個別最適な学びについて考える(2)ー水越敏行(1988)個別化教育への新しい提案ーから
さて,今日も個別最適な学びについて古い本から考えてみようと思います。やっぱり読んでいくと重なり合う部分があって,急に言われ始めたことじゃないということを実感します。
本日の本は,「水越敏行(1988)個別化教育への新しい提案.明治図書,東京」になります。
伴走のように教師が子どもを支えていくのであれば,大変になっていくのは教師の方だと自分は考えます。しかし,子どもにとってはどちらの方がいいのか,当然教えられる方がいい人もいると思いますが,生涯誰かが教えてくれる保障はないと思います。教えてくれる存在がいなくなった時に,自分でも学べるようになっておく,その練習だと思って子どもたちに委ねることも大事なはずです。
ただ、委ねる際にはいろんな考慮が必要だと思います。ある程度,学習の流れを示してあとは頑張ろうでは当然できないはずです。そのためにも,授業目標と授業展開,学習するメディアの三者を念頭に入れて,授業も設計していかなければなりません。
以前の記事の吉崎先生の授業構成要素の話はここと繋がってくると思っています。
図までは載せられないので,図書館や古本屋で探してみてください。
おそらく常に検討されていくような課題だと思っています。ここ最近を考えても,いろんなメディアが教育業界には入ってきている気がします。ここでは,マイナスではなく,水越先生の言うようにプラスで考え,学習過程も目標も変えられるようになると言う点で考えるのがいいと思います。
以前は,目標から考えてメディアまでいくという線になっていましたが,ここが自由度を増して三者の視点から考えることができるようになったということです。また,子どもが学習過程とメディアも検討することができていると考えれば,教師と子どもが一緒に授業を作っている感じがするのではとも思いました。
やっぱり現代に通ずるところがあると感じています。
きっと巡り巡るとか,周期でこの話がされるんだと思いますが,現代の方がよりやりやすくなっていると思うようにしたいですね。
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