献体になりたい
日没とともに布団から這い出て、少し高い場所から夜道を眺めた。
これからどうしよう。
資本主義社会を生き抜く力がわたしにはない。人と支え合って生きるなんて、自分にはできない。お金を稼いで生きるなんて、そこまでして、一体何のために?だけど死ぬ力も自分にはない。諦めろと言われる。死ぬことは人体の必然で、悪いことではない。みんなみんな、還る。そこは元いた場所。あの美しい紅色の空間に、わたしは早く還りたい。なんとも言えぬあの安心感をたしかに覚えている。柔らかな、グラデーションの空間を。
鏡に映った人体の、肋が浮き出ていてぎょっとした。
久しぶりに見た10代後半のわたし。なのに脳裏に焼き付く言葉の数々は鮮明なまま。「脚だけ太いね」「思ったよりガリガリじゃなかった」
知らなかったけど髪は腰まで伸びていた。
何度目かも分からないけれどわたしは悟る。自分のいるべき場所は人体ではない。早くあそこに還りたい。
5年前、東京でバリバリ働いていた頃、出張でよく知らない街に滞在した。
忘れられない名古屋の朝焼け
そのときの全身鏡は、髪の毛をセットするためのもので、スーツの着こなしをチェックするもので、化粧をするためのものであった。それが今はただ、人体という入れ物の状態をわたしに見せつける、得体のしれない原子のまとまり。
この体って、ほんとうにわたしのものかな。
この世界ってそんなに美しいものかな。
そんな訳ない。信じたくない。
動物を見つめる。だから寄ってきてくれるらしい。わたしは指を差し出し笑いかける。
愚かな人間を、信用しちゃいけないよ。
そこには突然、すべてを捨てて逃げる人種が混ざっているのだから。
【余談】
死ぬ前にと、大学の医学部に献体登録しようとしたら、親族の同意が必要だった。
北脇昇の描いたあの兵士、木星の表面にいる。