25:体罰と自己肯定感
Bonjour!
ベナンでは体罰が禁止されています。
2006年に教育省から体罰禁止の通知が届いていますが、実際には体罰が横行しています。
先生方も幼い頃から自宅や学校で体罰を受けて育ってきたので、抵抗がないのかもしれません。(日本の虐待の連鎖と同じですね...)
先日職員会議で校長先生が「教育省から再度体罰禁止の通知が来た」と話題にあげていました。
しかし、先生方は「私たちも幼い頃から体罰を受けて育ってきた!(手の古傷を見せながら)これは先生にやられた時の傷!」と仰っていました。
実際、この会議の後の授業でも体罰をしている先生がいて「さっきの会議の2時間はなんだったの…」とショックでした。
体罰があるせいで「なぜそれをしたらダメなのか」という考える力は子どもたちにはありません。
「叩かれるから静かにする」
「間違えると叩かれるから友達の答えを写す」
だから先生がどこかへ行ってしまった時のクラスは学級崩壊状態です。
なぜなら、子どもたちはヨボ(現地語で外国人)の私が体罰をしないと知っているから…。
体罰が当たり前の環境で育っている子どもたち。
責任が強い高学年が低学年に木の棒で叩く場面も見られます。
「体罰をしなくても子どもたちは静かにできるんだよ」「考えて行動できるんだよ」ということを先生たちに少しでも知ってほしいです。
わたしがクラスに入った時の最初の挨拶の一つに「心と体を傷つけることはしないでね」と子どもたちに言っていることが抑止力になっているのか、体罰をしない先生もいます。
一方で算数の答えを間違えるだけで、ノートの書き方を間違えるだけで、木の棒で思いっきり叩く先生もいます。
子どもたちは一瞬痛そうにしますが、そのあとはすぐいつも通り。
同僚の2歳児の子どもが他の同僚に叩かれていた時も、すぐ泣き止んでいてびっくりしました。
それだけ体罰が当たり前の世界に慣れてしまっているということなのでしょうか?
また、ベナンの先生は基本褒めないので、子どもたちの私に対する見て見てアピールがどこのクラスへ行っても激しいです。
体罰はされるし、褒められない。
でも子どもたちは凄く逞しいです。
ここで記載をするのは間違いかもしれませんが…
褒めても「そんなことない」と言ったり「自分なんて」と自己肯定感が低すぎる日本の子どもたち(もちろん全員ではありません)に必要な力がベナンの子どもたちには身についているのかもしれません。
日本は子どものうちに褒められて育てられるので、大人になって褒められないのが当たり前の環境に身を置いた時に辛くなるのだろうなとも思います。
日本の自殺率の高さの原因はいろいろあるとは思いますが、「子ども時代とのギャップ」は理由の一つなのかもしれないとベナンに来て思いました。
しかし、褒めること=認めることは自己肯定感を育むのにとても大切だと思います。
話が逸れてしまいましたが、体罰以外の指導を先生たちに伝えられるアプローチ、考えてみます。
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