楽しそうな人に勝てない理由
昔、わたしは好きな人のタイプを聞かれると
「自分の好きなものや仕事についてめっちゃ熱く語る人」
って毎回言っていた。
話す内容はどんなことでもよくて、なんならなんの興味のないジャンルでも、イキイキとそれについて語る人のエネルギーが、見ているだけで楽しくなるから昔から好きだったのだ。
最近、インスタでよく見てしまうのは、「そんなめっちゃそれについて語るん?笑」みたいな、好きでしょうがないのでそれをそのまま仕事にしましたみたいな人のビジネスアカウントで、話の内容自体にはそこまで興味がなくても、気づいたら指が投稿をすべてさかのぼってフォローボタンを押しているときがある。
内容が有益かどうかよりも、その人がめっちゃ楽しそうでなおかつ、楽しんでもらおうとしているのが伝わるのだ。
つねづね思っていることだけど、自分が楽しくなかったら絶対にまわりの人は楽しくならないと思っている。
人のためにとか、与えるとか、それを本当の意味ですることができるようになるのには、まず自分を満たすのが先なのはまちがいないと思う。
でも、同時に思う。
楽しむって、なんかむずかしくない?
楽しむことに、もしかしたら慣れていないのかもしれないな、とか。
一生懸命やる、とか、ちゃんとやる、とか、失敗しないようにやる、とか。
深刻に、まじめに、真剣に、
そういうことって、ずっとやってきていて慣れている気がするのだけど
ちゃんとやらなくていいから好きなように楽しんでよ!みたいなのって、意外と手放しで楽しい!ってなかなかなれない気がしていて、
「楽しむ」って、実は才能なのかもしれないと思っている。
たとえば制限とか、人に指図されることとか、集団行動とか、性格的に会社員がどうも肌に合わないけど、じゃあ今すぐ自由にしていいから好きなことしていいよ!ってなったとして
いちど社会の規範に染まってしまったことのある人がそこでつまずくことってすごく多いと思っていて
早々すぐに、好きなこと!楽しいこと!好きなようにやる!自由にやる!の壁を越えられないのは
この、好きなものに熱中して「自分自信がまず楽しむこと」のハードルが
意外と高いからなのでは?と思ったりする。
かくいうわたしも「楽しむってなに?」状態かもしれない。ちゃんとやることならできるけど。みたいな。つまらないやつ。笑
経営者の友人が、「眉間にしわ寄せて深刻そうに、ビジネスなんてやるもんじゃないんだよ」って言っていて
やっぱりそうなんだなーと思ったりした。
楽しむことが下手くそな人は、あきらかにこれは自分が好きでやってて、楽しんでるでしょ、みたいな活動を思い起こして、錆びついてしまった「楽しさ感性」を呼び起こすところからやるといいのかもしれない、とアドバイスをもらった。楽しむリハビリをしよう。ちょっとなにいってるかわからないかもしれないが。
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