大正時代のアナーキー『金子 文子』と、ブレイディみかこ氏の『両手にトカレフ』を読んで感じたこと、思い出したことなど。 by naok fujimoto

7月23日は金子文子(1903-1926)の命日。
今から約100年前、金子文子は23歳で謎の死を遂げる。

獄中で書かれた手記『何が私をこうさせたか』を読むと、もし、金子文子が生きていたなら、林芙美子や、平林たい子のような作家になっていたのではないかと思う。

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ブレイディみかこさんの新書『両手にトカレフ』(ポプラ社)では、この金子文子と英国のアンダークラスの14歳の少女が時空を超えて出会うストーリーが描かれており、今夏、何度も読み返していた。 https://www.poplar.co.jp/.../result/archive/8008387.html

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以前、自分は都内の公立学校に教員として勤務していてことがあるのだが、都会のオサレ地区のど真ん中に通う子ども達の中に、100均のノートすら買うのが厳しい家庭があるということ、運動会だというのにお弁当を持たされない子、給食費を5年間滞納し続けている子、センター街を放浪し何度も児相のお世話になる少女などなど、言葉では言い表せないようなショッキングな事実を提示され言葉を失ったことがある。だけれども、そうした事柄に一介の、そして赴任したばかりのペーペー教諭ができることは限られており、ただただ話を聞くぐらいしかできなかった。だから、どんなに時代が変わっても、悲しいかな、今もどこかに、金子文子のような子ども達が存在することに驚きはない。ただただいまも、当時の自分の無力さが悔やまれる。

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大正時代に生まれた金子文子は、ネグレクト、虐待、貧困、自殺未遂といった負のコンプてんこ盛り状態で育つ。”親ガチャ”という言葉を否定する向きもあるけれど、なんだかんだ、この世は”ガチャ”っぽいところが往々に存在すると思う。

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だから、日本を震撼させた現職の総理大臣を襲った銃撃事件の犯人の生い立ちが開示されるにつれ、金子文子のそれとかぶってしまう。

戦中と戦後、凶行の実行犯と、無実のアナーキストといった違いはあるにせよ、”親ガチャ”という点で両者には共通項があるように思えるからだ。

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無論、銃撃犯の行為は許されるものではない。であるが、銃撃犯の人生のどこかに救いとなるような”出会い”があったならばと思わずにはいられない。もしかしたらあったのかもしれないけれど、当の本人には、それに気づける余裕や余力すらなかったのかもしれない。

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金子文子に話を戻そう。彼女は、幾つかの修羅場を経たのち、同志であり最愛の家族となった韓国人の朴烈(パクヨル)と出会うことで救われる。

このあたりの出会いについては、韓国映画『『金子文子と朴烈(パクヨル)』でも描かれている。 

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もし、たとえ、子ども時代にどうしようもない”ガチャ”が出てきたとしても、大人になって、めげずにガチャを引き続けていれば、それなりのめぐり逢わせっていうもんもあるもんだと思うし、私もそれを信じていたい。

それは、ヒトかもしれないし、モノかもしれないし、もしかしたら、それは何かちょっとした体験だったり風景だったりするのかもしれないけれど…

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それにしても、金子文子が生きた時代から約100年。

これだけ文明や科学が発達しても、人間の営みというか、その根幹部分やその構造体はいまだにあまり変わっていないのかもしれない。

だけれども、前述した小説『両手のトカレフ』のエンディングにあるような未来があると信じていたい。トカレフではなく、両手に花とパンと少々の温もりを感じられる日を信じて・・・


参考:

金子文子の手記『何が私をこうさせたか』
書籍でも何冊か発行されていますが、青空文庫でも読めます。


『両手にトカレフ』著:ブレイディみかこ ポプラ社 2022/06


『余白の春 金子文子』著:瀬戸内寂聴 岩波書店 2019/02/16


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