自分が分かっていればいい
「わたし、わかってる」
ほかのみんなには わからなくても
わたしが わかっていればいいこと
たくさんある
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SNSが活発な現在、「自己主張の時代」と言われたりしますが…
こういう流れを見ていて、ふと思います。
私たちは、やっと「世界に生まれたところ」なんじゃないかって。
ということは、今までは、「母の体内の中で『世界に出る準備』をしていた」、ということになるな、と。
どういうことかと言いますと…
インターネットが爆発的に普及する前は、お母さんのお腹の中で、顔を見せることも、声を出すこともなく…
つまり主張と言っても、公に主張することもない環境にいました。
世界は閉ざされているけれど、ある程度守られていて、強く「個」を主張しなくても、生きていけたのです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、どんな時も何のためでも、泣いたりジタバタすることで自己主張を始めます。
今まで、外界の多種多様な人々との触れ合いがなかったから、「私はこうだ!」と主張するためのやり方を、まだ知らないのです。
生まれてすぐは、やり方だけでなく、何が好きで何が嫌いかも、「自分自身」について、分かっている事が少ない。
だから、たくさんトライして失敗して、経験値を積んで、学んでいくのです。
そして次には、出来たことを周囲に見てもらって、肯定感を高めていきます。
自分の周囲がまるで写し鏡のように、周囲のリアクションから、自分を知っていくことも増えていきます。
ここで冒頭に戻るのですが…
私たちはインターネット(主にSNS)が発達するまで、世界に対して、心地よい「自己主張」の仕方を、あまり学ぶ機会がなかったと思うのです。
まるでこの世界に、生まれる前のように。
インターネット(主にネット掲示板・ブログ・SNS)の誕生により、「自己主張」を実践して、時に失敗して、どんどん学ぶことになりました。
まるでこの世界に、生まれたばかりのように。
最初の最初、始まりの頃は、「ネットリテラシー」なんてものはなく…
例えば勝手に人のプライベートを晒したりと言った、他者の安全が脅かされるような使い方にも、これと言って公には、咎められる事があまりありませんでした。
現在は、まだまだ失敗もあるけれど(やり過ぎたり、伝わりづらかったり、勘違いしたり)、自己主張の先の、周囲の反応を見て、少し処し方が分かってきています。
「リテラシー」も、以前よりは育まれてきています。
「自己主張の時代」は、時に「行き過ぎた承認欲求」を揶揄して言われたりもしますが…
「人類全体としての成長」としては、しかるべき段階を踏んでいる…ように見えてきます。
「段階的に、順当に人類が成長している」、という仮説で行くと、気になるのは、我々が目指している「次の段階」ですよね。
次の段階は、
「自己受容」
…ではないかと、私は思っています。
当然ながら、
自己主張をしたからと言って、全ての人に、全ての主張が受け入れられるわけではありません。
いつの時も、「自分の最高の理解者は『自分』である」という認識は、当たり前のようでいて、
当たり前に行動できている人は多くはないかも、と私は感じでいます。
だからSNSでも、未だによく、大なり小なりの「炎上」を見かけますよね。
「何を伝えるか」よりも「何を伝えないか」
自分の中のアレコレを、この2つに的確に振り分けるには、「自己受容」が必要だと思うのです。
その肝となる考えこそが、
「自分が分かっていればいい」
ではないかと。
これは…
「主張して他者に認めて貰うことで満たす」のではなく、「自分が自分を認めて自己満足できる」状態のことです。
自分が納得して「自分が分かっていればいい」と思えることって、あまり意識もしていないし、あえて人に言わなかったりしませんか?
それが、人類おおよそほとんどの人々が出来ている、というのが「自己受容」の完了ではないかと、仮説に基づき思うわけです。
今の段階を考えると、それはまだ少し先のようですが…
私たちの目指すところは、「他者」ではなく「自分」。
自己受容は、自分を知っていてこそ出来ることだと思うので…
まずは「自分を深く知ること」が、順番の手始めかもしれません。
そうしてお互いが、快適に暮らしていける術を身につけられるといいですよね。
………
絵の中の少女がたどり着いた、彼女の「わかってる」こととは…?
見て、感じて、想像して、楽しんでいただけたら嬉しいです。
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