見出し画像

ドイツ職場で生かす仏教の「引き算」コミュニーケション (まだ修行中)

ドイツで働いていて、仏教の「八正道」のひとつ、正語について、あらためてよく考えることが多い。

欧州、特にドイツに住んでいると、周囲の人々の自己主張の強さに気づかされることが多い。子供の学校でも、小さい頃から討論の授業があり、いかに自分の意見をはっきり述べるかが重視されている。ドイツでは、子供たちは「ナイン(ノー)」と言うことから始め、自己主張する力がしっかりと幼年期から育まれている。

一方、日本では自己主張の教育が足りないとされ、欧州で働く日本人としては、特にこの点で戸惑いを感じることも多い。たしかに、欧州で仕事をしていくうえでは、まずは討論などで意見をはっきり述べる力が求められる。しかしながら、長くこちらで働いていると、それだけがベストではないことにも気づく。

日々のビジネスにおいては、実際には自己主張や討論で勝つことよりも、交渉を通じて合意を得ることの方が重要なのだった。たとえば、例をあげると、リサーチ結果をエンジニアに提案して、どうやって同意を得るかという場面があったとする。もし、そこで無理やり討論で勝ってプロジェクトを進めても、後から「ほらね」と言われることが多い。やっぱり、エンジニアたちがプロジェクトを動かしているわけで、結局は彼らの協力なしでは進まないからだった。

最近では、仏教の「正語」や東洋の教えの方が、現代の欧州ビジネスでも有効だと、改めて実感している。自己主張だけではなく、相手を尊重し調和を大切にすることが、職場での人間関係やチームワークを円滑にする。欧州では自己主張が重視されるが、長い目で見ると東洋の知恵に頼るほうが、より協力的なアプローチを提供してくれることがおおい。

こっちでも、自己中心的なビジネスパーソンは、討論には強くても、周りから距離を置かれることがよくある。特に、余計なひと言を多く発してしまう「ビッグ・マウス」と呼ばれるようなタイプや、他人を頻繁に批判したり、ゴシップを好むような人は、どこでも敬遠されがちだ(大汗)。私も、このようなタイプの同僚はよく避ける。これは日本でも欧州でも、洋の東西を問わず、共通だと思う。

もう少し深く考えてみると、最も効果的なのは、やはり「徳」のあるビジネスパーソンやリーダーになるように努力するのがベストということだろう。まだ未熟者の自分には難しいが・・・(大奮闘)。どこから始めるべきか、ビジネス書には書いていない。ただ、仏教の「正語」から始めるのは良いアプローチかもしれない。

この「正語」は、常に真実を語り、穏やかな口調で話し、タイミングを見計らって発言することを重んじている。また、嘘や悪意のある言葉、自己中心的な表現、さらには無駄話をも避けるべきだとも教えている。厳しい言葉を使う場合でも、相手への思いやりを忘れずに行うべきであり、ゴシップや愚痴は信頼を損ない、ネガティブな感情を増幅させるため、避けるのが賢明だとされている。

これらは一見常識のように思えるが、実践するのは非常に難しい。仏教で最も重い罪とされる殺人や盗みは、強い悪意と意図を伴うが、軽い気持ちでも発せられる嘘や、他人を傷つける発言はほんとうに簡単だ。さらに、ゴシップや愚痴は自制がさらに難しい・・・。

以前、欧州の大学で根本仏教の短期コースに参加した際、多くのフルタイムのプロフェッショナルと、この「正語」の難しさについて語りあった。その際、この「ちょっとした愚痴やゴシップ」がどうしてそんなに罪なのか?という疑問が多く上がった。

社会人であれば、よく仕事後の飲み会などで、愚痴やジョーク混じりのゴシップで同僚と盛り上がり、これが楽しみだと感じる人も多い。このような場が、職場のストレス解消としての役割を果たしていると思っている人もいるだろう・・・正直なところ、同感だ。

講師は人格者で、笑いながら率直に、「私にはうまく答えられない。ただ、そういった「口害」何かしらの形で私たちに影響しているのは確かだ。だから「罪」、というよりは、自分のために自制することが諭されている。これは、やはりブッダの言うように、実践して結果を見てから、信じるかどうか決めてみるのが良いのでは?」と答えた。

そして、その講師は私たちに職場で1年間ものあいだ、愚痴や中傷、ゴシップを一切やめ、その後にどんな変化があったか観察してみることを提案したのだった。これには思わず場が静まり返った。

お恥ずかしいが、あれから15年が経った今でも愚痴やゴシップを一切言わずに1年も過ごしたことはない(汗)。日常のストレスや不満を共有するために、無意識に愚痴を口にしてしまうことも多い。全く愚痴を言わないというのは、まだまだ未熟者の私には無理だと痛感する・・・。これには、一生モノの絶え間ない努力が必要だろうと感じる(大汗)。

また、最近よく仕事を通じて特に思うのは「沈黙」の大切さだ。もし、1年間、愚痴や中傷を抑えることができるとすれば、それはこの「沈黙」をマスターすることにつながるだろう。仏陀は、愚痴や中傷を、華やかな言葉に変えなさい、とは一切教えていない。きっと、それらを制して、ただ「黙る」こと自体が価値ある行為なのだろう。

