをする浦島の舟にやってきます)、現在の昔話における「竜宮城」にあたる異界が海中になかったり・・・・・・。そうそう、主人公と仙女との恋物語がストーリーの中心にあるのも大きな特徴の一つです。違いを楽しみながらお読みいただけると幸いです。

見目麗しい風流の士・浦嶋子の人物像

それでは、現在確認することのできる古代の浦島伝承を、『丹後国風土記』の記述から追ってみたいと思います。

丹後の國の風土記に曰はく、與謝の郡、日置の里、此の里に筒川の村あり。此の人夫、日下部首等が先祖の名を筒川の嶼子と云ひき。爰人、姿容秀美しく、風流なること類なかりき。斯は謂はゆる水の江の浦嶼子といふ者なり。

『丹後国風土記』「浦嶋子」
(岩波日本古典文学大系『風土記』より)

主人公は筒川の嶼子。「いわゆる水の江の浦嶼子」だと補足があります。「浦島太郎」、といえば、貧しいながらも母を大切にしつつ家族で睦まじく暮らしている、心優しい漁師の青年・・・・・・のようなイメージがありますが、古代浦島伝承の主人公は容姿端麗な風流人。名前の最後の「子」は男子の尊称です。地方土豪、のようなイメージでしょうか。上記本文では「嶼」の字が用いられていますが、ここからは分かりやすいよう、「浦嶋子」と表記したいと思います。

さて、この浦嶋子、船に乗って海へと釣りに出ますが、三日三晩かけても一匹の魚も釣れません。代わりに得られたのは五色の亀でした。浦嶋子は「不思議なことだ」と思いながら船中でまどろみますが、目覚めてみると亀は美しい女性になっていたのでした。

海原に浮かぶ小舟だというのに、いったいこの女性はどこから来たのか。浦嶋子の問いかけに女性は微笑みながら答えます。「私は天上の仙女です。風流なお方がいらっしゃいましたので、お話ししたいという思いが募るあまり風雲とともに参りました」。そうして彼女は、浦嶋子を不思議な世界へと誘ったのでした。

不思議な世界はどこにある?

女娘、曰ひけらく、「君、棹を廻らして蓬山に赴かさね」といひければ、嶼子、従きて往かむとするに、女娘、教へて目を眠らしめき。即ち不意の間に海中の博く大きなる嶋に至りき。其の地は玉を敷けるが如し。

『丹後国風土記』「浦嶋子」
(岩波日本古典文学大系『風土記』より)

竜宮城って、どこにあるんでしょう。私が初めて出会った浦島絵本では、海の底・・・・・・となっていました。「私は水の中では息ができないよ」という浦島に、亀が不思議な玉を差し出します。「大丈夫です。こちらを飲めば海の底でも息ができますから」、という展開。

当時の本は今、どうしても見つけることができないのですが、私はこのシーンが一番好きだったんですよね。ふしぎな桃色の玉を呑めば異界に行けるというその世界線に焦がれ続けた幼少期でした。

さて、古代人が考えていた「異界」は、少し違うところにあったようです。下出積與氏が『古代日本神仙思想の研究』(吉川弘文館1986)で論じていらっしゃる説によると、古代人の世界観は、平面的であり同一次元上に広がるものであったため、常世も海をどこまでも行った先にある異界だと捉えられていたといいます。そして、蓬莱山に象徴される神仙思想に基づく世界観も融合していったというのです。

先ほど引いた『丹後国風土記』には「海中の博く大きなる嶋に至りき。」とありますが、棹さして向かったことからも、この「海中」は「海の底」ではなく、「大海原のど真ん中」つまりずっと向こうまで海の先を目指した末にたどり着いた場所、という意味合いだと考える方が良さそうです。

海向こうに夢見た異界

その昔、人々は不思議な世界の多くが地続きの先にあるととらえていました。当時の交通手段や技術を思うと、たしかに空中(天上)や海中(海底)といった上下・縦の移動は至難の業だし、普段しないことには想像力がはたらきません。そこで、古代人は考えました。「この地の果てには何があるのか。」「試練を越えてどこまでも行った先には、きっとまだ見ぬ不思議で素晴らしい世界があるに違いない。」そして、幾日もかけて進んだ先に、もしくは、苦しい試練を越えた先に、不思議な世界があるとするお話をいくつも語り継いだのです。

浦島伝説の歴史をたどると、竜宮城が海底、つまり“縦移動”の先にあるという話ができはじめたのが鎌倉・室町時代くらいだと考えられます。それ以前は、舟に乗って幾日も海を渡ると(横移動)、天界へとたどり着く、という天地すら地続きのストーリーでした。私の住む島根県は日本海に面した東西に長い県ですが、水平線を眺めていると、海向こうへずっと行った先がそのまま天に連なっていると考えた古代人の世界観も頷けるように思います。海の青と空の青、色合いは多少違いますが、天候次第ではその境界は淡々として、一続きの世界にも思えてくるのです。

おわりに。

「不思議な異界。そこは、簡単に行ける場所ではない。しかし、ずっと進んだ先に必ずある。」それが昔の異界観。日々の暮らしと隣り合わせに不思議な世界があるという古代の感覚、うらやましいような、少しこわいような……。

今回は、古代浦島伝説をまとめてご紹介するつもりだったのですが、長くなったので前半のみでいったん終え、続きは次回に送りたいと思います。古代の浦島伝説、浦島が「その箱」を開けてしまうと、いったい何が起こるのでしょうか?お読みいただきありがとうございました。それでは、また来週お目にかかりましょう。

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