呼吸のようにやっていたことは偉大。
みなさん、こんばんは。なおぼーです。
2020年8月からnoteを書き始めて、8か月が経過しました。
もともと、文章が書くことが好きではなかったし、読んでくださる人は感じていると思いますが、僕の文章は頭の中で話している会話を文字に起こしているので、句点の使い方が疎かになっています。
まぁ、意識して丁寧な文章を書こうとしても書けないのですが。。。
さて、ここ最近僕のclubhouseでは徳島フィーバーが起きています。
そこで、「なおぼーのnote読んだよー!」とか「Excelで色んなことやってるんだー」という話になります。
noteに関してもExcelに関しても特に、得意というわけではありません。
でも、「やっている」ということは覆りのない事実です。
そして、「え、そんな価値あったんですか?」タイプの宝の発見パターンを最近よく感じます。
僕の母校では、学生がプロジェクトを立ち上げる授業があります。
PBL授業と言われるやつですね。
そこでの成果が出ているかどうかは、まだ分からないとして現時点で確実に進んでいることは「やっている」という事実なのです。
この「やっている」が強いのは、出来上がった作品を見せれるだけではなく、その場でストーリーを話せるのです。上手くいったことでもいいし、苦労したことでも良いのです。そして、若ければ若いほど、そのストーリーに可能性を感じれるのです。そのストーリーには、課題が沢山含まれています。
例えば、僕の場合だと「学校がお金周りの管理をしていてくれたから、自分では分からない」というストーリーがあれば、「お金について、学んでみる?」という流れになるのです。
僕がいる会社では、「資料作りに追われている」というストーリーに対して「Excel学んでみる?」という流れになるのです。
このnoteで伝えたかったのは、「やっている事実は強い」ということ。
noteも書き続けていた。
Excelも勉強していた。
3Dプリンタも使った実績がある。
イベントやプロジェクトもやったことある。
この「やったことある」を特に学生の内に増やして欲しい。僕も、学生の内に沢山やってきたことで支えられている。てか、やってきた事しか残らない。これは、学生だけでなく大人になっても一緒だと思う。大人というか社会人になって大切なのは、「利益」、「貢献」、「価値」を生み出しながら、「新たな体験」を積み続けること。今の僕の場合だと、お給料をもらいながら成長し続けることが大切なのだと思う。大切というか、そっちの方が面白い。性格的に、1度作ったことあることをもう1度作ることに飽きてしまう。質を高めるプロフェショナルよりジェネラリスト(複合的な知識を持って総合的に判断する人)ってやつですね。今日も、やるで~!
ーーーーーーーーーーーーー
2月の頭に、3月の休み期間はプログラミングとExcelをやると決めて今日まで経ちました。正直、自分がイメージしていたより進んでいます。自分の現時点での未来の自分を超えていけるのは嬉しい。別に、周りと比べてどうこうとかじゃなくて自分のスピードで自分の想像を超えていく。今週の終わりまでに、何ができるようになってるかを楽しみながら今日も進んでく。
ほな、ばいびー。(ばいびーは、バイバイに近い言葉です(笑))
23歳なんで、若者言葉も入れていきますね。読めるようになって下さい。
30歳以上で、20代以下に「ばいびー」って使ってみてください。
伝わるはずです。責任は負いません。ほな、ばいばい。