そして、その「沈黙」ができるようになることは、マインドフルネスの達人になることにも通じる。結局、最終的には「徳」を磨くということにつながるのだろう。確かに、ちいさな日常的な愚痴でさえ、1年間のあいだも制することのできるビジネスパーソンとは、かなりの大物、ではないだろうか。・・・心からそう思った。

この「沈黙」についてだが、その重要性をようやく最近になって理解し始めた。若い頃は、欧州にいるせいか、常に何かを言わなければならないというプレッシャーを感じ、とにかく注目を浴びるためのプレゼン術のためのコーチを雇ったり、コミュニケーション術の本を読み漁ることもよくあった。

しかし、テクニックに頼るだけではうまくいかず、頑張りすぎると逆にコミュニケーションがぎこちなくなり、周りがしらけることも多かった。

また、以前は自分が主催するミーティングは、自分でリードしようとしすぎていたことにも気づいた。今はそうする必要がない、と思いはじめている。

わからない質問には「少し考える時間が欲しい」とお願いすればいいし、議論の流れがつかめないときは、誰かに簡単にまとめてもらうこともできる。自分の中に意見がなければ、無理に言葉をひねり出すのではなく、「今は特に意見がない」と正直に伝えても構わないと感じている。

また、相手を説得することだけを目的にした討論や議論は、一切やめてみることが大切だと気づいた。何か言いたくなった時は、一瞬立ち止まって、自分がこれから発する言葉の「意図」をよく考えてみる。仏陀の教えを思い出し、たった2秒でも考えることで、言葉の質が変わることがある。

先ほど前述した、数ヶ月かけて行ったリサーチをエンジニアに提案し、承認を得たい場面をもう一度具体的に考えてみよう(以下)。

大概の場合「どうやって承認を得ようか・・・」と、頭の中は説得の意図でいっぱいになる。しかしここで、「頑張りすぎている」と気づき、一旦黙ってみる。エンジニアは技術に詳しいため、質問や意見で討論が進むが、そこでビジネス討論のテクニックや説得法に頼りすぎると、かえって逆効果になることが多い。短期的には効果があるかもしれないが、長期的にはほとんどの場合、失敗に終わることが多い。

あえて、自分の中の「どうやって説得するか」を、一切やめてみる。結局、最も大切なのは「どうすればプロジェクトが成功するか」という点に立ち戻ることだから。議論が白熱すると、当たり前なことさえ見落とされがちなので、自分の意図が何なのかを常に意識する必要がある。

また、好かれようとして相手の意見にすべて従うのもよくない。どっちにしても、専門技術者は「イエスマン」を嫌うし、信用を失ってしまう可能性もある。このバランスが難しい。

結局は、討論のテクニックや説得法を使うよりも、自分の本音を率直に伝える方がよいことが多い。正直に、「リサーチを頑張りすぎて、つい説得に走りすぎてしまった」とか、「ここは自分の調査が不足しているので、どうプロダクトに有効なのか、もっと詳しく教えてほしい」といった形で、自分の分からないことや不安な部分をオープンに話すことで、もっと建設的な対話ができるようになる。

もしその場で合意が得られなくても、「少し考える時間が欲しい」と伝えることで、お互いに冷静に再評価する時間を作ることもできる。

結局、無理に討論で勝とうとせず、自分の本音を正直に伝えることが、信頼関係を築く一番の方法だと感じている。時によっては、沈黙を選ぶ方がいい。

若い頃に読みすぎた実用書や、ハウツーもののテクニックは黙ることをあまり教えてくれなかった。それより、どう発言するか、どう表現するか、どう相手を「聞くふり」をして信用を得るための返答をするか、など、誠実さに欠けるテクニックも多かった。

ここで、ジャンクな実用書で学んだことを「捨てる」のも必要。また、同じように仏教でいう「捨離(しゃり)」の精神も必要だと感じる。つまりは、討論で「勝つ」という間違った目的を「捨離」するということ。

また、皮肉なことに、ドイツで学んだことは、この国の徹底した個人主義を通して、むしろ日本人として受け継いだ仏教やアジア的思考を深く尊重するようになった点だろう。

少し余談を加えさせていただくと、最近の日本では、ドイツが日本を抜いて世界第3位の経済大国になったことで「ドイツ精神」や働き方が注目されているが、これは円安や為替変動によるものであり、実際のドイツ経済は低迷している。前メルケル首相も、2017年にサービス部門の弱さを指摘し、投資不足がドイツを「技術の博物館」にしてしまうと警告していた(ドイツ政府の記事)。

また、最近のドイツ連邦銀行のレポートによると、2023年後半から今年にかけても、受注減や高金利、悪天候で経済は低迷し、サービス業の物価上昇は賃金上昇の影響で緩やかにしか改善されていない(ドイツ連邦銀行レポート)。ドイツは依然として昔からの製造業に依存しており、サービス業の改革が急務だといわれている(前述の前メルケル首相による改革も実現しなかった)。

世界経済にとても重要なデジタル部門などのサービス業やその専門知識が弱いドイツ経済を過大評価するよりも、日本のビジネスを見直すことが有益ではないだろうか。さらに、仏教、アジアや日本の古い教えから得られる知恵も多く、ビジネスにも活かせると強く感じる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?