昔の自分の写真が見れなくなった話【30代でうつ病になった男の寛解目指す日記】
今回お話しするのは、うつ病になってから特に辛くなった出来事についてです。
皆さん過去に撮った写真はまだ残っているでしょうか?私はよく写真を撮るので、ガラケーやスマホやらに色々昔の写真が残っています。写真というのは当時を思い出や情景と共にそのまま切り抜く優秀なツールで、当時を忘れないため、感動や記念の喜びを思い出すためにとても役に立ちますね。しかし、写真はいつ撮っても、常に過去のものとなっていきます。今あなたが写真を撮ったとしても、すでに数秒前の時間になってしまう。その瞬間にもう戻れない頃の情景や自分になってしまうのです。うつになるまでこんなこと考えたことありませんでしたが、写真はそもそも嬉しいや楽しい、などポジティブな場面を残すことが多いにあり、良かったなと思うシーンが写真として残っていることが多いのです。何気ない日常写真でも、ネガティブな意味合いのものは少ないはず。つまりは、決してその楽しかった時に戻ることはない=今が辛い人はただただ自分を傷つけるだけ
と言うことになるのです。
なにが言いたいかというと、過去の楽しそうな自分の写真や、学生時代、仲良かった友達と写っている写真を見るたびに、心臓が止まりそうになる、という話です。
これはわかる人いらっしゃいますかね、学生の頃は人生で一番楽しかった、でもその写真をいくら見ようが、決してその時に戻れず、それ以上の楽しいを感じることはもう死ぬまで二度とできない。この事実を頭で理解するたび、自分はなぜ今ここでこんな思いで生きているのか、わからなくなります。たとえ100年生きても一番楽しかったのは学生時代だったと言う方もいました。自分もそう思います。そう言えるほどに人間の学生生活は楽しさと魅力に溢れているもので、そこで楽しめなかった人はこの先それ以上のことは望めないし、過去は取り返せない。
私は小中大と学生生活を送ってきましたが、たかだか40年近く生きた中でも間違いなく一番楽しかった数年間でした。その頃の写真に映る自分は、恨めしいほどにいい顔をしている。自分ながら憎いです。幸せそうな何も知らないあの頃を見ていると、今の自分がひたすら惨めになるだけ。だから私は、昔の自分が写っている写真を見ることが一切できなくなりました。記録というのは、良いものであれ時に自分を傷つける刃物にもなりえると言うことがわかりました。
最終的な結論として、あくまで私の持論ですが、決して楽しかったあの頃には戻れないと理解した以上、過去は思い出すだけでも辛くなるもので、不安はあるが不安定で未確定な未来の生き方を考える方が、生きる上ではまだ重要だと思いました。同じ辛いことなら過去を振り返らず、僅かな可能性のあるどうしようもない未来を考えて、今より少しでもマシにするため頑張ろうと思います。過去は考えるな、決して見ようとするな、です。
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