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手記の美学散文ー『犯罪者の自伝を読む』小倉孝誠

犯罪者は自己を語るにはもっとも不適格な人間ということになる。

『犯罪者の自伝を読む』小倉孝誠


さて、わたしは監獄小説が大好きである。

監獄で書かれた手記は、大変美しく、興味をそそる。ジュネを筆頭に、ラスネール「回想記」、ワイルド「獄中記」にソルジェニーツィン「収容所群島」、国内からは山本譲司の「獄窓記」や、世間を騒がせた市橋達也の「逮捕されるまで」など、凶悪犯に政治犯、冤罪に至るまで種々多様の監獄手記が存在し、一定の人気を保っている。(話すと長くなるので省略。)
 
仏語翻訳家の小倉孝誠による、犯罪者の手記を論じる文章を読んだ。
彼は凶悪殺人犯がこのような手記を残すことに強い抵抗を示しながらも、” この種の回想記が、そこに漂う悪の香りと背徳的な雰囲気ゆえに読者の好奇心をそそってきたのは事実である。” とそのエンターテイメント性質を称えている。さらにフランスの家族殺しリヴィエールの手記を公開し社会分析の一要素として扱ったフーコーの態度に対し、" 無知な男が綴った驚くべき自伝の「美しさ」を称賛するフーコーらは、的外れな反応を示しているにすぎない。" と批判を示す。
以下、本書、特にピエール・リヴィエールについて論じた第一章を軽く紹介する。
 

多くの場合、ひとは一緒に暮らしてきた相手を、かつて愛した、そして今でも愛している相手を、心理的に追い詰められた状況のなかで、手にかける。

『犯罪者の自伝を読む』小倉孝誠


1835年、パリ。母、妹、弟の三人を殺害したピエール・リヴィエールの手記が世に公開され一斉を風靡した。当時彼はたった二十歳。貧しい農民だった。恨みから、母、妹、弟の家族3人を殺害したリヴィエールは無口で変わり者とされ、周りの人間からは生まれつき知的能力が乏しいーつまり白痴だと思われていた。
が、家族3人を殺害後、森を逃げ回り逮捕された彼が、その後たった十日間のあいだに書き上げた文章は、学者や精神鑑定医師、裁判官をも唸らす” 奇跡的なまでの洗練と秩序が表れた、完全に解読可能な美しい回顧録” だったのである。
 
このような事実は200年経っても、我々を戦慄させる。こういうところに世界の美しさがある、とわたしは本気で思い、惹き込まれる。自分は消費者なのだと自覚し、読み進める。佇む好奇心。
 
リヴィエールが逮捕されると、その知的能力の高さが露見する。彼の愛読書は聖書をはじめ、歴史物、小説、冒険記など、読み書きさえままならなかった当時の農民身分からは想像もできないものばかりであり、しかもその広い教養を、どうやってか独学で身につけていた。そう、「白痴で低能」と周囲から定義づけられていたその青年は紛れもなく、「天才」であったのである。そして彼自身、そのことに勘づいていた。

私は偉大さと不滅性という考えにとりつかれていて、自分を他人よりはるかに偉いと思っていました。

『犯罪者の自伝を読む』小倉孝誠


しかしリヴィエールの生まれた環境は客観的に見ても幸福とは言い難かった。貧しい農民一家の長男。感情的で理解不能な母。不仲で軋轢と葛藤の耐えない両親。我慢ならない母の言動と虐げられ追い出された父。彼は父を愛したが、一緒に暮らすことは叶わなかった。妹と弟は母の味方をし、彼は孤独に陥った。そうして父の不幸と苦しみに同情しつつ、愛する父と自分を傷つけた母を「敵」とみなした彼は、神に代わって復讐をする決意をするに至る。
 
わたしは、まるで自分のことのようにリヴィエールに同情してしまう。その行き場のない憎しみの矛先は、いつも誰かの死(自分を含めて)なのだと知っているからだ。それから彼は軌跡を残すことに必死になった。
 

リヴィエールは、忌まわしい行為を犯すより以前に、その行為を物語化することをあらかじめ決めていた。殺害の動機、場所、手段などについて考慮するのではなく、まず行為全体のシナリオを文字で書き残そうとした。その際に、後になされるはずの行動と、それに伴う心理的プロセスまでをも克明に叙述しようと試みた。

『犯罪者の自伝を読む』小倉孝誠


言うまでもなく、そのシナリオの終焉は死であった。そうでなくてはならない。
 

彼は罪深い行為を自分の人生のいわば結論となし、そこに至った経緯を内的な必然として提示しようとした。犯行直後に自殺するつもりで、その後の人生は考慮されていない。語られる彼の人生は、自殺によって完全に意味づけられるはずだった。

『犯罪者の自伝を読む』小倉孝誠

 
計画実行に向けそれらの文章を書き始めたリヴィエールだったが、妹が何か書いていることを察知して見たがったために、泣く泣くその紙を破棄することになる。このとき、彼は死んだのだとわたしには解った。
 
一度死んだ彼は、それからただ機械的に物語を押し進めるに徹する。わたしはその悲劇に同情する。
 そして計画通り、殺す。が、彼自身は思ったように死ねない。死ぬのがこんなに難しいとは。逃げる。飢えと恐怖。逮捕。意に反した安堵。監獄で突然許された、文章にするという行為。突然、色を帯びる世界。リヴィエールは生き返った。
 

自分の性格と、あの行為の前と後にもっていた自分の考えについて説明することを約束しましたので、私は自分個人の生活と、今日まで心を占めていた考えとを、短くまとめてみることにします。

(手記の冒頭)岸田秀、久米博訳


手記は三部構成にまとめられる。両親の結婚生活、それらの葛藤を観察していた彼の視界と見解、子供時代を振り返った自己分析に、自分が侮辱の対象であったことを自覚していたことの告白など、大変知的な印象を読者に与える文章が綴られた。殺人の決意と、犯行から逮捕されるまでの考えとその動き、物理的な生活と事実がこと細かく語られ、愛する父については「父の苦労の要約終り」という章において、彼に対し感じていた虚しい感情と母への憎しみが痛々しく並ぶ。
 
そうして手記を完成させると、彼の、人間としての仕事は終わる。
世間は彼を擁護する声と、狂人とみなす声にはっきりと分かれていた。が、彼にとって、もうそんなことはどうでも良かった。
 
1836年2月、世間の声に準じ、リヴィエールの刑は死刑から無期懲役に減じられた。これでは物語は完結しない。彼にとっては、むしろ台無しと言えるであろうことの顛末だった。死刑でなくてはならなかったのだ。
 

行為の契機、それは回想すること自体がもたらす快楽である。みずからの生涯の細部を思い出し、それを書き綴るという営みは、自らの生涯をあらためて生きなおすことであり、過ぎ去って戻らない時間を再現し、永遠化する試みにほかならない。…自伝の作者はしばしばこの快楽に抵抗できない。
 自己認識とならんで、自伝執筆の大きな動機付けになるのが自己弁明の意思である。自分の行動を正当化し、言説を擁護しようとする誰にでも見られる態度は、自伝作者の場合とりわけ強烈だと言えるだろう。

『犯罪者の自伝を読む』小倉孝誠


リヴィエールは当然のように刑務所内で首を吊り、当初の予定通り自分の命を断った。


わたしはリヴィエールに惚れ込む。この男を愛したいとさえ思った。
なんて美しい人生だろう。
 
 
【余談】
小倉さんの考えも興味深い。賛同はしないけれど。
これだから読書は止められないのである。


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